雨月物語
校注 雨月物語
雨月物語序
一羅子撰水滸。而三世生唖児。二紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。三蓋為業所偪耳。然而観其文。各〻奮奇態。四啽哢逼真。五低昂宛転。令読者心気六洞越也。可見鑑事実于千古焉。余適有七鼓腹之閑話。衝口吐出。八雉雊竜戦。九自以為杜撰。則一〇摘読之者。一一固当不謂信也。一二豈可求醜脣平鼻之報哉。一三明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。一四以畀梓氏。題曰雨月物語。云。一五剪枝畸人書
一六 一七
羅子、水滸を撰して、三世唖児を生み、紫媛、源語を著して、一旦悪趣に堕つるは、蓋し業のために偪らるるところのみ。然り而して其の文を観るに、各々奇態を奮ひ、啽哢真に逼り、低昂宛転、読者の心気をして洞越たらしむるなり。事実を千古に鑑みらるべし。余適鼓腹の閑話あり、口を衝きて吐き出だす。雉雊き竜戦ふ、自らおもへらく杜撰なりと。則ち之を摘読する者は、固より当に信と謂はざるべきなり。豈醜脣平鼻の報を求むべけんや。明和戊子晩春、雨霽れ月朦朧の夜、窓下に編成し、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と曰ふと云ふ。剪枝畸人書す。
㊞ 四角印、188-11
一 羅貫中。中国一三、四世紀の人。水滸伝を著わしたために子孫三代唖児が生まれたという俗説がある(西湖遊覧志余。続文献通考等)「羅氏が三代まで唖子をうみしなども云ふ」(秋山記・秋成)。
二 紫式部。源氏物語を著わしたために地獄におちたという俗説がある(今物語、宝物集等)。秋成も秋山記でそのことを書いている。
三 思うに悪業の為にこんな報いにせまられたというべきであろう。
四 鳥の黙したりさえずったりする声の形容。ここでは文章の調子、勢い。
五 文章の調子が或は低く或は高く、あたかもころがるようになめらかで流暢である。
六 つよく感銘する。
七 泰平の世を謳歌するようなのんきな無駄ばなし。鼓腹は、飽食して腹鼓をうち、泰平を楽しむ。
八 雉が鳴き竜が戦うような奇怪千万な怪奇談。
九 自分でもこれは杜撰であると思う。杜撰はよりどころなく疎漏なこと。
一〇 ひろい読む。
一一 もとよりこれが信ずるに足るものだというはずがない。
一二 どうして子孫に口唇裂や平たい鼻の変わり者が生まれるという業の報いをうけるはずがあろうか。
一三 明和五年(一七六八)三月。秋成三五歳。
一四 出版業者に与えた。版行にふした。
一五 上田秋成の戯号。秋成は五歳の折、重い痘を病み、その結果、右手の中指と左手の人さし指が短くなり、不自由になった。そのことから一時的につけた号である。枝は肢と同じで、指に通ず。剪枝は木をきるはさみの意味もある。畸人は変人、変わり者。
一六 「子虚後人」とあって、秋成の一時的な戯号。いたずらに妄言を吐く人物の子孫という意味。
一七 「遊戯三昧」とある。遊びたわむれることにむちゅうになること。五雑組、巻十五に「凡為小説及雑劇戯文、須是虚実相半、方為游戯三昧之筆」とある。
雨月物語 巻之一
一白峯
二あふ坂の関守にゆるされてより、三秋こし山の黄葉見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる四鳴海がた、不尽の高嶺の煙、五浮嶋がはら、六清見が関、七大礒小いその浦々、八むらさき艶ふ武蔵野の原、九塩竈の和ぎたる朝げしき、一〇象潟の蜑が苫や、一一佐野の舟梁、一二木曾の桟橋、心のとどまらぬかたぞなきに、猶西の国の歌枕見まほしとて、一三仁安三年の秋は、一四葭がちる難波を経て、一五須磨明石の浦ふく風を身に一六しめつも、行々一七讃岐の真尾坂の林といふにしばらく一八筇を植む。草枕はるけき旅路の労にもあらで、一九観念修行の便せし庵なりけり。
この里ちかき白峯といふ所にこそ、二〇新院の陵ありと聞きて、拝みたてまつらばやと、十月はじめつかた、かの山に登る。松柏は奥ふかく茂りあひて、二一青雲の軽靡く日すら小雨そぼふるがごとし。二二児が嶽といふ嶮しき嶽背に聳ちて、千仞の谷底より雲霧おひのぼれば、咫尺をも鬱悒きここちせらる。木立わづかに間きたる所に、土墩く積みたるが上に、石を三かさねに畳みなしたるが、二三荊蕀薜蘿にうづもれてうらがなしきを、これならん御墓にやと心もかきくらまされて、さらに夢現をもわきがたし。
現にまのあたりに見奉りしは、二四紫宸清涼の御座に朝政きこしめさせ給ふを、百の官人は、かく賢しき君ぞとて、詔恐みてつかへまつりし。二五近衛院に禅りましても、二六藐姑射の山の瓊の林に禁めさせ給ふを、思ひきや、二七麋鹿のかよふ跡のみ見えて、詣でつかふる人もなき深山の二八荊の下に神がくれ給はんとは。二九万乗の君にてわたらせ給ふさへ、三〇宿世の業といふもののおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつづけて涙わき出づるがごとし。
終夜供養したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文徐かに誦しつつも、かつ歌よみてたてまつる。
三一松山の浪のけしきはかはらじを
かたなく君はなりまさりけり
猶心怠らず供養す。露いかばかり袂にふかかりけん。日は没りしほどに、山深き夜のさま三二常ならね、石の牀木の葉の衾いと寒く、神清み骨冷えて、三三物とはなしに凄じきここちせらる。月は出でしかど、三四茂きが林は影をもらさねば、三五あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく三六円位々々とよぶ声す。
眼をひらきてすかし見れば、其の形異なる人の、背高く痩せおとろへたるが、顔のかたち、着たる衣の色紋も見えで、こなたにむかひて立てるを、西行もとより三七道心の法師なれば、恐ろしともなくて、ここに来たるは誰そと答ふ。かの人いふ。前によみつること葉のかへりごと聞えんとて見えつるなりとて、
三八松山の浪にながれてこし船の
やがてむなしくなりにけるかな
喜しくもまうでつるよ、と聞ゆるに、新院の霊なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。さりとていかに迷はせ給ふや。三九濁世を厭離し給ひつることのうらやましく侍りてこそ、今夜の四〇法施に随縁したてまつるを、四一現形し給ふはありがたくも悲しき御こころにし侍り。ひたぶるに四二隔生即忘して、四三仏果円満の位に昇らせ給へと、情をつくして諫め奉る。
新院呵々と笑はせ給ひ、汝しらず、近来の世の乱は朕がなす事なり。生きてありし日より魔道にこころざしをかたぶけて、四四平治の乱を発さしめ、死して猶四五朝家に祟をなす。見よ見よ、やがて天が下に大乱を生ぜしめん、といふ。西行此の詔に涙をとどめて、こは浅ましき四六御こころばへをうけたまはるものかな。君はもとよりも四七聡明の聞えましませば、四八王道のことわりはあきらめさせ給ふ。こころみに討ね請すべし。そも四九保元の御謀叛は五〇天の神の教へ給ふことわりにも違はじとておぼし立たせ給ふか。又みづからの人慾より計策り給ふか。詳に告らせ給へと奏す。其の時院の御けしきかはらせ給ひ、汝聞け、帝位は人の極なり。若し人道上より乱す則は、天の命に応じ、民の望に順うて是を伐つ。抑五一永治の昔、犯せる罪もなきに、五二父帝の命を恐みて、三歳の五三体仁に代を禅りし心、人慾深きといふべからず。体仁早世ましては、朕が皇子の五四重仁こそ国しらすべきものをと、朕も人も思ひをりしに、五五美福門院が妬に五六さへられて、四の宮の五七雅仁に代を簒はれしは深き怨にあらずや。重仁五八国しらすべき才あり。雅仁何らのうつは物ぞ。人の徳をえらばずも、天が下の事を五九後宮にかたらひ給ふは父帝の罪なりし。されど世にあらせ給ふほどは孝信をまもりて、六〇勤色にも出さざりしを、崩れさせ給ひてはいつまでありなんと、武きこころざしを発せしなり。六一臣として君を伐つすら、天に応じ民の望にしたがへば、六二周八百年の創業となるものを、まして六三しるべき位ある身にて、六四牝鶏の晨する代を取つて代らんに、道を失ふといふべからず。汝、六五家を出でて仏に婬し、六六未来解脱の利慾を願ふ心より、六七人道をもて因果に引き入れ、六八堯舜のをしへを釈門に混じて朕に説くやと、御声あららかに告らせ給ふ。
西行いよよ恐るる色もなく座をすすみて、君が告らせ給ふ所は、人道のことわりをかりて六九慾塵をのがれ給はず。遠く辰旦をいふまでもあらず。皇朝の昔、七〇誉田の天皇、兄の皇子七一大鷦鷯の王をおきて、季の皇子七二菟道の王を七三日嗣の太子となし給ふ。天皇崩御れ給ひては、兄弟相譲りて位に昇り給はず。三とせをわたりても猶果つべくもあらぬを、菟道の王深く憂ひ給ひて、豈久しく生きて天が下を煩はしめんやとて、七四みづから宝算を断たせ給ふものから、罷事なくて兄の皇子御位に即かせ給ふ。是れ七五天業を重んじ孝悌をまもり、忠をつくして人慾なし。堯舜の道といふなるべし。本朝に儒教を尊みて専ら王道の輔とするは、𫟏道の王、百済の七六王仁を召して学ばせ給ふをはじめなれば、此の兄弟の王の御心ぞ、即て漢土の聖の御心ともいふべし。又、周の創、七七武王一たび怒りて天下の民を安くす。臣として君を弑すといふべからず。仁を賊み義を賊む、一夫の紂を誅するなりといふ事、七八孟子といふ書にありと人の伝へに聞き侍る。されば漢土の書は、経典七九史策詩文にいたるまで渡さざるはなきに、かの孟子の書ばかりいまだ日本に来らず。八〇此の書を積みて来る船は、八一必ずしも暴風にあひて沈没むよしをいへり。それをいかなる故ぞととふに、我が国は天照すおほん神の開闢しろしめししより、日嗣の大王絶ゆる事なきを、かく口賢しきをしへを伝へなば、末の世に八二神孫を奪うて罪なしといふ敵も出づべしと、八百よろづの神の悪ませ給うて、神風を起して船を覆し給ふと聞く。されば他国の聖の教も、ここの国土にふさはしからぬことすくなからず。且八三詩にもいはざるや。八四兄弟牆に鬩ぐとも外の侮を禦げよと。さるを骨肉の愛をわすれ給ひ、八五あまさへ八六一院崩御れ給ひて、八七殯の宮に肌膚もいまだ寒えさせたまはぬに、御旗なびかせ弓末ふり立て宝祚をあらそひ給ふは、不孝の罪これより劇しきはあらじ。八八天下は神器なり。人のわたくしをもて奪ふとも得べからぬことわりなるを、たとへ重仁王の即位は民の仰ぎ望む所なりとも、徳を布き和を施し給はで、道ならぬみわざをもて代を乱し給ふ則は、きのふまで君を慕ひしも、けふは忽ち怨敵となりて、本意をも遂げたまはで、いにしへより八九例なき刑を得給ひて、かかる鄙の国の土とならせ給ふなり。ただただ九〇旧き讐をわすれ給うて、浄土にかへらせ給はんこそ、願はまほしき叡慮なれと、はばかることなく奏しける。
院、長嘘をつがせ給ひ、今事を正して罪をとふ、ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この嶋に謫られて、九一高遠が松山の家に困められ、日に三たびの九二御膳すすむるよりは、まゐりつかふる者もなし。只天とぶ雁の小夜の枕におとづるるを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる。九三烏の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて九四海畔の鬼とならんずらん。ひたすら後世のためにとて、九五五部の大乗経をうつしてけるが、九六貝鐘の音も聞えぬ荒礒にとどめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを洛の中に入れさせ給へと、九七仁和寺の御室の許へ、経にそへてよみておくりける。
九八浜千鳥跡はみやこにかよへども
身は松山に音をのみぞ鳴く
しかるに九九少納言信西がはからひとして、若し呪咀の心にやと奏しけるより、そがままにかへされしぞうらみなれ。いにしへより倭漢土ともに、国をあらそひて兄弟敵となりし例は珍しからねど、罪深き事かなと思ふより、悪心懺悔の為にとて写しぬる御経なるを、いかにささふる者ありとも、一〇〇親しきを議るべき令にもたがひて、筆の跡だも納れ給はぬ叡慮こそ、今は旧しき讐なるかな。所詮此の経を一〇一魔道に回向して、恨をはるかさんと、一すぢにおもひ定めて、指を破り血をもて願文をうつし、経とともに一〇二志戸の海に沈めてし後は、人にも見えず深く閉ぢこもりて、ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが、一〇三はた平治の乱ぞ出できぬる。まづ一〇四信頼が高き位を望む驕慢の心をさそうて一〇五義朝をかたらはしむ。かの義朝こそ悪き敵なれ。父の一〇六為義をはじめ、同胞の武士は皆朕がために命を捨てしに、他一人朕に弓を挽く。一〇七為朝が勇猛、為義一〇八忠政が軍配に一〇九贏目を見つるに、西南の風に焼討せられ、一一〇白川の宮を出でしより、一一一如意が嶽の嶮しきに足を破られ、或ひは一一二山賤の椎柴をおほひて雨露を凌ぎ、終に擒はれて此の嶋に謫られしまで、皆義朝が姦しき計策に困められしなり。これが報を一一三虎狼の心に障化して、信頼が隠謀にかたらはせしかば、一一四地祇に逆ふ罪、武に賢からぬ清盛に逐ひ討たる。且父の為義を弑せし報偪りて、一一五家の子に謀られしは、天神の祟を蒙りしものよ。又少納言信西は、常に己を博士ぶりて、人を拒む心の直からぬ、これをさそうて信頼義朝が讐となせしかば、終に家をすてて一一六宇治山の坑に竄れしを、一一七はた探し獲られて一一八六条河原に梟首らる。これ経をかへせし諛言の罪を治めしなり。それがあまり、一一九応保の夏は美福門院が命を窮り、長寛の春は一二〇忠通を祟りて、朕も其の秋世をさりしかど、猶一二一嗔火熾にして尽きざるままに、終に大魔王となりて、三百余類の巨魁となる。朕が一二二けんぞくのなすところ、人の福を見ては転して禍とし、世の治るを見ては乱を発さしむ。只清盛が一二三人果大にして、親族氏族ことごとく高き官位につらなり、おのがままなる国政を執行ふといへども、一二四重盛忠義をもて輔くる故、いまだ期いたらず。汝見よ、平氏も又久しからじ。雅仁朕に一二五つらかりしほどは終に報ふべきぞと、御声いやましに恐ろしく聞えけり。西行いふ。君かくまで魔界の悪業につながれて、一二六仏土に億万里を隔て給へば、ふたたびいはじとて、只黙してむかひ居たりける。
時に峯谷ゆすり動きて、風叢林を僵すがごとく、沙石を空に巻上ぐる。見る見る一二七一段の陰火、君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御気色を見たてまつるに、朱をそそぎたる竜顔に、一二八荊の髪膝にかかるまで乱れ、白眼を吊りあげ、熱き嘘をくるしげにつがせ給ふ。御衣は柿色のいたうすすびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのびて、さながら魔王の形、あさましくもおそろし。空にむかひて、一二九相模々々と、叫ばせ給ふ。あと答へて、鳶のごとくの一三〇化鳥翔来り、前に伏して詔をまつ。院、かの化鳥にむかひ給ひ、何ぞはやく重盛が命を奪りて、雅仁清盛をくるしめざる。化鳥こたへていふ。一三一上皇の幸福いまだ尽きず。重盛が忠信ちかづきがたし。今より一三二支干一周を待たば、重盛が命数既に尽きなん。他死せば一族の幸福此の時に亡ぶべし。院、手を拍つて怡ばせ給ひ、かの讐敵ことごとく一三三此の前の海に尽すべしと、御声谷峯に響きて、凄しさいふべくもあらず。魔道の浅ましきありさまを見て涙しのぶに堪へず。復び一首の歌に随縁のこころをすすめたてまつる。
一三四よしや君昔の玉の床とても
かからんのちは何にかはせん
一三五刹利も須陀もかはらぬものをと、心あまりて高らかに吟ひける。
白峯陵の前の「たひらなる石の上に座をしめ」た西行が、崇徳院の怨霊と対決する図。「一段の陰火、君が膝の下より燃上がりて」という情景である。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)
此のことばを聞しめして感でさせ給ふやうなりしが、御面も和ぎ、陰火もややうすく消えゆくほどに、つひに竜体もかきけちたるごとく見えずなれば、化鳥もいづち去きけん跡もなく、十日あまりの月は峯にかくれて、木のくれやみのあやなきに、夢路にやすらふが如し。ほどなく一三六いなのめの明けゆく空に、朝鳥の音おもしろく鳴きわたれば、かさねて一三七金剛経一巻を供養したてまつり、山をくだりて庵に帰り、閑かに終夜のことどもを思ひ出づるに、平治の乱よりはじめて、人々の消息、年月のたがひなければ、深く慎みて人にもかたり出でず。
其の後十三年を経て、一三八治承三年の秋、平の重盛病に係りて世を逝りぬれば、一三九平相国入道、一四〇君をうらみて一四一鳥羽の離宮に籠めたてまつり、かさねて一四二福原の茅の宮に困めたてまつる。一四三頼朝東風に競ひおこり、一四四義仲北雪をはらうて出づるに及び、平氏の一門ことごとく西の海に漂ひ、遂に讃岐の海志戸一四五八嶋にいたりて、武きつはものどもおほく一四六鼇魚のはらに葬られ、一四七赤間が関一四八壇の浦にせまりて、一四九幼主海に入らせたまへば、軍将たちものこりなく亡びしまで、露たがはざりしぞおそろしくあやしき話柄なりけり。其の後一五〇御廟は一五一玉もて雕り、一五二丹青を彩りなして、稜威を崇めたてまつる。かの国にかよふ人は、必ず幣をささげて一五三斎ひまつるべき御神なりけらし。
一 香川県坂出市青海町にあり、崇徳院の御陵がある。
二 京都と滋賀の境にあった関。関の番人に通行を許されて東国の方へ向ってから。
三 秋がきた山の紅葉の美景を見捨てがたく。この辺の文章は撰集抄による。
四 愛知県名古屋市緑区鳴海町付近の干潟。
五 静岡県富士市浮島沼付近の沼沢地。歌枕。
六 静岡県静岡市清水区興津清見寺町にあった関所。歌枕。
七 大磯・小磯ともに神奈川県大磯町にある。歌枕。
八 紫草の美しく咲く武蔵野。
九 宮城県塩釜市の海。
一〇 秋田県にかほ市象潟町。当時は入江であった。歌枕。
一一 群馬県高崎市の南部、佐野の烏川に架せられた、舟を並べて板を渡した橋。歌枕。
一二 木曾川上流地方のけわしい崖や山道にかけられた橋。
一三 一一六八年。高倉天皇の代。西行五一歳。
一四 「難波」の枕詞でもある。
一五 兵庫県の神戸・明石の海岸。源氏物語以後の名勝地。
一六 しみじみと感じながら。
一七 坂出市王越町にある。
一八 逗留する。
一九 悟りの道を念じて仏道修行するための庵。
二〇 七五代崇徳天皇が上皇となって新院とよばれた。
二一 樹木鬱蒼としたさま。万葉集一六「弥彦(いやひこ)のおのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そぼふる」。
二二 白峰の北方にある。
二三 野ばらと蔓草。
二四 宮中の儀式を行なう正殿と、陛下の常の御所であった中殿。
二五 七六代近衛天皇。崇徳天皇の異母弟。
二六 上皇・法皇の御所。
二七 鹿。麋は大鹿。
二八 雑草木やいばらの乱れ茂った藪。
二九 天皇。
三〇 前世でした悪い因縁。
三一 松山は香川県坂出市にある。かたなくはむなしく。形は潟の掛詞。山家集下に第五句「なりましにけり」として出ている。
三二 不気味で何か異常なことが起りそうである。
三三 何とはなしに。
三四 繁茂した木立は月光をもらさないので。
三五 物の見わけもつかぬ闇に心憂く疲れて。
三六 西行が出家直後の法名。西行は俗名佐藤義清、北面の武士であったが、二三歳で出家、諸国行脚の末、河内弘川寺で没した。行年七三歳。
三七 仏道をふかく信仰、帰依して正道をえた僧侶。
三八 山家集下に出ている。
三九 濁りけがれた現世をいとい離れる。死去することをいう。
四〇 仏縁にあずかりたいと思って法要申しあげているのに。法施は三施(財施・法施・無畏施)の一、法を聞かせて善根を増すことで、法要。随縁は仏縁につながる。
四一 生前の姿を現わす。
四二 死によってただちに妄執を忘れる。
四三 仏道修行の果報をえて完全無欠の仏の位につく。
四四 平治元年(一一五九)藤原信頼と源義朝が、藤原信西と平清盛を討伐しようとして起した乱。義朝方が敗れた。平治物語に詳しい。
四五 皇室。
四六 御心のおもむく所。
四七 賢明だとの評判。
四八 帝王道の道理は十分御存じでいらっしゃる。
四九 保元元年(一一五六)七月、崇徳上皇が皇位継承をめぐって同母弟後白河天皇と争って挙兵した乱。上皇方が敗れた。保元物語に詳しい。
五〇 天照大神をさす。
五一 永治元年(一一四一)。
五二 七四代鳥羽天皇。
五三 七六代近衛天皇。「なりひと」が正しい。
五四 崇徳上皇の第一皇子。
五五 鳥羽法皇の妃、近衛天皇の生母、藤原長実の女、得子。
五六 さまたげられて。
五七 鳥羽天皇の第四皇子で、七七代後白河天皇。
五八 天子として国を治める才。
五九 后妃のすむ御殿。ここでは美福門院をさす。
六〇 ちっとも。決して。
六一 周の武王が臣の身をもって殷の紂王を討った故事。
六二 周は武王にはじまり、三〇余代八百数十年つづいて、紀元前二五六年頃滅びた。
六三 天子として国を治める資格のある身。
六四 雌鶏が雄鶏をつついてときをつくらせるように、妻の権力が夫の上位にあるたとえ。
六五 出家して仏道に溺れ惑い。
六六 現世の煩悩から解放されて、未来で救いを得たいと願う利欲の心。
六七 儒教の説く現世の人間道を仏教の因果思想にひきつけ。
六八 中国古代の聖天子。仁徳をもって民を治めた。
六九 色声香味触(又は色名食財睡眠)の五欲が眼耳鼻舌身意の六根を通して心を穢す事。
七〇 一五代応神天皇。
七一 応神天皇の第四皇子。一六代仁徳天皇。
七二 仁徳天皇の末弟。
七三 皇太子。
七四 御自害あそばされたので。
七五 天皇の位。
七六 朝鮮百済の学者。応神天皇一六年に来朝し帰化した。
七七 周の祖。殷の紂王の暴虐を怒ってこれを誅し、天下に仁政をしいた。「孟子」梁恵王下の「武王亦一怒而安天下之民」「臣弑其君可乎」「賊仁者謂之賊、賊義者謂之残、残賊之人、謂之一夫、聞誅一夫紂矣、未聞弑君也」による。
七八 中国戦国時代の哲学者孟軻の言説を記した書。このことは孟子、梁恵王章句下に記されている。
七九 歴史書と記録・文書の類。
八〇 このこと「五雑組」地部巻四に見えている。
八一 必ず、と同意。
八二 皇孫(天子の位)。
八三 詩経。
八四 兄弟は内輪で喧嘩しても、外部からのはずかしめに対しては協力一致して防げ(詩経・小雅)。
八五 そのうえに。
八六 鳥羽法皇。
八七 貴人の遺体を本葬するまでの間、柩に入れて安置しておく仮の御殿。
八八 天子は神の定めた器、天子の位は神意による。老子二九「天下神器、不可為也」。
八九 上皇が流罪にあうという前例のない刑罰。
九〇 昔のうらみ心。
九一 綾高遠。香川県坂出市松山にいた名家。
九二 天子の食事。
九三 普通には絶対ありえないことのたとえ。
九四 海辺で命を終ることであろう。鬼は死者の霊。
九五 大乗に属する経典で各宗派で違う。天台宗では華厳・大集・大品般若・法華・涅槃の五部をいう。
九六 法螺貝と梵鐘。寺院らしい寺院もない荒磯。
九七 鳥羽天皇の第五皇子、崇徳上皇の弟、覚性法親王。京都市右京区御室にある真言宗仁和寺の上首であった。
九八 鳥の跡は文字筆跡。松山は待つの掛詞。保元物語巻三にある。
九九 藤原通憲。保元の乱後権勢をふるい、平治の乱で斬首された。
一〇〇 議親法。天皇の五等親、太皇太后・皇太后の四等親、皇后の三等親までの親族が減刑されるという特別法。
一〇一 正法の妨げをなす邪道(天狗道)に自分が写経で修得した功徳をさしむけ。
一〇二 坂出市の北の海にある大椎・小椎島の間の椎途の海であろうか。
一〇三 果して。
一〇四 藤原信頼。近衛大将を望んで信西と争い、平治の乱を起して殺された。
一〇五 源義朝。為義の長子。保元の乱で父を討ち、平治の乱で清盛に敗れた。
一〇六 源為義。保元の乱で上皇方につき、敗れて斬首された。
一〇七 源為朝。為義の第八子。鎮西八郎。伊豆大島に流罪。
一〇八 平忠正。清盛の叔父。保元の乱で斬首された。
一〇九 勝利の気配。
一一〇 京都市中京区丸太町にあった、もと白河法皇の御所。
一一一 京都東山の主峰。
一一二 きこり・猟師など。
一一三 暴虐残忍な心にかえて。
一一四 国土を守る神。天皇。
一一五 家来に謀殺されたのは。
一一六 京都府宇治市宇治一帯の山。平治物語では木幡山。
一一七 ついに。果して。
一一八 京都六条付近の賀茂河原で、刑場に使われた。
一一九 一一六一―六三。実際にはその前年、永暦元年(一一六〇)一一月に死去。
一二〇 藤原忠通。後白河天皇を擁立し、保元の乱には天皇方についた。長寛二年(一一六四)二月没。
一二一 憤怒怨恨のはげしさを火にたとえた。
一二二 眷属。配下の悪魔たち。
一二三 人間としての果報。
一二四 平重盛。清盛の長子。
一二五 我につらく当った分だけは。
一二六 仏のすむ極楽浄土。ここは、とうてい極楽へなど行けない状態を指摘した。
一二七 ひとかたまりの鬼火。
一二八 乱れた髪。
一二九 白峰に住む天狗の名。謡曲「松山天狗」、「四国遍礼霊場記」、浄瑠璃「崇徳院讃岐伝記」に見える。
一三〇 鳥の姿をした化物。
一三一 後白河上皇。
一三二 ここでは一二年後。治承三年(一一七九)になる。
一三三 白峰北方の瀬戸内海。平家はここで源氏のために致命的な敗戦を喫した。
一三四 君は崇徳上皇。玉の床は金殿玉楼。山家集下に出ている。
一三五 王族も隷属民も。インド古代における四階級の第二位と第四位。
一三六 「明け」にかかる枕詞。
一三七 大般若経の内の一巻。悪魔退散、煩悩克服の功徳がある。
一三八 一一七九年。八〇代高倉天皇の代。
一三九 平清盛。相国は太政大臣の唐名。入道は剃髪して仏門に入ったもの。
一四〇 後白河法皇。
一四一 京都市伏見区鳥羽にあった鳥羽離宮。城南の離宮。
一四二 神戸市兵庫区福原町にあった。茅の宮は、茅ぶきの粗末な宮殿。
一四三 源頼朝が東国から機運に乗じて挙兵し。治承四年(一一八〇)のこと。
一四四 源義仲が北国から雪をけたてて上京し。寿永二年(一一八三)のこと。
一四五 屋島。香川県高松市の東北部にある半島。
一四六 魚介の餌食になって。鼇は海中にすむ大すっぽん。
一四七 山口県下関市の旧称。
一四八 下関海峡東口の北岸付近の海上。
一四九 安徳天皇。ときに八歳。
一五〇 御霊所。崇徳上皇没後二七年、建久二年(一一九一)後白河法皇が建立した頓証寺。
一五一 玉をちりばめ。
一五二 いろどり飾って。
一五三 自分のけがれをはらいきよめて神をまつる。
一菊花の約
二青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶことなかれ。三楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄の人は交りやすくして亦速なり。楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人は絶えて訪ふ日なし。
四播磨の国加古の駅に丈部左門といふ五博士あり。清貧を六憩ひて、友とする書の外は、すべて七調度の絮煩を厭ふ。老母あり。八孟氏の操にゆづらず。常に紡績を事として左門がこころざしを助く。其の季女なるものは同じ里の佐用氏に養はる。此の佐用が家は頗る富みさかえて有りけるが、丈部母子の賢きを慕ひ、娘子を娶りて親族となり、屡事に托せて物を餉るといへども、九口腹の為に人を累さんやとて、敢て承くることなし。
一日左門同じ里の何某が許に訪ひて、いにしへ今の物がたりして興ある時に、壁を隔てて人の痛楚む声いともあはれに聞えければ、主に尋ぬるに、あるじ答ふ。これより西の国の人と見ゆるが、一〇伴ひに後れしよしにて一宿を求めらるるに、一一士家の風ありて卑しからぬと見しままに、逗めまゐらせしに、其の夜一二邪熱劇しく、起臥も自らはまかせられぬを、いとほしさに三日四日は過しぬれど、何地の人ともさだかならぬに、主も思ひがけぬ過し出でて、ここち惑ひ侍りぬといふ。左門聞きて、かなしき物がたりにこそ。あるじの心安からぬも一三さる事にしあれど、病苦の人はしるべなき旅の空に此の疾を憂ひ給ふは、わきて胸窮しくおはすべし。其のやうをも看ばやといふを、あるじとどめて、一四瘟病は人を過つ物と聞ゆるから、家童らもあへてかしこに行かしめず。立ちよりて身を害し給ふことなかれ。左門笑うていふ。一五死生命あり。何の病か人に伝ふべき。これらは愚俗のことばにて、吾が們はとらずとて、戸を推して入りつも其の人を見るに、あるじがかたりしに違はで、一六倫の人にはあらじを、病深きと見えて、面は黄に、肌黒く痩せ、古き衾のうへに悶え臥す。人なつかしげに左門を見て、湯ひとつ恵み給へといふ。左門ちかくよりて、士憂へ給ふことなかれ。必ず救ひまゐらすべしとて、あるじと計りて、薬をえらみ、一七自ら方を案じ、みづから一八煮てあたへつも、猶粥をすすめて、病を看ること同胞のごとく、まことに捨てがたきありさまなり。
かの武士、左門が愛憐の厚きに泪を流して、かくまで一九漂客を恵み給ふ。死すとも御心に報いたてまつらんといふ。左門諫めて、ちからなきことはな聞え給ひそ。凡そ二〇疫は日数あり。其のほどを過ぎぬれば寿命をあやまたず。吾日々に詣でてつかへまゐらすべしと、実やかに約りつつも、心をもちゐて助けけるに、病漸減じてここち清しくおぼえければ、あるじにも念比に詞をつくし、左門が二一陰徳をたふとみて、其の生業をもたづね、己が身の上をもかたりていふ。故二二出雲の国松江の郷に生長りて、赤穴宗右衛門といふ者なるが、わづかに二三兵書の旨を察めしによりて、二四富田の城主二五塩冶掃部介、吾を師として物学び給ひしに、近江の二六佐々木氏綱に密の使にえらばれて、かの館にとどまるうち、前の城主二七尼子経久、二八山中党をかたらひて、二九大三十日の夜三〇不慮に城を乗りとりしかば、掃部殿も討死ありしなり。もとより雲州は佐々木の持国にて、塩冶は三一守護代なれば、三二三沢三刀屋を助けて、経久を亡し給へと、すすむれども、氏綱は外勇にして内怯えたる愚将なれば果さず。かへりて吾を国に逗む。三三故なき所に永く居らじと、三四己が身ひとつを竊みて国に還る路に、此の疾にかかりて、思ひがけずも師を労はしむるは、身にあまりたる御恩にこそ。吾三五半世の命をもて必ず報いたてまつらん。左門いふ。三六見る所を忍びざるは、人たるものの心なるべければ、三七厚き詞ををさむるに故なし。猶逗まりて三八いたはり給へと、実ある詞を便りにて日比経るままに、三九物みな平生に邇くぞなりにける。
文明十八年(一四八六)一月一日の早暁、尼子経久と山中党が富田城を襲撃した図。構図は「菊花の約」が典拠とした「陰徳太平記」の記事によったと思われる。(原本十四丁裏、十五丁表の挿絵)
此の日比、左門はよき友もとめたりとて、日夜交りて物がたりすに、赤穴も四〇諸子百家の事四一おろおろかたり出でて、問ひわきまふる心愚ならず。四二兵機のことわりは四三をさをさしく聞えければ、ひとつとして相ともにたがふ心もなく、かつ感で、かつよろこびて、終に兄弟の盟をなす。赤穴五歳長じたれば、伯氏たるべき礼義ををさめて、左門にむかひていふ。吾父母に離れまゐらせていとも久し。賢弟が老母は即て吾が母なれば、あらたに拝みたてまつらんことを願ふ。老母あはれみて四四をさなき心を肯け給はんや。左門歓びに堪へず。母なる者常に我が孤独を憂ふ。信ある言を告げなば、齢も延びなんにと、伴ひて家に帰る。老母よろこび迎へて、吾が子四五不才にて、学ぶ所時にあはず、四六青雲の便りを失ふ。ねがふは捨てずして伯氏たる教を施し給へ。赤穴拝していふ。四七大丈夫は義を重しとす。功名富貴はいふに足らず。吾いま母公の慈愛をかうむり、四八賢弟の敬を納むる、何の望かこれに過ぐべきと、よろこびうれしみつつ、又日来をとどまりける。
きのふけふ咲きぬると見し四九尾上の花も散りはてて、涼しき風による浪に、五〇とはでもしるき夏の初めになりぬ。赤穴、母子にむかひて、吾が近江を遁れ来りしも、雲州の動静を見んためなれば、一たび下向りてやがて帰り来り、五一菽水の奴に御恩をかへしたてまつるべし。五二今のわかれを給へといふ。左門いふ。さあらば兄長いつの時にか帰り給ふべき。赤穴いふ。月日は逝きやすし。おそくとも此の秋は過さじ。左門云ふ。秋はいつの日を定めて待つべきや。ねがふは約し給へ。赤穴云ふ。五三重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし。左門いふ。兄長必ず此の日をあやまり給ふな。一枝の菊花に五四薄酒を備へて待ちたてまつらんと、互に情をつくして赤穴は西に帰りけり。
五五あら玉の月日はやく経ゆきて、五六下枝の茱萸色づき、垣根の五七野ら菊艶ひやかに、九月にもなりぬ。九日はいつよりも蚤く起出でて、草の屋の五八席をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶に挿し、五九嚢をかたぶけて酒飯の設をす。老母云ふ。かの六〇八雲たつ国は六一山陰の果にありて、ここには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の来しを見ても六二物すとも遅からじ。左門云ふ。赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ。其の人を見てあわただしからんは、六三思はんことの恥かしとて、美酒を沽ひ鮮魚を宰て厨に備ふ。
此の日や天晴れて、六四千里に雲のたちゐもなく、六五草枕旅ゆく人の群々かたりゆくは、けふは誰某がよき京入なる。此の度の商物によき六六徳とるべき六七祥になん、とて過ぐ。五十あまりの武士、廿あまりの同じ出立なる、六八日和はかばかりよかりしものを、明石より船もとめなば、この六九朝びらきに七〇牛窓の門の七一泊は追ふべき。若き男は七二却物怯して、銭おほく費すことよといふに、殿の上らせ給ふ時、七三小豆嶋より七四室津のわたりし給ふに、七五なまからきめにあはせ給ふを、従に侍りしもののかたりしを思へば、このほとりの渡りは必ず怯ゆべし。七六な恚み給ひそ。七七魚が橋の蕎麦ふるまひまをさんにと、いひなぐさめて行く。口とる男の腹だたしげに、此の七八死馬は眼をもはたけぬかと、荷鞍おしなほして追ひもて行く。午時もややかたぶきぬれど、待ちつる人は来らず。西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも、外の方七九のみまもられて心酔へるが如し。
老母、左門をよびて、八〇人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。帰りくる信だにあらば、空は八一時雨にうつりゆくとも何をか怨むべき。入りて臥しもして、又翌の日を待つべし、とあるに、否みがたく、母をすかして前に臥さしめ、もしやと戸の外に出でて見れば、八二銀河影きえぎえに、八三氷輪我のみを照して淋しきに、軒守る犬の吼ゆる声すみわたり、浦浪の音ぞ八四ここもとにたちくるやうなり。月の光も山の際に陰くなれば、今はとて戸を閉てて入らんとするに、八五ただ看る、おぼろなる八六黒影の中に人ありて、八七風の随来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。
踊りあがるここちして、八八小弟蚤くより待ちて今にいたりぬる。盟たがはで来り給ふことのうれしさよ。いざ入らせ給へといふめれど、只点頭きて物をもいはである。左門前にすすみて、八九南の窓の下にむかへ、座につかしめ、兄長来り給ふことの遅かりしに、老母も待ちわびて、翌こそと臥所に入らせ給ふ。寤させまゐらせんといへるを、赤穴又頭を揺りてとどめつも、更に物をもいはでぞある。左門云ふ。既に九〇夜を続ぎて来し給ふに、心も倦み足も労れ給ふべし。幸に一杯を酌みて歇息ませ給へとて、酒をあたため、下物を列ねてすすむるに、赤穴九一袖をもて面を掩ひ、其の臭ひを嫌み放くるに似たり。左門いふ。九二井臼の力はた款すに足らざれども、己が心なり。いやしみ給ふことなかれ。赤穴猶答へもせで、長嘘をつぎつつ、しばししていふ。賢弟が信ある饗応をなどいなむべきことわりやあらん。欺くに詞なければ、実をもて告ぐるなり。必ずしもあやしみ給ひそ。吾は九三陽世の人にあらず、九四きたなき霊のかりに形を見えつるなり。
左門大いに驚きて、兄長何ゆゑにこの九五あやしきをかたり出で給ふや。更に夢ともおぼえ侍らず。赤穴いふ。賢弟とわかれて国にくだりしが、国人大かた経久が勢ひに服きて、塩冶の恩を顧るものなし。従弟なる赤穴丹治、富田の城にあるを訪ひしに、利害を説きて吾を経久に見えしむ。仮に其の詞を容れて、つらつら経久がなす所を見るに、九六万夫の雄人に勝れ、よく士卒を習練すといへども、九七智を用ふるに狐疑の心おほくして、九八腹心爪牙の家の子なし。永く居りて益なきを思ひて、賢弟が菊花の約ある事をかたりて去らんとすれば、経久怨める色ありて、丹治に令し、吾を九九大城の外にはなたずして、遂にけふにいたらしむ。此の約にたがふものならば、賢弟吾を一〇〇何ものとかせんと、ひたすら思ひ沈めども遁るるに方なし。いにしへの人のいふ。一〇一人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆくと。此のことわりを思ひ出でて、みづから刃に伏し、今夜一〇二陰風に乗りてはるばる来り菊花の約に赴く。一〇三この心をあはれみ給へといひをはりて、泪わき出づるが如し。今は永きわかれなり。只母公によくつかへ給へとて、座を立つと見しが、かき消えて見えずなりにける。
左門慌忙とどめんとすれば、陰風に眼くらみて行方をしらず。俯向につまづき倒れたるままに、声を放ちて大いに哭く。老母目さめ驚き立ちて、左門がある所を見れば、一〇四座上に酒瓶一〇五魚盛りたる皿どもあまた列べたるが中に臥倒れたるを、いそがはしく扶起して、いかにととへども、只一〇六声を呑みて泣く泣くさらに言なし。老母問ひていふ。伯氏赤穴が約にたがふを怨むるとならば、明日なんもし来るには一〇七言なからんものを。汝かくまで一〇八をさなくも愚かなるかとつよく諫むるに、左門漸答へていふ。兄長今夜菊花の約に特来る。一〇九酒殽をもて迎ふるに、再三辞み給うて云ふ。しかじかのやうにて約に背くがゆゑに、自ら刃に伏して陰魂百里を来るといひて見えずなりぬ。それ故にこそは母の眠をも驚したてまつれ。只々赦し給へと潸然と哭入るを、老母いふ。一一〇牢裏に繋がるる人は夢にも赦さるるを見え、渇するものは夢に漿水を飲むといへり。汝も又さる類にやあらん。よく心を静むべしとあれども、左門頭を揺りて、まことに一一一夢の正なきにあらず。兄長は一一二ここもとにこそありつれと、又声を放げて哭倒る。老母も今は疑はず、一一三相叫びて其の夜は哭きあかしぬ。
明くる日、左門母を一一四拝していふ。吾幼きより身を一一五翰墨に托するといへども、国に忠義の聞えなく、家に孝信をつくすことあたはず、一一六徒に天地のあひだに生るるのみ。兄長赤穴は一生を信義の為に終る。小弟けふより出雲に下り、せめては一一七骨を蔵めて信を全うせん。一一八公尊体を保ち給うて、しばらくの暇を給ふべし。老母云ふ。吾が児かしこに去るとも、はやく帰りて老が心を休めよ。永く逗りて一一九けふを旧しき日となすことなかれ。左門いふ。一二〇生は浮きたる漚のごとく、旦にゆふべに定めがたくとも、やがて帰りまゐるべしとて、泪を振うて家を出づ。佐用氏にゆきて老母の介抱を苦に一二一あつらへ、出雲の国にまかる路に、一二二飢ゑて食を思はず、寒きに衣をわすれて、まどろめば夢にも哭きあかしつつ、十日を経て富田の大城にいたりぬ。
先づ赤穴丹治が宅にいきて、一二三姓名をもていひ入るるに、丹治迎へ請じて、一二四翼ある物の告ぐるにあらで、いかでしらせ給ふべき謂なしと、しきりに問尋む。左門いふ。士たる者は富貴一二五消息の事ともに論ずべからず。只信義をもて重しとす。伯氏宗右衛門一旦の約をおもんじ、むなしき魂の百里を来るに一二六報すとて、一二七日夜を逐うてここにくだりしなり。吾が学ぶ所について士に尋ねまゐらすべき旨あり。ねがふは明かに答へ給へかし。昔一二八魏の公叔座病の牀にふしたるに、魏王みづからまうでて手をとりつも告ぐるは、若し一二九諱むべからずのことあらば、誰をして一三〇社稷を守らしめんや。吾がために教を遺せとあるに、叔座いふ。一三一商鞅年少しといへども一三二奇才あり。王若し此の人を用ゐ給はずば、これを殺しても一三三境を出すことなかれ。他の国にゆかしめば、必ずも後の禍となるべしと、苦に教へて、又商鞅を私かにまねき、吾汝を一三四すすむれども王許さざる色あれば、用ゐずばかへりて汝を害し給へと教ふ。是君を先にし、臣を後にするなり。汝速く他の国に去りて害を免るべしといへり。此の事、一三五士と宗右衛門に比へてはいかに。丹治只頭を低れて言なし。左門座をすすみて、伯氏宗右衛門、塩冶が旧交を思ひて尼子に仕へざるは義士なり。士は、旧主の塩冶を捨てて尼子に降りしは士たる義なし。伯氏は菊花の約を重んじ、命を捨てて百里を来しは信ある極なり。士は今尼子に媚びて一三六骨肉の人をくるしめ、此の一三七横死をなさしむるは友とする信なし。経久強ひてとどめ給ふとも、旧しき交りを思はば、私に商鞅叔座が信をつくすべきに、只一三八栄利にのみ走りて一三九士家の風なきは、即ち尼子の家風なるべし。一四〇さるから兄長、何故此の国に足をとどむべき。吾、今信義を重んじて態々ここに来る。汝は又不義のために汚名をのこせとて、いひもをはらず抜打に斬りつくれば、一刀にてそこに倒る。一四一家眷ども立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて一四二跡なし。
尼子経久此のよしを伝へ聞きて、兄弟信義の篤きをあはれみ、左門が跡をも強ひて逐はせざるとなり。一四三咨軽薄の人と交りは結ぶべからずとなん。
一 菊の節句。九月九日重陽の佳節に再会を約束し、魂魄となってそれを果すという主題にもとづく。
二 中国白話小説、范巨卿鶏黍死生交の書出し「種樹莫種垂楊枝、結交莫結軽薄児、楊枝不耐秋風吹、軽薄易結還易離、云々」の翻訳。
三 川柳としだれ柳。
四 兵庫県加古川市。駅は宿場。古来交通の要衝。
五 学者。儒者。
六 甘んじて。
七 家財道具があれこれあるのをうるさく思う。
八 中国戦国時代の人。孟子の母で、孟母三遷、断機の教えで名高い賢母。
九 生活のために人に厄介をかけることができようか。
一〇 連れ。同伴者。
一一 武士らしい風采。
一二 悪性の病熱。
一三 もっともなことであるが。
一四 流行病は人に伝染してその人を害する。范巨卿鶏黍死生交に「瘟病過人」とある。
一五 人間の生死は天命の定めるところである。論語、顔淵篇「死生有命、富貴在天」。
一六 素姓のない人とは思えないが。氏素姓・人品ともにすぐれている。
一七 自分で処方を考えて。
一八 内服の漢方薬は煎薬が多い。
一九 見ず知らずの行きずりの旅人。
二〇 流行病には一定の罹病期間がある。その期間をすぎてしまうと生命をまっとうする。
二一 人に知られぬ隠れた善行。
二二 島根県松江市。
二三 軍学の道をきわめたので。
二四 島根県安来市の東部。今「トダ」という。
二五 一五世紀に出雲にいた武将。代官として富田城にいたが、のち尼子経久に攻めほろぼされた。
二六 一五世紀末、滋賀県を本拠とした武将。塩冶氏の主筋。
二七 一五、六世紀の武将。佐々木氏の配下として出雲の守護代をつとめたが、放逐され、のち再起して中国地方一一国を領した。
二八 山中鹿之介一味を味方として。出雲の豪族で有名な武将。
二九 文明一七年(一四八五)一二月の大晦日。
三〇 不意討ちをして。
三一 守護職の代理として現地にあって実際の政務をとるもの。代官。
三二 三沢も三刀屋も出雲地方の豪族。
三三 いる理由のない所。
三四 単身ひそかにぬけ出して。
三五 後半生。
三六 人の不幸を見殺しにできないのは人間の本性であるから。
三七 鄭重なお礼の言葉をうける理由がない。
三八 養生する。
三九 健康状態がほとんど平生の状態に回復した。
四〇 中国の春秋戦国時代にそれぞれ一派の学説をとなえた思想家・哲学者の総称。またその著述。
四一 ぽつりぽつり。少々。
四二 戦術理論。
四三 確信をもって卓越した話をしたので。
四四 私の幼稚で愚かな心。
四五 才能がなくて。
四六 立身出世する機会。
四七 大丈夫は義を第一とし、義をつらぬきとおすものである。
四八 賢弟から兄としての尊敬をうける。
四九 加古川市尾上町の桜。有名な桜で、諸書・諸歌にひかれている。
五〇 人に問うまでもなくあきらかに知られる初夏。
五一 豆粥をすすり水をのむような貧しい暮らしのなかで親に孝養をつくすこと。菽は豆。豆粥。奴はしもべ。奉仕する。
五二 しばしのお暇。
五三 陰暦九月九日の節句。五節句の一。グミの節句、菊の節句ともいう。
五四 粗酒。謙遜していう。
五五 「月日」の枕詞。
五六 木の下方の枝になっているグミが熟し色づいて。
五七 野菊が色美しく咲いて。
五八 掃除をして。
五九 財布の底をはたいて。
六〇 出雲の国。古事記上「八雲たつ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」。
六一 山陰地方。陰は、山の場合は北、河の場合は南。
六二 饗応の支度をする。代動詞。
六三 その人がどう思うか、そのおもわくが恥かしい。
六四 見渡すかぎり一片の雲もなく。
六五 「旅」の枕詞。
六六 儲け。利益。
六七 前兆。
六八 海面。平穏な海原。
六九 朝早く船出すること。
七〇 岡山県瀬戸内市牛窓町の港。
七一 牛窓の港にむけて船を走らせていたはず。
七二 かえって。
七三 香川県小豆郡の小豆島で、瀬戸内海中の大きな島。いまは「しょうどしま」という。
七四 兵庫県たつの市御津町の港。瀬戸内海航路の要港であった。
七五 こっぴどい目。さんざんな目。
七六 お怒りなさいますな。
七七 兵庫県高砂市阿弥陀町。
七八 くたばり馬めは、眼もあかないのか。馬が物につまずいたのを居眠りでもしていたのだろうとして罵った言葉。
七九 「のみ、まもられて」と訓む。まもるは見まもる。
八〇 人の心のかわりやすいのを秋空にたとえる。「飽き」の掛詞。交り厚く、饗応のこまやかなのを菊の色の濃いことにたとえる。
八一 時節は遅れてしぐれふる秋冬の候になっても。
八二 天の川の星の光がいまにも消えそうに弱って。
八三 月の異名。
八四 夜の静寂に、浪音が高く近く聞こえて、すぐ足もとまでうちよせてくるようである。
八五 ふとみると。中国白話小説によく用いられる語。
八六 黒い影。
八七 風にしたがって。
八八 私。義兄弟の弟としての謙辞。
八九 南面した客間の窓の下。窓の下は客の正座。
九〇 夜を日についで。昼夜兼行で。
九一 すでにこの世の人でない赤穴が、なまぐさいものをきらう様子。
九二 貧しい手料理であるからとてもおもてなしするには不足であるが。井臼の力は、自分で水を汲み米を搗くこと。款すは饗応する。
九三 現世の人。
九四 死霊。亡魂。
九五 どうしてこんな奇怪なことをおっしゃるのですか。
九六 万人に匹敵するほどの雄略があって。
九七 智者を用いるのに疑いぶかい性質がひどく。
九八 主君のために手足となって働く忠実な家臣。
九九 本城。富田城。
一〇〇 義をまもらぬうそつきで信ずるに足りないやつと思われるであろう。
一〇一 范巨卿鶏黍死生交に「古人有云、人不能行千里、魂能日行千里」とある。
一〇二 妖怪や亡霊がのって来る冥途から吹く風。
一〇三 この気持を憐憫をもって汲みとって下さい。
一〇四 客席のあたりに。
一〇五 魚を「な」とよましているから、肴、料理の意。
一〇六 声をたてずに忍び泣きに泣きながら。
一〇七 何ともいうべき言葉がないだろう。
一〇八 子供のように物の道理がわからないのか。
一〇九 酒と肴。
一一〇 范巨卿鶏黍死生交に「古人有云、囚人夢赦、渇人夢漿」とある。牢裏は監獄の中。漿水は飲料水。
一一一 けっして夢のようなそらごとではない。
一一二 このところに。
一一三 互いに声をあげて。
一一四 礼を正して願い出る。
一一五 学問文事に専念してきたとはいいながら。
一一六 無意味にこの世に生きているだけである。
一一七 遺骨を葬って。
一一八 母上には御身をお大切になさって。
一一九 今日の別れを永久の別れの日としないで下さい。
一二〇 人生は水に浮いている泡の如きもので、朝に夕にいつ消えるとも定めがたいものではあるが。范巨卿鶏黍死生交の「生如浮漚、死生之事、旦夕難保」による。
一二一 頼んで。
一二二 ただ赤穴のことのみ思いつづけて、飢えても食をとろうとせず。范巨卿鶏黍死生交の「沿路上饑不択食、寒不思衣」による。
一二三 姓名を名のって面会をもとめると。
一二四 雁の便りにでも託して宗右衛門の死を知らせなければ。
一二五 盛衰。
一二六 その信義に対して、信義をもってむくいようとして。
一二七 夜に日をついで。
一二八 魏は中国古代の一国。公叔座は魏の宰相。この話は史記、商君列伝にある。
一二九 万が一のこと。死ぬこと。
一三〇 宰相としようか。
一三一 のちに秦の宰相となった有名な刑名家。
一三二 世にもまれなすぐれた才能。
一三三 国境から出す。
一三四 推挙したが。
一三五 あなた。貴殿。
一三六 血縁の人。
一三七 非業の死。変死。
一三八 栄達利益にばかりとらわれて。
一三九 真に武士らしい風儀。
一四〇 それだから。
一四一 赤穴丹治の家臣たち。
一四二 行方をくらました。
一四三 ああ、軽薄の人と交わりを結んではならないというが、まさにその通りである。起筆の部分と呼応している。
雨月物語 巻之二
一浅茅が宿
二下総の国葛飾郡真間の郷に、勝四郎といふ男ありけり。祖父より旧しくここに住み、田畠あまた三主づきて家豊かに暮しけるが、四生長りて物にかかはらぬ性より、農作を五うたてき物に厭ひけるままに、六はた家貧しくなりにけり。さるほどに親族おほくにも疎んじられけるを、七朽をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興しなんものをと八左右にはかりける。其の比雀部の曾次といふ人、九足利染の絹を交易するために、年々京よりくだりけるが、此の郷に氏族のありけるを屡来訪ひしかば、かねてより親しかりけるままに、商人となりて京に一〇まうのぼらんことを頼みしに、雀部いとやすく肯ひて、いつの比はまかるべしと聞えける。他がたのもしきをよろこびて、残る田をも販りつくして金に代へ、一一絹素あまた買積みて、京にゆく日を一二もよほしける。
勝四郎が妻宮木なるものは、一三人の目とむるばかりの容に、心ばへも愚かならずありけり。此の度勝四郎が商物買ひて京にゆくといふをうたてきことに思ひ、言をつくして諫むれども、一四常の心のはやりたるにせんかたなく、一五梓弓末のたづきの心ぼそきにも、かひがひしく一六調へて、其の夜は一七さりがたき別れをかたり、かくてはたのみなき女心の、一八野にも山にも惑ふばかり、物うきかぎりに侍り。朝に夕にわすれ給はで、速く帰り給へ。一九命だにとは思ふものの、明をたのまれぬ世のことわりは、武き御心にもあはれみ給へといふに、いかで二〇浮木に乗りつも、しらぬ国に長居せん。二一葛のうら葉のかへるは此の秋なるべし。心づよく待ち給へと、いひなぐさめて、夜も明けぬるに、二二鳥が啼く東を立ち出でて京の方へ急ぎけり。
此年二三享徳の夏、二四鎌倉の御所成氏朝臣、二五管領の上杉と御中放けて、館兵火に跡なく滅びければ、御所は二六総州の御味方へ落ちさせ給ふより、関の東忽ちに乱れて、二七心々の世の中となりしほどに、老いたるは山に逃竄れ、二八弱きは軍民にもよほされ、けふは此所を焼きはらふ、明は敵のよせ来るぞと、女わらべ等は東西に逃げまどひて泣きかなしむ。勝四郎が妻なるものも、いづちへも遁れんものをと思ひしかど、此の秋を待てと聞えし夫の言を頼みつつも、安からぬ心に日をかぞへて暮しける。秋にもなりしかど風の便りもあらねば、二九世とともに憑みなき人心かなと、恨みかなしみ三〇おもひくづほれて、
三一身のうさは人しも告げじあふ坂の
夕づけ鳥よ秋も暮れぬと
かくよめれども、国あまた隔てぬれば、いひおくるべき伝もなし。世の中騒がしきにつれて、人の心も恐ろしくなりにたり。適間とぶらふ人も、宮木がかたちの愛たきを見ては、さまざまにすかしいざなへども、三二三貞の賢き操を守りてつらくもてなし、後は戸を閉てて見えざりけり。一人の婢女も去りて、すこしの貯もむなしく、其の年も暮れぬ。年あらたまりぬれども猶をさまらず。三三あまさへ去年の秋、三四京家の下知として、三五美濃の国郡上の主、三六東の下野守常縁に三七御旗を給びて、三八下野の領所にくだり、氏族三九千葉の実胤とはかりて四〇責むるにより、御所方も固く守りて拒ぎ戦ひけるほどに、いつ果つべきとも見えず。四一野伏等はここかしこに寨をかまへ、火を放ちて財を奪ふ。四二八州すべて安き所もなく、浅ましき世の費なりけり。
勝四郎は雀部に従ひて京にゆき、絹ども残りなく交易せしほどに、当時都は四三花美を好む節なれば、四四よき徳とりて東に帰る用意をなすに、今度上杉の兵鎌倉の御所を陥し、なほ御四五跡をしたうて責討てば、古郷の辺りは四六干戈みちみちて、四七涿鹿の岐となりしよしを四八いひはやす。まのあたりなるさへ偽おほき四九世説なるを、まして五〇しら雲の八重に隔たりし国なれば、心も心ならず、八月のはじめ京をたち出でて、五一岐曾の真坂を日くらしに踰えけるに、落草ども道を塞へて、行李も残りなく奪はれしがうへに、人のかたるを聞けば、是より東の方は所々に新関を居ゑて、旅客の往来をだに宥さざるよし。さては五二消息をすべきたづきもなし。家も兵火にや亡びなん。妻も世に生きてあらじ。しからば古郷とても五三鬼のすむ所なりとて、ここより又京に引きかへすに、近江の国に入りて、にはかにここちあしく、五四熱き病を憂ふ。五五武佐といふ所に、児玉嘉兵衛とて富貴の人あり。是は雀部が妻の五六産所なりければ、五七苦にたのみけるに、此の人見捨てずしていたはりつも、医をむかへて薬の事専らなりし。やや五八ここち清しくなりぬれば、篤き恩を五九かたじけなうす。されど歩む事はまだ六〇はかばかしからねば、今年は思ひがけずもここに春を迎ふるに、いつのほどか此の里にも友をもとめて、六一揉めざるに直き志を賞ぜられて、児玉をはじめ誰々も頼もしく交りけり。此の後は京に出でて雀部を六二とぶらひ、又は近江に帰りて児玉に身を托せ、七とせがほどは夢のごとくに過しぬ。
六三寛正二年、六四畿内河内の国に六五畠山が同根の争ひ果さざれば、京ぢかくも騒がしきに、春の頃より六六瘟疫さかんに行はれて、屍は衢に畳み、人の心も今や六七一劫の尽くるならんと、はかなきかぎりを悲しみける。勝四郎熟思ふに、かく落魄れてなす事もなき身の何をたのみとて遠き国に逗まり、六八由縁なき人の恵をうけて、いつまで生くべき命なるぞ。六九古郷に捨てし人の消息をだにしらで、七〇萱草おひぬる野方に長々しき年月を過しけるは、七一信なき己が心なりける物を。たとへ七二泉下の人となりて、七三ありつる世にはあらずとも、其のあとをももとめて七四壠をも築くべけれと、人々に志を告げて、五月雨のはれ間に七五手をわかちて、十日あまりを経て古郷に帰り着きぬ。
此の時、日ははや西に沈みて、雨雲はおちかかるばかりに闇けれど、旧しく住みなれし里なれば迷ふべうもあらじと、夏野わけ行くに、いにしへの七六継橋も川瀬におちたれば、げに七七駒の足音もせぬに、田畑は七八荒れたきままにすさみて、旧の道もわからず、七九ありつる人居もなし。たまたまここかしこに残る家に人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つつもあらね。いづれか我が住みし家ぞと立ち惑ふに、ここ八〇二十歩ばかりを去りて、雷に摧かれし松の聳えて立てるが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに八一我が軒の標こそ見えつると、先づ喜しきここちしてあゆむに、家は故にかはらであり、人も住むと見えて、古戸の間より灯火の影もれて輝々とするに、八二他人や住む、もし八三其の人や在すかと心躁しく、門に立ちよりて八四咳すれば、内にも速く聞きとりて誰そと咎む。いたう八五ねびたれど正しく妻の声なるを聞きて、夢かと胸のみさわがれて、我こそ帰りまゐりたり。八六かはらで独自浅茅が原に住みつることの不思議さよといふを、八七聞きしりたれば八八やがて戸を明くるに、いといたう黒く垢づきて、眼はおち入りたるやうに、八九結げたる髪も背にかかりて、九〇故の人とも思はれず。夫を見て物をもいはで潸然となく。
勝四郎も九一心くらみて、しばし物をも聞えざりしが、ややしていふは、今までかくおはすと思ひなば、など年月を過すべき。去ぬる年、京にありつる日、鎌倉の兵乱を聞き、九二御所の師潰えしかば、総州に避けて禦ぎ給ふ。管領これを責むる事急なりといふ。其の明雀部にわかれて、八月のはじめ京を立ちて、九三木曾路を来るに、山賊あまたに取りこめられ、衣服金銀残りなく掠められ、命ばかりを辛労じて助かりぬ。且里人のかたるを聞けば、九四東海東山の道はすべて新関を居ゑて人を駐むるよし。又きのふ京より九五節刀使もくだり給ひて、上杉に与し、総州の陣に向はせ給ふ。本国の辺は疾くに焼きはらはれ、九六馬の蹄尺地も間なしとかたるによりて、今は九七灰塵とやなり給ひけん、海にや沈み給ひけんと、ひたすらに思ひとどめて、又京にのぼりぬるより、九八人に餬口ひて七とせは過しけり。近曾九九すずろに物のなつかしくありしかば、せめて其の蹤をも見たきままに帰りぬれど、かくて世におはせんとは努々思はざりしなり。一〇〇巫山の雲、一〇一漢宮の幻にもあらざるやとくりごとはてしぞなき。妻、涙をとどめて、一たび離れまゐらせて後、一〇二たのむの秋より前に恐ろしき世の中となりて、里人は皆家を捨てて海に漂ひ山に隠れば、適に残りたる人は、多く一〇三虎狼の心ありて、かく寡となりしを便りよしとや、言を巧みていざなへども、一〇四玉と砕けても瓦の全きにはならはじものをと、幾たびか辛苦を忍びぬる。一〇五銀河秋を告ぐれども君は帰り給はず。冬を待ち、春を迎へても消息なし。今は京にのぼりて尋ねまゐらせんと思ひしかど、丈夫さへ宥さざる関の鎖を、いかで女の越ゆべき道もあらじと、軒端の一〇六松にかひなき宿に、狐鵂鶹を友として今日までは過しぬ。今は長き恨みもはればれとなりぬることの喜しく侍り。一〇七逢ふを待つ間に恋死なんは人しらぬ恨みなるべしと、又よよと泣くを、夜こそ短きにといひなぐさめて、ともに臥しぬ。
一〇八窓の紙松風を啜りて夜もすがら涼しきに、一〇九途の長手に労れ熟く寝ねたり。一一〇五更の天明けゆく比、一一一現なき心にもすずろに寒かりければ、一一二衾帔かんとさぐる手に、何物にや籟々と音するに目さめぬ。面にひやひやと物のこぼるるを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば、一一三有明月のしらみて残りたるも見ゆ。家は扉もあるやなし。一一四簀垣朽頽れたる間より、荻薄高く生出でて、朝露うちこぼるるに、袖一一五湿ぢてしぼるばかりなり。壁には蔦葛延ひかかり、庭は葎に埋もれて一一六秋ならねども野らなる宿なりけり。
さてしも臥したる妻はいづち行きけん見えず。狐などのしわざにやと思へば、かく荒れ果てぬれど故住みし家にたがはで、広く造り作せし奥わたりより、端の方、稲倉まで一一七好みたるままの形なり。一一八呆自て足の踏所さへ失れたるやうなりしが、熟おもふに、妻は既に死りて、今は狐狸の住みかはりて、かく野らなる宿となりたれば、怪しき鬼の化して一一九ありし形を見せつるにてぞあるべき。若し又我を慕ふ魂のかへり来りてかたりぬるものか。一二〇思ひし事の露たがはざりしよと、更に涙さへ出でず。一二一我が身ひとつは故の身にしてとあゆみ廻るに、むかし閨房にてありし所の簀子をはらひ、土を積みて壠とし、雨露をふせぐまうけもあり。夜の霊はここもとよりやと恐ろしくも且なつかし。一二二水向の具一二三物せし中に、木の端を刪りたるに、一二四那須野紙のいたう古びて、文字も一二五むら消して所々見定めがたき、正しく妻の筆の跡なり。法名といふものも年月もしるさで、三十一字に末期の心を哀れにも展べたり。
一二六さりともと思ふ心にはかられて
世にもけふまでいける命か
ここにはじめて妻の死したるを覚りて、大いに叫びて倒れ伏す。去とて何の年、何の月日に終りしさへしらぬ浅ましさよ。人はしりもやせんと、涙をとどめて立ち出づれば、日高くさし昇りぬ。先づちかき家に行きて主を見るに、一二七昔見し人にあらず。かへりて何国の人ぞと咎む。勝四郎一二八礼まひていふ。此の隣なる家の主なりしが、一二九過活のため京に七とせまでありて、昨の夜帰りまゐりしに、既に荒廃みて人も住ひ侍らず。妻なるものも死りしと見えて、壠の設も見えつるが、一三〇いつの年にともなきに、一三一まさりて悲しく侍り。しらせ給はば教へ給へかし。主の男いふ。一三二哀れにも聞え給ふものかな。我ここに住むもいまだ一とせばかりの事なれば、それよりはるかの昔に亡せ給ふと見えて、住み給ふ人の一三三ありつる世はしり侍らず。すべて此の里の旧き人は兵乱の初めに逃失せて、今住居する人は大かた他より移り来たる人なり。只一人の翁の侍るが、一三四所に旧しき人と見え給ふ。時々あの家にゆきて、亡せ給ふ人の一三五菩提を弔はせ給ふなり。此の翁こそ月日をもしらせ給ふべしといふ。勝四郎いふ。さては其の翁の栖み給ふ家は何方にて侍るや。主いふ。ここより百歩ばかり浜の方に、麻おほく植ゑたる畑の主にて、其所にちひさき庵して住ませ給ふなりと教ふ。勝四郎よろこびてかの家にゆきて見れば、七十可の翁の、腰は一三六浅ましきまで屈りたるが、一三七庭竈の前に一三八円座敷きて茶を啜り居る。翁も勝四郎と見るより、一三九吾主何とて遅く帰り給ふといふを見れば、此の里に久しき漆間の翁といふ人なり。
勝四郎、翁が一四〇高齢をことぶきて、次に京に行きて心ならずも逗まりしより、前夜のあやしきまでを詳にかたりて、翁が壠を築きて祭り給ふ恩のかたじけなきを告げつつも涙とどめがたし。翁いふ。吾主遠くゆき給ひて後は、夏の比より干戈を揮ひ出でて、里人は所々に遁れ、弱き者どもは軍民に召さるるほどに、一四一桑田にはかに狐兎の叢となる。只一四二烈婦のみ主が秋を約ひ給ふを守りて、家を出で給はず。翁も又一四三足蹇ぎて百歩を難しとすれば、深く閉てこもりて出でず。一旦一四四樹神などいふおそろしき鬼の栖む所となりたりしを、稚き女子の一四五矢武におはするぞ、一四六老が物見たる中のあはれなりし。秋去り春来りて、一四七其の年の八月十日といふに死り給ふ。惆しさのあまりに、老が手づから土を運びて柩を蔵め、其の終焉に残し給ひし一四八筆の跡を壠のしるしとして、一四九蘋蘩行潦の祭も心ばかりにものしけるが、翁もとより筆とる事をしもしらねば、其の月日を一五〇紀す事もえせず。寺院遠ければ一五一贈号を求むる方もなくて、五とせを過し侍るなり。今の物がたりを聞くに、必ず烈婦の魂の来り給ひて、旧しき恨みを聞え給ふなるべし。復びかしこに行きて念比にとぶらひ給へとて、杖を曳きて前に立ち、相ともに壠のまへに俯して声を放げて嘆きつつも、其の夜はそこに念仏して明かしける。
勝四郎と漆間の翁がつれだって勝四郎の廃居を訪れた図。「雷に摧かれし松の聳えて立てる」のがあり、家には戸もなく、萩薄などが生い茂っている荒廃のさまが描かれている。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)
寝られぬままに翁かたりていふ。翁が祖父の其の祖父すらも生れぬはるかの往古の事よ。此の郷に一五二真間の手児女といふいと美しき娘子ありけり。家貧しければ身には一五三麻衣に青衿つけて、髪だも梳らず、履だも穿かずてあれど、面は一五四望の夜の月のごと、笑めば花の一五五艶ふが如、綾錦に一五六裹める一五七京女﨟にも勝りたれとて、この里人はもとより、一五八京の防人等、国の隣の人までも、一五九言をよせて恋慕ばざるはなかりしを、手児女物うき事に思ひ沈みつつ、一六〇おほくの人の心に報すとて、一六一此の浦回の波に身を投げしことを、世の哀れなる例とて、いにしへの人は歌にもよみ給ひてかたり伝へしを、翁が稚かりしときに、母のおもしろく話り給ふをさへ、いと哀れなることに聞きしを、一六二此の亡人の心は昔の手児女が一六三をさなき心に一六四幾らをかまさりて悲しかりけんと、かたるかたる涙さしぐみてとどめかぬるぞ、一六五老は物えこらへぬなりけり。勝四郎が悲しみはいふべくもなし。此の物がたりを聞きて、一六六おもふあまりを田舎人の一六七口鈍くもよみける。
いにしへの真間の手児奈をかくばかり
恋ひてしあらん真間のてごなを
思ふ心の一六八はしばかりをもえいはぬぞ、一六九よくいふ人の心にもまさりてあはれなりとやいはん。かの国にしばしばかよふ商人の聞き伝へてかたりけるなりき。
一 茅がまばらに生え、草ぶかく荒れはてた家。
二 千葉県市川市真間。万葉集以来名高く、歌枕。
三 所有して。
四 生れつき物事に無頓着な性質。
五 いやなことだと。
六 ついに。とうとう。
七 口惜しいことだと深く思いこみ。
八 あれこれと思案をめぐらした。
九 栃木県足利市付近から産出した染絹。
一〇 まいり上る、の音便。
一一 染めてない白絹。
一二 準備した。
一三 人目をひくほどの美しい容貌で。
一四 平生思いたったらきかぬ気のうえに、今度は更に思いつめているので、仕方なく。
一五 「末」の枕詞。今後の生活が心細く思われたにもかかわらず。万葉集一二「梓弓末のたづきは知らねども心は君によりにしものを」。
一六 旅支度をととのえて。
一七 離れがたい別れ。
一八 まったく途方にくれるばかりで。古今集一八「いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ」。
一九 命さえあればまた逢えると思うが。古今集八「命だに心にかなふものならばなにか別れの悲しからまし」。
二〇 不安な気持と生活。
二一 「かへる」の序詞。秋の七草の一。帰宅するのは。
二二 「東」の枕詞。東は関東。
二三 享徳四年(一四五五)。
二四 鎌倉公方足利成氏。明応六年(一四九七)没。古河公方。御所はもと将軍をいったが、鎌倉管領が僭称した。
二五 執事が管領を僭称した。成氏が上杉憲忠を謀殺し、憲忠の弟房顕が成氏と戦った。
二六 茨城県古河へ逃げた。
二七 ばらばらで統一のない。
二八 若者は兵卒にかり出され。
二九 悪化する世相とともに。
三〇 がっくりと気落ちして。
三一 あふ坂は京都と滋賀の境の逢坂山。夕づけ鳥は木綿付鳥で鶏の異称、夕と「云う」の懸詞。
三二 義婦・節婦・烈婦(剪灯新話句解の注)。
三三 あまつさえ。そのうえ。
三四 京都室町将軍(義政)。
三五 岐阜県郡上市。
三六 千葉介常胤の後裔。武将で歌人。宗祇の師。生年未詳、文明一六年(一四八四)頃没。
三七 征伐の指揮官に任命して。
三八 下総の誤。千葉県香取郡東庄町。
三九 千葉県市川城主。
四〇 攻める。
四一 野武士。山賊夜盗の類。
四二 関八州。関東地方一帯。
四三 義政将軍の東山時代で、文化風俗は華美であった。
四四 いい儲けを得て。
四五 成氏を追撃して。
四六 たてとほこ。武器。どこもかしこも戦争さわぎで。
四七 戦場。中国河北省東南部の地で、太古、黄帝と蚩尤(シュウ)の戦った所。
四八 世間で評判をする。
四九 世間のうわさ。
五〇 遠く隔たった形容。
五一 長野県木曾郡南木曾町と岐阜県中津川市との境をなす馬籠峠。木曾路の難所。
五二 便りをする方法。
五三 鬼のような人ばかりすんでいるところ。
五四 熱病。
五五 滋賀県近江八幡市武佐。中仙道の宿駅。
五六 実家。
五七 ていねいに。
五八 気分がさっぱりした。
五九 感謝する。
六〇 しっかりしないので。
六一 生れつきの素直で正直な性質を愛されて。
六二 訪ね。
六三 一四六一年。
六四 京都・奈良・大阪と兵庫の一部。山城・大和・河内・和泉・摂津の五国。河内は大阪府。
六五 同根は兄弟。畠山政長と義就の家督相続争いが終りそうもないので。
六六 悪性の流行病。
六七 この世の終りであろうか。劫は、仏教で非常に長い時間をいい、宇宙の生命変遷を四劫にわけている。
六八 親戚関係のない、あかの他人。
六九 妻の宮木。
七〇 故郷を忘れ妻を忘れて、萱草の生えているようなこの土地で。古今集一七「すみよしとあまはつぐとも長居すな人忘れ草おふといふなり」。
七一 実意のない私の心からであったのだ。
七二 あの世の人。
七三 以前のようにこの世に生きていないにしても。
七四 墓。
七五 別れをつげて。
七六 万葉の昔から有名な真間の継橋。真間川にかかっていた。板の橋を長く継いだ橋。
七七 万葉集一四「足(あ)の音せずゆかむ駒もが葛飾の真間の継橋やまずかよはむ」。
七八 荒れ放題に荒れて。
七九 以前あった人家。
八〇 一歩は曲尺の約六尺。二〇歩は約三六メートル。
八一 わが家のめじるし。古来、家の門口に松を植える風習があった。
八二 べつの人。
八三 妻の宮木。
八四 来訪・帰宅をしらせる合図のせきばらい。
八五 ふけているが。
八六 達者で。
八七 夫の声であると聞き知ったので。
八八 すぐに。
八九 結いあげた髪も乱れおちて背にかかり。
九〇 以前の妻の面影はない。
九一 気も動転して。
九二 成氏方が敗れたので。
九三 中仙道の一部。
九四 東海道・東山道。京から関東へ通ずる二大街道。
九五 節度使。天皇から派遣された征討軍の将軍。
九六 軍馬の蹄がみちみちて、すっかりふみにじった。
九七 戦禍をうけて焼け死んだか、溺れ死んだか。
九八 人の許に寄食して。
九九 しきりに。
一〇〇 男女が夢の中で逢って契りを結ぶこと。巫山は中国西南区四川省にある山。文選巻四の高唐賦に、楚の襄王が夢に巫山の女と契ったがこれが実は雲であったという故事。
一〇一 男女が幽明さかいを異にしながらあうこと。漢書の外戚伝に、漢の武帝が方士に命じて李夫人の霊を幻の如く見たという故事。
一〇二 夫の帰宅を頼みにしていた秋。八月一日を「たのむの日」とよぶのにかけた。
一〇三 恐ろしく貪婪な心。
一〇四 操を守って死すとも不義をして命ながらえる道はふむまい。剪燈新話句解の註「寧為玉砕、不為瓦全」。
一〇五 天の河が冴えて秋のきたのを知らせる。
一〇六 松に「待つ」をかける。
一〇七 逢うのを待つ間にこがれ死にしたら、相手からも私の心中を知られずにほんとに口惜しく情けないことであろう。後拾遺集一一「人しれずあふを待つ間に恋ひ死なば何に代へたる命とかいはむ」。
一〇八 窓の障子の破れ目から松風がひたひたと音をたてて吹きこんで。
一〇九 長い道中。
一一〇 午前四時―六時。
一一一 まださめやらぬ夢心地にも何となく寒かったので。
一一二 夜着をかけようと。
一一三 夜があけてもまだ空に残っている月。陰暦一六日以後の月。
一一四 簀掻のあて字。簀子で作ったゆか。
一一五 びっしょり濡れて。
一一六 秋でもないのに秋の野のように草ぶかく荒れはてた家の模様であった。古今集四「里は荒れて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる」。
一一七 かつて自分の好みで造ったままの様子。
一一八 茫然自失のさま。
一一九 妻の生前の姿。
一二〇 帰国する前に想像していたこと。
一二一 「月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今集一五・伊勢物語四にある業平の歌)。
一二二 霊前に供える水を入れる器。
一二三 供える。設ける。代動詞。
一二四 栃木県那須野、烏山付近で産する和紙。
一二五 ところどころ消えて。
一二六 権中納言敦忠卿集にある歌。
一二七 以前の知人。
一二八 ていねいに挨拶して。
一二九 生業。渡世。
一三〇 いつの年死んだとも墓に記してないので。
一三一 いっそう。
一三二 お気の毒なおはなしでございますね。
一三三 生きていた当時。
一三四 この土地に古くからいた人。
一三五 亡き人の冥福を祈っていらっしゃいます。
一三六 ひどく。
一三七 土間に造ったかまど。
一三八 わら・い・すげ等の葉を丸くひらたく渦にして編んだ敷物。
一三九 そなた。お前さん。
一四〇 長寿を祝福して。
一四一 桑畑も耕す者がなくてたちまち狐や兎のすむくさむらとなる。かわり方のはげしいことをいう。
一四二 宮木をさす。
一四三 足がきかなく、歩行不自由になって。
一四四 樹木にやどる霊で、妖怪。人にたたると信じられていた。
一四五 気丈。
一四六 この老人(自分)が見聞したことの中で。
一四七 勝四郎が帰宅を約束した翌年の秋。康正二年(一四五六)。
一四八 前出の和歌をさす。
一四九 死者の霊前に水を供えてまつること。蘋はうき草、蘩はしろよもぎ、行潦は路上の水たまりの水で、粗末なものだが誰でもとれるものであり、心ばかりの供えものの意からきた。
一五〇 記す、とおなじ。
一五一 戒名。法名。
一五二 真間にすんでいた美少女で、その伝説は万葉集の巻三・九・一四などに見え、のちには藤原清輔「奥儀抄」にも見える。ここは万葉集九、高橋連虫麻呂の「詠勝鹿真間娘子歌一首并短歌」と題する歌によっている。
一五三 麻衣も青衿も古代の質素な服装。青衿は野草で染めた衿。
一五四 満月の如く美しく輝き。
一五五 咲きかがやく。
一五六 身にまとった。
一五七 都の貴婦人。
一五八 都から派遣された国庁の武士。防人はもと九州防衛警備兵をいったが、ここはたんに警備の武士。
一五九 いい寄って。
一六〇 多くの人の心にはこたえられず、こたえられなければ多くの人の恨みをうけて罪をかさねることになるから、いっそ死ぬことによって、多くの人の心にむくいよう(秋成の金砂にある説)。
一六一 入江。真間の浦。
一六二 宮木をさす。
一六三 うぶな心。
一六四 どれほどまさって。
一六五 年寄りというものは涙もろくてこらえ性のないもの。
一六六 思いあまった胸の中を。
一六七 口べた。不器用。
一六八 一端。
一六九 うまく歌をよむ人。
一夢応の鯉魚
むかし二延長の頃、三三井寺に四興義といふ僧ありけり。絵に巧なるをもて五名を世にゆるされけり。嘗に画く所、仏像山水花鳥を六事とせず。寺務の間ある日は七湖に小船をうかべて、八網引釣する泉郎に銭を与へ、獲たる魚をもとの江に放ちて、其の魚の遊躍ぶを見ては画きけるほどに、年を経て九細妙にいたりけり。或るときは一〇絵に心を凝して眠をさそへば、ゆめの裏に江に入りて、一一大小の魚とともに遊ぶ。覚むれば即て見つるままを画きて壁に貼し、みづから呼びて夢応の鯉魚と名付けけり。其の絵の妙なるを感でて乞要むるもの一二前後をあらそへば、只花鳥山水は乞ふにまかせてあたへ、鯉魚の絵は一三あながちに惜しみて、人毎に戯れていふ。一四生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に、法師の養ふ魚一五必ずしも与へずとなん。其の絵と一六俳諧とともに天下に聞えけり。
一とせ病に係りて、七日を経て忽ちに眼を閉ぢ、息絶えてむなしくなりぬ。一七徒弟友どちあつまりて嘆き惜しみけるが、只一八心頭のあたりの微し暖かなるにぞ、一九若しやと二〇居めぐりて守りつも三日を経にけるに、手足すこし動き出づるやうなりしが、忽ち長嘘を吐きて、眼をひらき、醒めたるがごとくに起きあがりて、人々にむかひ、我二一人事をわすれて既に久し。幾日をか過しけん。衆弟等いふ。師三日前に息たえ給ひぬ。寺中の人々をはじめ、日比睦じくかたり給ふ二二殿原も詣で給ひて葬の事をもはかり給ひぬれど、只師が心頭の暖かなるを見て、柩にも蔵めでかく守り侍りしに、今や蘇生り給ふにつきて、二三かしこくも物せざりしよと怡びあへり。興義点頭きていふ。誰にもあれ一人、二四檀家の平の助の殿の館に詣りて告さんは、法師こそ不思議に生き侍れ。君今酒を酌み鮮き二五鱠をつくらしめ給ふ。しばらく宴を罷めて寺に詣でさせ給へ。二六稀有の物がたり聞えまゐらせんとて、彼の人々の二七ある形を見よ。我が詞に露たがはじといふ。使異しみながら彼の館に往きて、其の由をいひ入れてうかがひ見るに、主の助をはじめ、令弟の十郎、二八家の子掃守など居めぐりて酒を酌みゐたる。師が詞のたがはぬを奇とす。助の館の人々此の事を聞きて大いに異しみ、先づ箸を止めて、十郎掃守をも召具して寺に到る。
興義枕をあげて、二九路次の労ひをかたじけなうすれば、助も蘇生の賀を述ぶ。興義先づ問ひていふ。君試に我がいふ事を聞かせ給へ。かの漁父文四に魚をあつらへ給ふ事ありや。助驚きて、まことにさる事あり。いかにしてしらせ給ふや。興義、かの漁父三尺あまりの魚を籠に入れて君が門に入る。君は賢弟と三〇南面の所に碁を囲みておはす。掃守傍に侍りて、桃の実の大なるを啗ひつつ三一弈の手段を見る。漁父が大魚を携へ来るを喜びて、三二高杯に盛りたる桃をあたへ、又盃を給うて三三三献飲ましめ給ふ。三四鱠手三五したり顔に魚をとり出でて鱠にせしまで、法師がいふ所三六たがはでぞあるらめといふに、助の人々此の事を聞きて、或は異しみ、或はここち惑ひて、三七かく詳なる言のよしを頻に尋ぬるに、興義かたりていふ。
我此の頃病にくるしみて堪へがたきあまり、其の死したるをもしらず、三八熱きここちすこしさまさんものをと、三九杖に扶けられて門を出づれば、病もやや忘れたるやうにて、籠の鳥の四〇雲井にかへるここちす。山となく里となく行き行きて、又江の畔に出づ。湖水の碧なるを見るより、四一現なき心に浴びて遊びなんとて、そこに衣を脱ぎ去てて、身を跳らして深きに四二飛び入りつも、彼此に游ぎめぐるに、幼より水に狎れたるにもあらぬが、慾ふにまかせて戯れけり。今思へば愚かなる夢ごごろなりし。されども四三人の水に浮かぶは、魚のこころよきにはしかず。ここにて又魚の遊びをうらやむこころおこりぬ。傍にひとつの大魚ありていふ。師のねがふ事いとやすし。待たせ給へとて、杳かの底に去くと見しに、しばしして、冠装束したる人の、前の大魚に胯がりて、許多の四四鼇魚を率ゐて浮かび来たり、我にむかひていふ。四五海若の詔あり。老僧かねて四六放生の功徳多し。今、江に入りて魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて四七水府のたのしみをせさせ給ふ。只餌の香しきに昧まされて、釣の糸にかかり身を亡ふ事なかれといひて、去りて見えずなりぬ。不思議のあまりにおのが身をかへり見れば、いつのまに鱗金光を備へてひとつの鯉魚と化しぬ。
あやしとも思はで、尾を振り鰭を動かして、心のままに逍遥す。まづ四八長等の山おろし、立ちゐる浪に身をのせて、四九志賀の大湾の汀に遊べば、五〇かち人の裳のすそぬらすゆきかひに驚されて、五一比良の高山影うつる、深き水底に五二潜くとすれど、かくれ五三堅田の漁火に五四よるぞうつつなき。五五ぬば玉の夜中の潟にやどる月は、五六鏡の山の峯に清みて、五七八十の湊の八十隈もなくておもしろ。五八沖津嶋山、五九竹生嶋、波に六〇うつろふ六一朱の垣こそおどろかるれ。六二さしも伊吹の山風に、六三旦妻船も漕ぎ出づれば、芦間の夢をさまされ、六四矢橋の渡する人の水なれ棹をのがれては、六五瀬田の橋守にいくそたびか追はれぬ。日あたたかなれば浮かび、風あらきときは千尋の底に遊ぶ。
急にも飢ゑて食ほしげなるに、彼此に六六𩛰り得ずして狂ひゆくほどに、忽ち文四が釣を垂るるにあふ。其の餌はなはだ香し。心又六七河伯の戒を守りて思ふ。我は仏の御弟子なり。しばし食を求め得ずとも、なぞもあさましく魚の餌を飲むべきとてそこを去る。しばしありて飢ますます甚しければ、かさねて思ふに、今は堪へがたし。たとへ此の餌を飲むとも六八嗚呼に捕られんやは。もとより六九他は相識るものなれば、何のはばかりかあらんとて、遂に餌をのむ。文四七〇はやく糸を収めて我を捕ふ。こはいかにするぞと叫びぬれども、他七一かつて聞かず顔にもてなして縄をもて我が七二腮を貫き、芦間に船を繋ぎ、我を籠に押入れて君が門に進み入る。七三君は賢弟と南面の間に弈して遊ばせ給ふ。掃守傍に侍りて七四菓を啗ふ。文四がもて来し大魚を見て、人々大いに感でさせ給ふ。我其のとき人々にむかひ、声をはり上げて、七五旁等は興義をわすれ給ふか。宥させ給へ。寺にかへさせ給へと、連に叫びぬれど、人々しらぬ形にもてなして、只手を拍つて喜び給ふ。鱠手なるもの、まづ我が両眼を左手の指にてつよくとらへ、七六右手に礪ぎすませし七七刀をとりて俎盤にのぼし、七八既に切るべかりしとき、我くるしさのあまりに大声をあげて、七九仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよと哭き叫びぬれど、聞き入れず。終に切らるるとおぼえて夢醒めたりとかたる。人々大いに感で異しみ、師が物がたりにつきて思ふに、八〇其の度ごとに魚の口の動くを見れど、八一更に声を出だす事なし。かかる事まのあたりに見しこそいと不思議なれとて、八二従者を家に走らしめて残れる鱠を湖に捨てさせけり。
平の助の館、表座敷で、助、十郎、掃守等の見まもる中、料理人が鯉を料理しようとする図。興義は「仏弟子を害する例やある。我を助けよ助けよ」と叫んだが、声にならず、やがて鯉の体をはなれてゆく。(原本十丁裏、十一丁表の挿絵)
興義これより病愈えて、杳の後八三天年をもて死りける。其の終焉に臨みて、画く所の鯉魚数枚をとりて湖に散せば、画ける魚八四紙繭をはなれて水に遊戯す。ここをもて興義が絵世に伝はらず。其の弟子八五成光なるもの、興義が八六神妙をつたへて八七時に名あり。八八閑院の殿の八九障子に鶏を画きしに、生ける鶏この絵を見て蹴たるよしを、九〇古き物がたりに載せたり。
一 夢の中で感応してえがいた鯉。
二 九二三―九三一。
三 滋賀県大津市にある天台宗寺門派総本山、長等山園城寺の別称。由緒ふかい寺で、眼下に琵琶湖をのぞむ。
四 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
五 世間から名人という評判をたてられていた。
六 専らとしない。仕事としない。
七 琵琶湖。
八 網をひいたり釣をしたりする漁師。
九 精細巧妙の域に達した。
一〇 絵に心を集中して。
一一 大小種々の魚。
一二 われ先にとあらそいもとめた。
一三 どこまでも惜しんで。
一四 生物を殺したり、鮮魚を食ったりする世間一般の人。
一五 けっして、きっと。
一六 冗談。戯言。「生を殺し鮮を喰ふ云々」の言葉をさす。
一七 弟子の僧と友人たち。
一八 本篇の典拠、魚服記に「心頭微暖」とある。
一九 もしかしたら蘇生するかもしれない。
二〇 まわりをとりまいてみまもりながら。
二一 人事不省になって。失神して。
二二 殿方。かたがた。
二三 葬らなくてよかったことだ。
二四 寺に属する信徒。
二五 生の魚肉を細く切ったもの。魚服記「為我覰群官方食鱠否」。
二六 世にもまれなめずらしいはなしをおはなししましょう。
二七 どんな様子をしているか。
二八 家臣。
二九 わざわざきてくれた足労の礼をのべると。
三〇 表座敷。
三一 囲碁の勝負。
三二 食物を盛る足高の器。
三三 酒を杯に三ばい。十分に飲ませたこと。
三四 調理人。
三五 得意顔に。誇り顔に。
三六 ちがわないでしょう。
三七 こんなにくわしくはっきりと事実を指摘できた理由。
三八 ねつっぽい苦しい心地。魚服記「悪熱求涼」。
三九 杖をたよりに。魚服記「策杖而行」。
四〇 大空。
四一 夢心地に。原文「うつ」
四二 飛びこんで。
四三 人間が水に浮いて泳ぐのは、それがどんなにうまくても、魚が自由自在に泳ぎまわるのにはおよばない。魚服記「人浮不如魚快也」。
四四 魚族。魚類。
四五 海神。湖の神。原文「わたづみ」
四六 ひとの捕えた鳥や魚を放してやること。
四七 水中のたのしみ。水府はもと海底にある水神の居処、竜宮をいった。
四八 三井寺の背後にある長等山から吹きおろす風。
四九 琵琶湖の南西岸、昔の志賀の都付近の海岸。
五〇 徒歩で行く人が着物の裾を濡らすほど水際近くを往来するのにおどろかされ。続古今集六「かち人の汀の氷ふみならしわたれどぬれぬ志賀の大わた」。
五一 琵琶湖の西にある比良山。
五二 もぐろうとするが。
五三 琵琶湖西岸にある。「かくれ難し」の懸詞。
五四 「夜」と「寄る」の懸詞。
五五 「夜」の枕詞。
五六 滋賀県蒲生郡竜王町にある山。歌枕。
五七 多くの港のあらゆるすみずみまで照らし出している情景はおもしろい。
五八 琵琶湖の南岸近く東寄りの沖の島。
五九 琵琶湖の北岸近くにある島。弁財天で名高い。
六〇 うつる。
六一 竹生島弁財天の朱塗りの玉垣。
六二 滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。さしもは、そうとはの意とさしも草(艾草)の掛詞。後拾遺集一一「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじなもゆるおもひを」。
六三 琵琶湖東岸、米原市朝妻筑摩の入江にあった渡船。朝が来ての意を懸ける。
六四 琵琶湖南東岸、草津市矢橋から大津へ渡る舟の船頭の、さばきもあざやかな棹。
六五 琵琶湖南部、瀬田川にかかる唐橋。
六六 もとめたが手に入れることができないで。
六七 河神。湖の神。
六八 おめおめと。うかつに。
六九 文四をさす。
七〇 素早く釣糸をひきあげて。
七一 いっこう。ちっとも。
七二 魚のえら。あご。
七三 平の助をさす。
七四 くだもの。前出の桃。
七五 皆様。あなた方。
七六 「みぎり」と訓ませている。
七七 庖丁。
七八 すんでのことに切ろうとしたとき。
七九 仏に仕える僧を殺すということがあるか。
八〇 興義が魚になって口をきくたびに。
八一 ちっとも。いっこうに。
八二 めしつかい。下僕。
八三 天寿をまっとうして。
八四 画料の紙や絹からぬけ出して。「紙繭」の左右に振り仮名がある。
八五 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
八六 入神の妙技をうけついで。
八七 その時代に名声をあげた。
八八 京都市上京区二条の南、西洞院の西にあった閑院内裏。もと藤原冬嗣の邸で、名園の誇高かったが、一二五九年焼失した。
八九 唐紙。ふすま。
九〇 古今著聞集をさす。同書巻一一、画図一六に「成光閑院の障子に鶏を書きたりけるを、実の鶏見て蹴けるとなん。この成光は三井寺の僧興義が弟子になん侍りける」とある。
雨月物語 巻之三
一仏法僧
二うらやすの国ひさしく、民作業をたのしむあまりに、春は花の下に息ひ、秋は三錦の林を尋ね、四しらぬ火の五筑紫路もしらではと六械まくらする人の、富士七筑波の嶺々を心にしむるぞそぞろなるかな。
伊勢の八相可といふ郷に、拝志氏の人、世をはやく嗣に譲り、九忌むこともなく頭おろして、名を夢然とあらため、従来身に病さへなくて、彼此の旅寝を老のたのしみとする。季子作之治なるものが一〇生長の頑なるをうれひて、京の人見するとて、一一一月あまり二条の別業に逗まりて、三月の末一二吉野の奥の花を見て、知れる寺院に七日ばかりかたらひ、此のついでに、いまだ一三高野山を見ず、いざとて、夏のはじめ青葉の茂みをわけつつ、一四天の川といふより踰えて、一五摩尼の御山にいたる。道のゆくての嶮しきに一六なづみて、おもはずも日かたぶきぬ。
一七壇場、諸堂一八霊廟、残りなく拝みめぐりて、ここに宿からんといへど、一九ふつに答ふるものなし。そこを行く人に二〇所の掟をきけば、寺院僧坊に二一便なき人は、麓にくだりて明すべし。此の山すべて旅人に一夜をかす事なしとかたる。いかがはせん。さすがにも老の身の嶮しき山路を来しがうへに、事のよしを聞きて大きに心二二倦みつかれぬ。作之治がいふ。日もくれ、足も痛みて、いかがして二三あまたのみちをくだらん。二四弱き身は草に臥すとも厭ひなし。只二五病み給はん事の悲しさよ。夢然云ふ。旅はかかるをこそ哀れともいふなれ。今夜二六脚をやぶり、倦みつかれて山をくだるとも、おのが古郷にもあらず。翌のみち又はかりがたし。此の山は二七扶桑第一の霊場、二八大師の広徳かたるに尽きず。二九殊にも来りて通夜し奉り、三〇後世の事たのみ聞ゆべきに、幸の時なれば、霊廟に夜もすがら三一法施したてまつるべしとて、杉の下道のをぐらきを行く行く、霊廟の前なる三二灯籠堂の簀子に上りて、雨具うち敷き座をまうけて、閑に念仏しつつも、夜の更けゆくをわびてぞある。
三三方五十町に開きて、三四あやしげなる林も見えず。小石だも掃ひし三五福田ながら、さすがにここは寺院遠く、三六陀羅尼三七鈴錫の音も聞えず。木立は三八雲をしのぎて茂みさび、三九道に界ふ水の音ほそぼそと清みわたりて物がなしき。寝られぬままに夢然かたりていふ。そもそも大師の四〇神化、土石草木も四一霊を啓きて、四二八百とせあまりの今にいたりて、四三いよよあらたに、いよよたふとし。四四遺芳四五歴踪多きが中に、此の山なん第一の四六道場なり。大師四七いまぞかりけるむかし、遠く四八唐土にわたり給ひ、あの国にて四九感でさせ給ふ事おはして、此の五〇三鈷のとどまる所、我が道を揚ぐる霊地なりとて、杳冥にむかひて抛げさせ給ふが、五一はた此の山にとどまりぬる。五二壇場の御前なる三鈷の松こそ此の物の落ちとどまりし地なりと聞く。すべて此の山の草木泉石霊ならざるはあらずとなん。こよひ五三不思議にもここに一夜をかりたてまつる事、五四一世ならぬ善縁なり。你弱きとて努々信心おこたるべからずと、五五小やかにかたるも清みて心ぼそし。
御廟のうしろの林にと覚えて、五六仏法々々となく鳥の音、山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの啼く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此の山に栖みつるとは聞きしかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに五七滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清浄の地をえらみてすめるよしなり。上野の国五八迦葉山、下野の国五九二荒山、山城の六〇醍醐の峯、河内の六一杵長山、就中此の山にすむ事、大師の六二詩偈ありて世の人よくしれり。
六三寒林独坐草堂暁 三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心 性心雲水倶了々
又ふるき歌に、
六四松の尾の峯静なる曙に
あふぎて聞けば仏法僧啼く
むかし六五最福寺の六六延朗法師は世にならびなき六七法華者なりしほどに、六八松の尾の御神此の鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば、かの神垣にも巣むよしは聞えぬ。六九こよひの奇妙既に一鳥声あり。我ここにありて七〇心なからんやとて、平生のたのしみとする俳諧風の十七言を、しばし七一うちかたぶいていひ出でける。
七二鳥の音も秘密の山の茂みかな
旅硯とり出でて、御灯の光に書きつけ、今一声もがなと耳を倚くるに、思ひがけずも遠く寺院の方より、七三前を追ふ声の厳しく聞えて、やや近づき来たり。何人の夜深けて詣で給ふやと、異しくも恐ろしく、親子顔を見あはせて息をつめ、そなたをのみまもり居るに、はや前駆の若侍、七四橋板をあららかに踏みてここに来る。
おどろきて堂の右に潜みかくるるを、武士はやく見つけて、何者なるぞ、七五殿下のわたらせ給ふ。疾く下りよといふに、あわただしく簀子をくだり、土に俯して七六跪る。程なく多くの足音聞ゆる中に、沓音高く響きて、烏帽子七七直衣めしたる貴人、堂に上り給へば、従者の武士四五人ばかり右左に座をまうく。かの貴人、人々に向ひて、誰々はなど来らざると課せらるるに、やがてぞ参りつらめと奏す。又一群の足音して、威儀ある武士、頭まろげたる入道等うち交りて、七八礼たてまつりて堂に昇る。貴人、只今来りし武士にむかひて、七九常陸は何とておそく参りたるぞとあれば、かの武士いふ。八〇白江熊谷の両士、公に八一大御酒すすめたてまつるとて八二実やかなるに、臣も八三鮮き物一種調じまゐらせんため、御従に後れたてまつりぬと奏す。はやく酒殽をつらねてすすめまゐらすれば、八四万作酌まゐれとぞ課せらる。恐りて、美相の若士膝行りよりて八五瓶子を捧ぐ。かなたこなたに杯をめぐらしていと興ありげなり。
高野山奥の院、灯籠堂の前で、深夜、夢然・作之治父子が、関白秀次とその家臣たちの亡霊にあう図。先駆の武士が父子を叱っているところ。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)
貴人又曰はく、絶えて八六紹巴が説話を聞かず、召せと、八七の給ふに、呼びつぐやうなりしが、八八我が跪りし背の方より、八九大いなる法師の、面九〇うちひらめきて、九一目鼻あざやかなる人の、僧衣かいつくろひて座の末にまゐれり。貴人九二古語かれこれ問ひ弁へ給ふに、詳に答へたてまつるを、いといと感でさせ給うて、九三他に禄とらせよとの給ふ。
一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は九四大徳の啓き給うて、土石草木も九五霊なきはあらずと聞く。さるに九六玉川の流れには毒あり。人飲む時は斃るが故に、大師のよませ給ふ歌とて、
九七わすれても汲みやしつらん旅人の
高野の奥の玉川の水
といふことを聞き伝へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、九八など涸せては果し給はぬや。いぶかしき事を九九足下にはいかに弁へ給ふ。
法師笑をふくみていふは、此の歌は一〇〇風雅集に撰み入れ給ふ。其の一〇一端詞に、高野の奥の院へまゐる道に、玉川といふ河の水上に毒虫おほかりければ、此の流を飲むまじきよしをしめしおきて後よみ侍りける、とことわらせ給へば、足下のおぼえ給ふ如くなり。されど今の御疑ひ一〇二僻言ならぬは、大師は神通自在にして一〇三隠神を役して道なきをひらき、巌を鐫るには土を穿つよりも易く、大蛇を一〇四禁め、化鳥を一〇五奉仕へしめ給ふ事、天が下の人の仰ぎたてまつる功なるを思ふには、此の歌の端の詞ぞ一〇六まことしからね。もとより此の一〇七玉河てふ川は国々にありて、いづれをよめる歌も、其の流れのきよきを誉げしなるを思へば、ここの玉川も毒ある流れにはあらで、歌の意も、一〇八かばかり名に負ふ河の此の山にあるを、ここに詣づる人は一〇九忘る忘るも、流れの清きに愛でて手に掬びつらんとよませ給ふにやあらんを、後の人の毒ありといふ一一〇狂言より、此の端詞はつくりなせしものかとも思はるるなり。又深く疑ふときには、此の歌の調、一一一今の京の初の口風にもあらず。おほよそ此の国の古語に、一一二玉蘰一一三玉簾一一四珠衣の類は、形をほめ清きを賞むる語なるから、清水をも玉水玉の井玉河ともほむるなり。毒ある流れをなど一一五玉てふ語は冠らしめん。一一六強に仏をたふとむ人の、歌の意に細妙からぬは、これほどの訛は幾らをもしいづるなり。足下は歌よむ人にもおはせで、此の歌の意異しみ給ふは一一七用意ある事こそと、篤く感でにける。貴人をはじめ人々も此のことわりを頻に感でさせ給ふ。
御堂のうしろの方に、仏法々々と啼く音ちかく聞ゆるに、貴人杯をあげ給ひて、例の鳥絶えて鳴かざりしに、今夜の酒宴に一一八栄あるぞ。紹巴一一九いかにと課せ給ふ。法師かしこまりて、某が一二〇短句、公にも一二一御耳すすびましまさん。ここに旅人の通夜しけるが、今の世の俳諧風をまうして侍る。公にはめづらしくおはさんに召して聞かせ給へといふ。一二二それ召せと課せらるるに、若きさむらひ夢然が方へむかひ、召し給ふぞ、ちかうまゐれと云ふ。一二三夢現ともわかで、おそろしさのままに御まのあたりへはひ出づる。法師夢然にむかひ、前によみつる詞を公に申し上げよといふ。夢然恐る恐る、何をか申しつる、更に覚え侍らず。只赦し給はれと云ふ。法師かさねて、秘密の山とは申さざるや。殿下の問はせ給ふ。いそぎ申し上げよといふ。夢然いよいよ恐れて、殿下と課せ出され侍るは一二四誰にてわたらせ給ひ、かかる深山に夜宴をもよほし給ふや。一二五更にいぶかしき事に侍るといふ。法師答へて、殿下と申し奉るは、一二六関白秀次公にてわたらせ給ふ。人々は一二七木村常陸介、雀部淡路、白江備後、熊谷大膳、粟野杢、日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿、山田三十郎、不破万作、かく云ふは紹巴一二八法橋なり。汝等一二九不思議の御目見えつかまつりたるは。前のことばいそぎ申し上げよといふ。頭に髪あらば一三〇ふとるべきばかりに凄しく一三一肝魂も虚にかへるここちして、振ふ振ふ、一三二頭陀嚢より清き紙取り出でて、筆も一三三しどろに書きつけてさし出すを、主殿取りてたかく吟じ上ぐる。
鳥の音も秘密の山の茂みかな
貴人聞かせ給ひて、一三四口がしこくもつかまつりしな。誰そ此の一三五末句をまうせとのたまふに、山田三十郎座をすすみて、某つかうまつらんとて、しばしうちかたぶきてかくなん。
一三六芥子たき明すみじか夜の牀
一三七いかがあるべきと、紹巴に見する。よろしくまうされたりと、公の前に出すを見給ひて、一三八片羽にもあらぬはと興じ給ひて、又一三九杯を揚げてめぐらし給ふ。
一四〇淡路と聞えし人、にはかに色を違へて、はや一四一修羅の時にや。阿修羅ども御迎ひに来ると聞え侍る。立たせ給へといへば、一座の人々忽ち面に血を灌ぎし如く、いざ一四二石田増田が徒に今夜も一四三泡吹かせんと勇みて立ち躁ぐ。秀次木村に向はせ給ひ、一四四よしなき奴に我が姿を見せつるぞ。他二人も修羅につれ来れと課せある。老臣の人々一四五かけ隔たりて声をそろへ、いまだ命つきざる者なり。一四六例の悪業なせさせ給ひそといふ詞も、人々の形も、遠く雲井に行くがごとし。
親子は気絶えて、しばしがうち一四七死入りけるが、一四八しののめの明けゆく空に、ふる露の冷やかなるに生出でしかど、いまだ明けきらぬ恐ろしさに、一四九大師の御名をせはしく唱へつつ、一五〇漸日出づると見て、いそぎ山をくだり、京にかへりて一五一薬鍼の保養をなしける。一日夢然、三条の橋を過ぐる時、一五二悪ぎやく塚の事思ひ出づるより、かの寺眺められて、白昼ながら物凄しくありけると、京人にかたりしを、そがままにしるしぬ。
一 啼声がブッポーソー、ブッパンニなどと聞こえるフクロウ科のコノハズクで、深山にすむ。
二 心安らかに平穏に治まれる国。日本の美称。
三 錦のようにうつくしい紅葉の林。春は花云々の対。
四 筑紫の枕詞。「知らぬ」に懸ける。
五 ここでは九州の国々。
六 船旅をする人。械は楫。
七 茨城県にあり、古来富士山と並んで関東の名山。
八 三重県多気町相可。
九 不幸があったわけでもないのに薙髪して。
一〇 生来無骨で融通のきかないのを案じて。
一一 一月・二条・三月と数を重ねる修辞法。別業は別邸。ここでは支店ととってよい。
一二 吉野山は桜の名所。下の千本・中の千本・上の千本・奥の千本とある。
一三 和歌山県伊都郡高野町にあり、古義真言宗総本山金剛峯寺がある。
一四 奈良県吉野郡天川町。
一五 高野山の美称。
一六 ゆきなやんで。
一七 東塔より西塔にいたる二町の間をいい、金堂・大塔・灌頂堂・御影堂・愛染堂等の重要な堂塔伽藍がある。
一八 奥の院にある大師廟。
一九 まったく。ちっとも。
二〇 この土地の規約・戒律。
二一 つてのない人。
二二 がっかりして。
二三 長いみちのり。
二四 作之治が自分をさす。
二五 父上が御病気になられはしまいかと。
二六 脚を痛め。
二七 日本の異称。
二八 この山を開基した弘法大師の広大な徳はとても語りつくせない。
二九 わざわざにでも。
三〇 来世の安楽往生をお願いしなければならないが。
三一 霊前で読経念仏すること。
三二 大師廟の前にあり、古くは拝殿・礼堂とよばれ、中に多くの灯籠が奉納されている。
三三 五〇町四方。実際は東西五〇町(五四五〇メートル)南北一〇町余り。
三四 見苦しい林。
三五 仏法僧三宝の徳を敬田・恩田・悲田といい、ここでは、その仏法僧の諸徳がそなわったありがたい霊地の意。
三六 経文の名。翻訳せずに梵語のままで誦する。
三七 鈴と錫の仏具。
三八 雲をおしわけるくらい高くそびえて茂りあい。
三九 道ばたを流れる水。
四〇 神の如き徳化力。
四一 霊魂を宿して。
四二 大師が高野山をひらいたのが弘仁七年(八一六)であり、八百余年後は一七世紀初頭にあたる。
四三 ますます顕著に。
四四 後世につたえられるすぐれた業績。
四五 諸国を遍歴してのこした旧跡。
四六 仏道を修行する場。
四七 御在世中の当時。
四八 大師が唐に渡ったのは延暦二三年(八〇四)。
四九 ふかく感じられたこと。
五〇 仏具で、金剛杵の一種。
五一 その結果。果して。
五二 御影堂の前にある。
五三 思いがけずも。不思議な縁で。
五四 この世だけでなく前世からの善因縁である。
五五 小声で。
五六 秋成の胆大小心録四五に「仏法僧は高野山で聞いたが、ブツパンブツパンとないた。形は見へなんだ」。
五七 この世でおかした罪を消滅して、来世の善因をつくるよい前兆。
五八 群馬県沼田市の北部にある。弥勒寺がある。
五九 栃木県日光市北方にある。
六〇 京都市伏見区にある。
六一 大阪府南河内郡太子町にある山か。
六二 仏徳を讃えるためにつくった詩で、多く四句から成る。
六三 三宝は仏法僧。性心雲水は有情の鳥の性と人心、無情の行雲と流水。了々は悟りの境地に入っている。大師の詩文集、遍照発揮性霊集、巻一〇にある。現代語訳を見よ。
六四 松の尾は、京都市右京区にある山。新撰六帖や夫木集にある藤原光俊の歌。
六五 松の尾にある天台宗の寺。
六六 一二、三世紀の天台宗の高僧。最福寺の住職。
六七 法華経の信奉者。
六八 京都市右京区嵐山宮前町にある松尾神社。
六九 今夜めずらしくも仏法僧の一声を聞くことができた。
七〇 興趣を解し感動せずにおられようか。
七一 首を傾け思案して。
七二 秘密の山は高野山。真言秘密の法を行なう高野山では仏法僧の声も神秘の響をもつ。
七三 先ばらい。前駆。
七四 御廟橋の橋板を荒々しくふんで。
七五 摂政・関白・将軍などをいう。
七六 「うずくまる」意の古語。
七七 ノーシといい、貴人の平服。
七八 礼をして。
七九 木村常陸介重茲。秀次補佐の重臣。
八〇 白江備後守と熊谷大膳亮。ともに秀次の臣。
八一 神や天皇・貴人にたてまつり、賜わる酒。
八二 まめまめしく働いているので。
八三 鮮魚。転じて酒の肴。
八四 不破万作。秀次の近侍。美少年。
八五 酒徳利。
八六 里村紹巴。連歌の名人。信長・秀吉・秀次の恩をうけた。慶長七年(一六〇二)没。
八七 おっしゃる。
八八 夢然を一人称とした。
八九 松永貞徳の戴恩記に「顔おほきにして眉なく、明らかなるひとかは目にて、鼻大きにあざやかに」とある。
九〇 ひらたくて。
九一 目鼻だちのはっきりした人。
九二 故事古語古歌などについてあれこれと問いただす。
九三 紹巴に褒美を与えよ。
九四 徳高き高僧。ここでは弘法大師をさす。
九五 仏徳をうけて霊魂なきものはない。
九六 摩尼・楊柳・転軸の三山に発して、御廟橋の下を流れる小川。
九七 この歌の解には古来異説があるが、忘れても旅人は高野山の奥の玉川の水を汲んで飲んではいけない、毒があるからだ、の意に解すのが普通のようであり、秋成の解は本文に詳述している。風雅集一六に弘法大師作としてある。
九八 どうして水を涸らしてしまわれないのか。
九九 貴殿。対称代名詞。
一〇〇 花園上皇自撰の歌集。貞和二年(一三四六)成立。
一〇一 和歌などの前につける詞書。
一〇二 まちがったこと。
一〇三 目に見えない神を使役して。
一〇四 封じこめ。
一〇五 帰順せしめ。
一〇六 本当とは思えない。
一〇七 六玉川として有名。井出玉川、京都府綴喜郡井手町。野路玉川、滋賀県草津市。擣衣玉川、大阪府高槻市。高野玉川、和歌山県高野山。調布玉川、東京都西多摩郡。野田玉川、宮城県塩釜市付近。歌枕。
一〇八 これほど有名な。
一〇九 すっかり忘れていても。
一一〇 道理にはずれた妄説。
一一一 平安朝初期の歌風ではない。すなわち、弘法大師の作ではないの意を暗示する。
一一二 多くの玉を緒でつらぬいたもので、頭の飾り。
一一三 玉などを飾ったすだれ。またすだれの美称。
一一四 玉をつけた着物。また着物の美称。
一一五 玉という語。
一一六 むやみに仏をありがたがって尊ぶ人で。
一一七 たしなみのふかいことである。
一一八 ひとしお興を加えたことである。
一一九 一句どうだ。
一二〇 連歌の一句。
一二一 お聞きふるしでいらっしゃいましょう。
一二二 その者を召し出せ。
一二三 無我夢中で。
一二四 どなたでいらっしゃって。
一二五 いよいよ不審なことでございます。
一二六 秀吉の甥で、秀吉の猶子となり、内大臣から関白になったが、秀吉に実子の秀頼が誕生するにおよんで威勢を失い、官位を奪われて高野山に逐われ、文禄四年(一五九五)七月、青巖寺で自刃。二八歳。
一二七 以下の人々はいずれも秀次腹心の臣で、大半は秀次に殉じて死んだ。
一二八 僧の位で、法印・法眼につぐ。後には文人・画家・医師にも授かった。
一二九 不思議の御縁で拝顔の栄をえたのであるぞ。
一三〇 一瞬にして毛髪がふとくなるほどの恐ろしさ。
一三一 肝も魂も身をはなれて宙にうくような心地。
一三二 首から胸にかける袋で、近世には多く旅行用に用いられた。
一三三 とり乱すさま。
一三四 うまく、小ざかしくも詠んだな。
一三五 付句。五七五にたいしてつける七七。
一三六 芥子は真言宗で焚いて加持祈祷に用いる。みじか夜は夏の夜。牀は護摩壇。芥子を焚きながら短い夏の夜を、護摩壇のそばで護摩の秘法を行なってあかす。
一三七 どうでしょうか。
一三八 片端。不十分。不完全。下手でもない。
一三九 杯に酒をみたして。
一四〇 雀部淡路とよばれた人。
一四一 闘争を事とする鬼神阿修羅の略。もはや争闘のはじまる時刻になった。
一四二 石田三成と増田長盛。ともに秀吉の重臣で、秀次を讒言して死にいたらしめた。
一四三 ひどいめにあわせてやろう。
一四四 つまらぬやつ。
一四五 その間にわって入って。両者をへだてて。
一四六 殺生残虐を好むいつもの悪い所行。
一四七 失神したが。
一四八 「明け」の枕詞。
一四九 南無大師遍照金剛ととなえた。
一五〇 ようやく。やっと。
一五一 薬をのんだり鍼をうったりして治療養生した。
一五二 京都三条小橋の東南岸、瑞泉寺内にある悪逆塚。畜生塚ともいう。秀次の首、および妻子侍妾三十余人の首を埋め、僧慶順が、文禄四年(一五九五)に建立した。その後、角倉了意があらたに碑を建てて現存する。
一吉備津の釜
二妒婦の養ひがたきも、老いての後其の功を知ると。咨これ何人の語ぞや。害の甚しからぬも、三商工を妨げ物を破りて、四垣の隣の口をふせぎがたく、害の大なるにおよびては、家を失ひ、国をほろぼして、天が下に笑を伝ふ。いにしへより五此の毒にあたる人、幾許といふ事をしらず。死して六蟒となり、或は七霹靂を震うて怨を報ふ類は、其の肉を八醢にするとも飽くべからず。さるためしは希なり。夫のおのれをよく脩めて九教へなば、此の患おのづから避くべきものを、只一〇かりそめなる徒ことに、女の一一慳しき性を募らしめて、其の身の憂をもとむるにぞありける。一二禽を制するは気にあり。婦を制するは其の夫の雄々しきにありといふは、現にさることぞかし。
一三吉備の国賀夜郡庭妹の郷に、井沢庄太夫といふものあり。祖父は播磨の一四赤松に仕へしが、去んぬる一五嘉吉元年の乱に、一六かの館を去りてここに来り、庄太夫にいたるまで三代を経て、一七春耕し、秋収めて、家豊かにくらしけり。一子正太郎なるもの農業を厭ふあまりに、酒に乱れ色に酖りて、父が一八掟を守らず。父母これを嘆きて私かにはかるは、一九あはれ良人の女子の皃よきを娶りて二〇あはせなば、渠が身もおのづから脩まりなんとて、あまねく国中をもとむるに、幸に媒氏ありていふ。二一吉備津の神主香央造酒が女子は、うまれだち秀麗にて、父母にもよく仕へ、かつ歌をよみ、二二箏に工みなり。従来かの家は二三吉備の鴨別が裔にて家系も正しければ、君が家に二四因み給ふは二五果吉祥なるべし。此の事の就らんは二六老が願ふ所なり。二七大人の御心いかにおぼさんやといふ。庄太夫大いに怡び、二八よくも説かせ給ふものかな。此の事我が家にとりて二九千とせの計なりといへども、香央は此の国の貴族にて、我は氏なき三〇田夫なり。三一門戸敵すべからねば、おそらくは肯ひ給はじ。媒氏の翁笑をつくりて、大人の謙り給ふ事甚し。我かならず三二万歳を諷ふべしと、往きて香央に説けば、彼方にもよろこびつつ、妻なるものにもかたらふに、妻もいさみていふ。我が女子既に十七歳になりぬれば、朝夕に三三よき人がな娶せんものをと、心も三四おちゐ侍らず。はやく日をえらみて三五聘礼を納れ給へと、強にすすむれば、盟約すでになりて、井沢にかへりごとす。即て聘礼を厚くととのへて送り納れ、三六よき日をとりて婚儀を三七もよほしけり。
猶幸を神に祈るとて、三八巫子祝部を召しあつめて、三九御湯をたてまつる。そもそも当社に祈誓する人は、四〇数の祓物を供へて御湯を奉り、吉祥凶祥を占ふ。巫子祝詞をはり、湯の沸上るにおよびて、吉祥には釜の鳴る音牛の吼ゆるが如し。凶きは釜に音なし。是を吉備津の御釜祓といふ。さるに香央が家の事は、神の四一祈けさせ給はぬにや、只秋の虫の叢にすだくばかりの声もなし。ここに疑ひをおこして、此の祥を妻にかたらふ。妻四二更に疑はず。御釜の音なかりしは、祝部等が身の清からぬにぞあらめ。既に聘礼を納めしうへ、かの四三赤縄に繋ぎては、仇ある家、異なる域なりとも易ふべからずと聞くものを。ことに井沢は四四弓の本末をもしりたる人の流にて、四五掟ある家と聞けば、今否むとも承はじ。ことに四六佳婿の麗なるをほの聞きて、我が児も日をかぞへて待ちわぶる物を、今のよからぬ言を聞くものならば、四七不慮なる事をや仕出ださん。其のとき悔ゆるともかへらじと、言を尽して諫むるは、まことに女の四八意ばへなるべし。香央も従来ねがふ因なれば深く疑はず、妻のことばに従きて、婚儀ととのひ、両家の親族氏族、四九鶴の千とせ、亀の万代をうたひことぶきけり。
香央の女子磯良、かしこに往きてより、夙に起き、おそく臥して、常に舅姑の傍を去らず、五〇夫が性をはかりて、心を尽して仕へければ、井沢夫婦は五一孝節を感でたしとて歓びに耐へねば、正太郎も其の志に愛でてむつまじくかたらひけり。されど五二おのがままの姧けたる性はいかにせん。いつの比より五三鞆の津の袖といふ五四妓女にふかくなじみて、遂に五五贖ひ出し、ちかき里に別荘をしつらひ、かしこに日をかさねて家にかへらず。磯良これを怨みて、或ひは舅姑の忿に五六托せて諫め、或ひは徒なる心をうらみかこてども、五七大虚にのみ聞きなして、後は五八月をわたりてかへり来らず。父は磯良が五九切なる行止を見るに忍びず、正太郎を責めて押籠めける。磯良これを悲しがりて、六〇朝夕の奴も殊に実やかに、かつ袖が方へも私に物を餉りて、信のかぎりをつくしける。
一日父が宿にあらぬ間に、正太郎磯良を六一かたらひていふ。御許の信ある操を見て、今はおのれが身の罪をくゆるばかりなり。かの女をも古郷に送りてのち、父の六二面を和め奉らん。六三渠は播磨の六四印南野の者なるが、親もなき身の六五浅ましくてあるを、いと六六かなしく思ひて憐をもかけつるなり。我に捨てられなば、はた六七船泊りの妓女となるべし。おなじ六八浅ましき奴なりとも、京は人の情もありと聞けば、渠をば京に送りやりて、六九栄ある人に仕へさせたく思ふなり。我かくてあれば万に貧しかりぬべし。七〇路の代、身にまとふ物も、誰が七一はかりごとしてあたへん。七二御許此の事をよくして渠を恵み給へと、ねんごろに七三あつらへけるを、磯良いとも喜しく、此の事安くおぼし給へとて、私におのが衣服調度を金に貿へ、猶香央の母が許へも偽りて金を乞ひ、正太郎に与へける。此の金を得て密に家を脱れ出で、袖なるものを倶して、京の方へ逃げのぼりける。かくまでたばかられしかば、今はひたすらにうらみ歎きて、遂に重き病に臥しにけり。井沢香央の人々、七四彼を悪み此を哀みて、専ら七五医の験をもとむれども、七六粥さへ日々にすたりて、よろづにたのみなくぞ見えにけり。
ここに播磨の国印南郡七七荒井の里に、彦六といふ男あり。渠は袖とちかき従弟の因あれば、先づこれを訪うて、しばらく足を休めける。彦六、正太郎にむかひて、京なりとて七八人ごとにたのもしくもあらじ。ここに駐まられよ。七九一飯をわけて、ともに過活のはかりごとあらんと、たのみある詞に心おちゐて、ここに住むべきに定めける。彦六、我が住むとなりなる破屋をかりて住ましめ、友得たりとて怡びけり。しかるに袖、八〇風のここちといひしが、八一何となく悩み出でて、八二鬼化のやうに狂はしげなれば、ここに来りて幾日もあらず、此の禍に係る悲しさに、八三みづからも食さへわすれて八四抱き扶くれども、只八五音をのみ泣きて、八六胸窮り堪へがたげに、八七さむれば常にかはるともなし。八八窮鬼といふものにや、八九古郷に捨てし人のもしやと九〇独むね苦し。彦六これを諫めて、いかでさる事のあらん。九一疫といふものの悩ましきはあまた見来りぬ。九二熱き心少しさめたらんには、夢わすれたるやうなるべしと、やすげにいふぞたのみなる。看々露ばかりのしるしもなく、七日にして空しくなりぬ。天を仰ぎ、地を敲きて哭悲しみ、九三ともにもと物狂はしきを、さまざまといひ和めて、かくてはとて遂に九四曠野の烟となしはてぬ。骨をひろひ壠を築きて九五塔婆を営み、僧を迎へて菩提のことねんごろに弔ひける。
正太郎今は俯して九六黄泉をしたへども九七招魂の法をももとむる方なく、仰ぎて古郷をおもへば、かへりて地下よりも遠きここちせられ、九八前に渡なく、後に途をうしなひ、昼は九九しみらに打臥して、夕々ごとには壠のもとに詣でて見れば、小草はやくも繁りて、虫のこゑすずろに悲し。一〇〇此の秋のわびしきは我が身ひとつぞと思ひつづくるに、一〇一天雲のよそにも同じなげきありて、ならびたる新壠あり。ここに詣づる女の、世にも悲しげなる形して、花をたむけ水を灌ぎたるを見て、あな哀れ、わかき御許のかく一〇二気疎きあら野にさまよひ給ふよといふに、女かへり見て、我が身夕々ごとに詣で侍るには、一〇三殿はかならず前に詣で給ふ。一〇四さりがたき御方に別れ給ふにてやまさん。御心のうち一〇五はかりまゐらせて悲しと潸然となく。正太郎いふ。一〇六さる事に侍り。十日ばかりさきに一〇七かなしき婦を亡ひたるが、一〇八世に残りて憑みなく侍れば、ここに詣づることをこそ一〇九心放にものし侍るなれ。御許にも一一〇さこそましますなるべし。女いふ。かく詣でつかうまつるは、一一一憑みつる君の御迹にて、いついつの日ここに葬り奉る。家に残ります一一二女君のあまりに嘆かせ給ひて、此の頃は一一三むつかしき病にそませ給ふなれば、かくかはりまゐらせて、香花をはこび侍るなりといふ。正太郎云ふ。一一四刀自の君の病み給ふもいとことわりなるものを。そも一一五古人は何人にて、家は何地に住ませ給ふや。女いふ。憑みつる君は、此の国にては一一六由縁ある御方なりしが、人の讒にあひて領所をも失ひ、今は此の野の隈に侘しくて住ませ給ふ。女君は一一七国のとなりまでも聞え給ふ美人なるが、一一八此の君によりてぞ家所領をも亡くし給ひぬれとかたる。此の物がたりに一一九心のうつるとはなくて、一二〇さてしもその君のはかなくて住ませ給ふはここちかきにや。訪ひまゐらせて、同じ悲しみをも一二一かたり和まん。一二二倶し給へといふ。家は殿の来らせ給ふ道の一二三すこし引き入りたる方なり。一二四便りなくませば時々訪はせ給へ。一二五待ち侘び給はんものをと前に立ちてあゆむ。
一二六二丁あまりを来てほそき径あり。ここよりも一丁ばかりをあゆみて、一二七をぐらき林の裏にちひさき一二八草屋あり。竹の扉のわびしきに、七日あまりの月のあかくさし入りて、一二九ほどなき庭の荒れたるさへ見ゆ。ほそき灯火の光窓の紙をもりてうらさびし。ここに待たせ給へとて内に入りぬ。苔むしたる古井のもとに立ちて見入るに、唐紙すこし明けたる間より、一三〇火影吹きあふちて、一三一黒棚のきらめきたるもゆかしく覚ゆ。女出で来りて、御訪ひのよし申しつるに、入らせ給へ、一三二物隔ててかたりまゐらせんと、端の方へ膝行り出で給ふ。彼所に入らせ給へとて、一三三前栽をめぐりて奥の方へともなひ行く。一三四二間の客殿を人の入るばかり明けて、低き屏風を立て、古き衾の端出でて、主はここにありと見えたり。正太郎かなたに向ひて、一三五はかなくて病にさへそませ給ふよし。おのれも一三六いとほしき妻を亡ひて侍れば、おなじ悲しみをも一三七問ひかはしまゐらせんとて、一三八推して詣で侍りぬといふ。あるじの女、屏風すこし引きあけて、めづらしくもあひ見奉るものかな。一三九つらき報いの程しらせまゐらせんといふに、驚きて見れば、古郷に残せし磯良なり。顔の色いと青ざめて、一四〇たゆき眼すざましく、我を指したる手の青くほそりたる恐ろしさに、一四一あなやと叫んでたふれ死す。
正太郎が未亡人を訪ねた図。未亡人は実は磯良の怨霊で、屏風すこし引きあけて、「めづらしくもあひ見奉るものかな。つらき報いの程しらせまゐらせん」という。正太郎は「あなや」と叫んで倒れた。(原本十三丁裏、十四丁表の挿絵)
時うつりて生出づ。眼をほそくひらき見るに、家と見しはもとありし荒野の一四二三昧堂にて、黒き仏のみぞ立たせまします。一四三里遠き犬の声を力に、家に走りかへりて、彦六にしかじかのよしをかたりければ、一四四なでふ狐に欺かれしなるべし。心の臆れたるときはかならず一四五迷はし神の魘ふものぞ。足下のごとく虚弱き人のかく患に沈みしは、神仏に祈りて一四六心を収めつべし。一四七刀田の里にたふとき一四八陰陽師のいます。一四九身禊して一五〇厭符をも戴き給へと、いざなひて陰陽師の許にゆき、はじめより詳にかたりて此の占をもとむ。陰陽師占べ考へていふ。災すでに一五一窮りて易からず。さきに一五二女の命をうばひ、怨猶尽きず。足下の命も旦夕にせまる。此の一五三鬼世をさりぬるは七日前なれば、一五四今日より四十二日が間、戸を閉てて一五五おもき物斎すべし。我が禁を守らば一五六九死を出でて全からんか。一五七一時を過るともまぬがるべからずと、かたくをしへて、筆をとり、正太郎が背より手足におよぶまで、一五八篆籀のごとき文字を書き、猶一五九朱符あまた紙にしるして与へ、此の一六〇呪を戸毎に貼して神仏を念ずべし。あやまちして身を亡ぶることなかれと教ふるに、一六一恐れみかつよろこびて家にかへり、朱符を門に貼し、窓に貼して、おもき物斎にこもりける。
其の夜一六二三更の比、おそろしきこゑして、あなにくや、ここにたふとき一六三符文を設けつるよとつぶやきて、復び声なし。おそろしさのあまりに長き夜を一六四かこつ。程なく夜明けぬるに一六五生出でて、急ぎ彦六が方の壁を敲きて夜の事をかたる。彦六もはじめて陰陽師が詞を一六六奇なりとして、おのれも其の夜は寝ねずして三更の比を待ちくれける。松ふく風物を僵すがごとく、雨さへふりて一六七常ならぬ夜のさまに、壁を隔てて声をかけあひ、既に一六八四更にいたる。一六九下屋の窓の紙にさと赤き光さして、あな悪や、ここにも貼しつるよといふ声、深き夜にはいとど凄しく、髪も一七〇生毛もことごとく聳立ちて、しばらくは死に入りたり。明くれば夜のさまをかたり、暮るれば明くるを慕ひて、一七一此の月日頃千歳を過ぐるよりも久し。かの鬼も夜ごとに家を繞り、或は屋の棟に叫びて、忿れる声一七二夜ましにすざまし。
かくして四十二日といふ其の夜にいたりぬ。今は一七三一夜にみたしぬれば、殊に慎みて、一七四やや五更の天もしらじらと明けわたりぬ。長き夢のさめたる如く、やがて彦六をよぶに、一七五壁によりていかにと答ふ。おもき物いみも既に満てぬ。絶えて兄長の面を見ず。なつかしさに、かつ此の月頃の憂さ怕ろしさを心のかぎりいひ和まん。眠さまし給へ。我も外の方に出でんといふ。彦六一七六用意なき男なれば、今は何かあらん、いざこなたへわたり給へと、戸を明くる事半ばならず、となりの軒にあなやと叫ぶ声耳をつらぬきて、思はず一七七尻居に座す。こは一七八正太郎が身のうへにこそと、斧引提げて大路に出づれば、一七九明けたるといひし夜はいまだくらく、一八〇月は中天ながら影朧々として、風冷やかに、さて正太郎が戸は明けはなして其の人は見えず。内にや逃げ入りつらんと走り入りて見れども、一八一いづくに竄るべき住居にもあらねば、大路にや倒れけんともとむれども、其のわたりには物もなし。いかになりつるやと、あるひは異しみ、或は恐る恐る、一八二ともし火を挑げてここかしこを見廻るに、明けたる戸腋の壁に一八三腥々しき血灌ぎ流れて地につたふ。されど屍も骨も見えず。月あかりに見れば、軒の端にものあり。ともし火を一八四捧げて照し見るに、男の髪の一八五髻ばかりかかりて、外には一八六露ばかりのものもなし。浅ましくもおそろしさは、一八七筆につくすべうもあらずなん。夜も明けてちかき野山を探しもとむれども、つひに一八八其の跡さへなくてやみぬ。
此の事井沢が家へもいひおくりぬれば、涙ながらに香央にも告げしらせぬ。されば陰陽師が一八九占のいちじるき、一九〇御釜の凶祥もはたたがはざりけるぞ、いともたふとかりけるとかたり伝へけり。
一 岡山県岡山市の吉備津神社に伝わる御釜祓いの神事。
二 嫉妬ぶかい女はとかく手におえないものだが。五雑組、巻八「人有為妬婦解嘲者……故諺有曰、到老方知妬婦功」。
三 家業を妨げ。
四 隣近所からのそしり。
五 嫉妬の害毒。
六 蛇に似た想像上の動物。ここはおろちをいう。
七 すごい雷をならして。
八 肉の塩辛。肉醤。
九 妻を教導したならば。
一〇 ちょっとした浮気。
一一 嫉妬ぶかい性質。
一二 鳥類を制して動けないようにするのは気合による。五雑組、巻八「禽之制在気、然則婦之制夫固有出於勇力之外者矣」。
一三 岡山県岡山市庭瀬。
一四 白旗城に拠った赤松氏。兵庫県上郡町にあった。
一五 一四四一年。赤松満祐が将軍足利義教を殺害した事件。
一六 赤松氏の居城白旗城。
一七 農業を生業として。「荀子」王制「春耕、夏耘、秋収、冬蔵、四者不失時、故五穀不絶而百姓有余食也」。
一八 いいつけ。命令。
一九 ああどうか。
二〇 結婚させたならば。
二一 備中の一の宮、吉備津神社の神主。
二二 十三絃の「こと」。
二三 「日本書記」応神二二年に見える吉備臣の一族、笠臣の祖。
二四 縁組をなさることは。
二五 きっと。
二六 媒酌人の自称。
二七 相手に対する尊称。
二八 いいことをきかせて下さったものです。
二九 家運長久のもとい。
三〇 身分卑しい農民。
三一 家柄がつりあわないから。翠々伝「門戸甚不敵」。
三二 うまくまとめて結婚という運びに致しましょう。
三三 いい相手があったら嫁入りさせたいものだ。
三四 心のやすまるひまもない。
三五 結納をとりかわす。
三六 吉日をえらんで。
三七 とり行なうことになった。
三八 ともに神職で、巫子はおもに女のみこ、祝部は禰宜の下の位。
三九 神前に御湯を供えて御釜祓の神事を行なう。
四〇 数多くのお供物。
四一 御嘉納にならないのであろうか。
四二 いっこう。ちっとも。
四三 夫婦の縁を結んだうえは。幽怪録「問嚢中赤縄、云、繋夫婦之足、雖仇家異域、此縄一繋終不可易」。
四四 ほまれある武門の後裔で。
四五 厳格な家風の家。
四六 婿になるべき人。
四七 とんでもないこと。
四八 母親の立場からした心持であろう。
四九 新夫婦の契りの末長からんことを祝った。淮南子「鶴千歳極其遊、亀経万歳齢」。
五〇 夫の性質をのみこんでそれに順応するように。
五一 舅姑に仕えて孝行であり、夫にかしずいて貞節であるのを感心だとして。
五二 生来のわがままで放蕩な性質。
五三 広島県福山市の港で、古来瀬戸内海の要港。庭瀬の西南六〇余キロ。
五四 遊女。
五五 身請けして。
五六 かこつけて。
五七 まったくうわのそらにききながして。
五八 ひと月以上も。
五九 真心こめた誠実なふるまい。
六〇 朝夕の仕え。奴は忠実に仕えること。
六一 説いて味方にひきいれる。手なずけて。
六二 いかりをなだめやわらげよう。
六三 袖をさす。
六四 兵庫県の加古川と明石川の間の平野で、稲美町付近が中心。歌枕。
六五 身分卑しく不幸な境遇。
六六 かわいそうに思って。
六七 港町の遊女。
六八 卑しい勤めの身。
六九 ちゃんとした身分のある人。
七〇 旅費と衣類。
七一 工面して。都合して。
七二 そなた。
七三 注文して頼む。
七四 正太郎をにくみ、磯良をあわれんで。
七五 医者にかけてその効験をねがいもとめたが。
七六 粥さえだんだんのどをとおらなくなって。
七七 兵庫県高砂市の一部。庭瀬からは東八〇余キロ。
七八 みんながみんな。
七九 一つ釜の飯をわけあって、協力して暮しの工夫をしようではないか。
八〇 風邪の気味。
八一 何ということなくわずらい出して。
八二 もののけでもついたように。
八三 正太郎をさす。
八四 介抱する。看病する。
八五 声をあげて泣くばかりで。
八六 胸がさしこんできて、たえられない様子で。
八七 熱がひき、発作がやむと。
八八 生霊・怨霊というもののたたりであろうか。
八九 磯良がもしかしたら怨霊となってたたりをしているのではなかろうか。
九〇 正太郎はひとりで胸をいためる。
九一 流行病。ここではおこりなどをさす。
九二 熱気がすこしさめたらば。
九三 自分もともに死にたいと狂気のようになっているのを。
九四 野辺に送って火葬にしてしまった。
九五 卒塔婆をたて。
九六 亡き袖のいる冥途を慕ったが。
九七 中国古代にはじまる俗信で、死者の霊魂をこの世によびもどす法。
九八 前に進もうとすれば渡し舟がなく、後に退こうとすれば道がわからなく、進退きわまって途方にくれる状態。
九九 ひねもす。終日。
一〇〇 古今集四「月みれば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」。
一〇一 「よそ」の枕詞。
一〇二 人気のないさびしい荒野。
一〇三 男子に対する敬称。
一〇四 はなれがたい方。肉親。愛する方。
一〇五 御推量申しあげて。
一〇六 さようでございます。
一〇七 いとしい妻。
一〇八 私ひとり生きのこって頼りなく心細い。
一〇九 せめてもの心の慰めとしているのです。
一一〇 同じような事情がおありなのでございましょうね。
一一一 御主人様のお墓で。
一一二 奥方。死んだ人の未亡人。
一一三 重い病気におかかりになられたので。
一一四 一家の主婦。奥方。
一一五 なくなった方。
一一六 由緒ある家柄の御方。
一一七 隣国にまで評判の高い。
一一八 この奥方のことが原因で。
一一九 生来の浮気心がきざしたというわけではないが、何となくひかれて。
一二〇 「さて」を強めた語。
一二一 はなしあってお互いに心の憂さをなぐさめよう。
一二二 一緒につれていって下さい。
一二三 少し横に入った方。
一二四 奥方は頼る方を失って心細くいらっしゃいますから。
一二五 きっとお待ちかねでいらっしゃいましょうよ。
一二六 約二一八メートル。
一二七 薄暗い。
一二八 茅ぶき屋根の家。
一二九 広くもない。狭い。
一三〇 ともしびの光が風に吹きあおられて。
一三一 黒塗りの違い棚。立派な調度である。
一三二 古くは身分ある女性が男子とあう時には、几帳や簾、屏風などを隔ててあうのが礼儀であり、習慣であった。
一三三 植えこみのある前庭。
一三四 柱と柱の間を一間という。
一三五 御主人に先だたれて頼りなくなられたうえに。
一三六 愛妻。
一三七 たずねたりたずねられたりして心を慰めあおうと思って。
一三八 たって参上いたしました。
一三九 ひどい仕打ちにたいする返報がどんなものか思いしらせてあげよう。
一四〇 力なくどろんとした眼。
一四一 キャーッとか、あれえとかいう悲鳴。
一四二 ここは墓地にある慰霊堂。
一四三 遠い人里で吠える犬の声。
一四四 なあに多分狐にだまされたのだろう。
一四五 人を迷わす神がとりつくものだ。
一四六 心をしずめおちつけたがよい。
一四七 兵庫県加古川市北在家付近。刀田山鶴林寺がある。荒井からは東約四キロ。
一四八 ここは占師、加持祈祷師。
一四九 身心をきよめて。
一五〇 魔よけのお守札。
一五一 身辺近く切迫していて容易なことではない。
一五二 袖をさす。
一五三 磯良の怨霊をさす。
一五四 死後四九日の間は霊魂が彼岸へ行かずに中有をさまよっているという仏教の説。
一五五 厳重な謹慎。
一五六 九死に一生を得ることができるかもしれない。
一五七 たとえ一時たりともこの戒めを破ったならば、死を免れないであろう。
一五八 籀文と篆書で、中国古代の書体。
一五九 朱で書いたお守札。
一六〇 まじない札。
一六一 一方では恐れ、また一方ではよろこんで。
一六二 午前零時―二時。
一六三 お守札。
一六四 なげく。
一六五 蘇生した思いで。
一六六 的中したことをいかにも不思議だと思って。
一六七 何か異常なことがおこりそうな不気味な夜の気配。
一六八 午前二時―四時。
一六九 身分低い者などが住む家。ここは破屋。正太郎の家。
一七〇 身の毛もよだって。
一七一 この数十日間というものは、まるで千年をすごすよりも長く思われた。
一七二 一晩ますごとに。
一七三 今夜一夜で物忌みの期間も終るところまできたので。
一七四 しばらくするうちに。
一七五 壁に身を寄せて。
一七六 思慮分別の浅い男。軽はずみなうかつ者。
一七七 尻もちをつく。
一七八 正太郎の身の上に異変が起ったに違いない。
一七九 さっき正太郎が夜が明けたと思ったのは、怨霊にだまされたのである。
一八〇 月は中空にありながら、その光りはぼんやりとおぼろで。
一八一 どこにもかくれることのできるような広い住居でもないので。
一八二 灯火を振って明るくして。
一八三 鮮血。
一八四 高くさしあげて。
一八五 髪を頭の頂で束ねた部分。たぶさ。
一八六 なにひとつない。
一八七 とても書きつくせないほどである。
一八八 形跡さえ見つからなくて、そのままに終った。
一八九 占いがよく的中したこと。
一九〇 御釜祓の凶兆のお告げもはたしてそのまま事実となってあらわれたことは。
雨月物語 巻之四
一蛇性の婬
いつの時代なりけん。紀の国二三輪が崎に、大宅の竹助といふ人在りけり。此の人三海の幸ありて、海郎どもあまた養ひ、四鰭の広物狭き物を尽してすなどり、家豊かに暮しける。男子二人、女子一人をもてり。五太郎は質朴にてよく生産を治む。六二郎の女子は大和の人の𡣞に迎へられて、彼所にゆく。三郎の豊雄なるものあり。生長優しく、常に七都風たる事をのみ好みて、八過活心なかりけり。父是を憂ひつつ思ふは、家財をわかちたりとも即て九人の物となさん。さりとて一〇他の家を嗣がしめんも、はた一一うたてき事聞くらんが一二病しき。只一三なすままに生し立てて、一四博士にもなれかし、一五法師にもなれかし、一六命の極は太郎が一七羈物にてあらせんとて、強ひて一八掟をもせざりけり。此の豊雄、一九新宮の二〇神奴安倍の弓麿を師として行き通ひける。
九月下旬、けふはことに二一なごりなく和ぎたる海の、暴に二二東南の雲を生して、小雨そぼふり来る。師が許にて二三傘かりて帰るに、二四飛鳥の二五神秀倉見やらるる辺より、雨もやや頻なれば、其所なる海郎が屋に立ちよる。あるじの老はひ出でて、こは二六大人の弟子の君にてます。かく二七賤しき所に入らせ給ふぞいと恐まりたる事。是敷きて奉らんとて、二八円座の汚なげなるを二九清めてまゐらす。三〇霎時息むるほどは何か厭ふべき。なあわただしくせそとて休らひぬ。外の方に麗しき声して、此の軒しばし恵ませ給へといひつつ入り来るを、奇しと見るに、年は廿にたらぬ女の、顔容三一髪のかかりいと艶やかに、三二遠山ずりの色よき衣着て、三三丫鬟の十四五ばかりの清げなるに、包みし物もたせ、三四しとどに濡れて三五わびしげなるが、豊雄を見て、面さと打ち赤めて恥かしげなる形の貴やかなるに、三六不慮に心動きて、且思ふは、此の辺にかうよろしき人の住むらんを今まで聞えぬ事はあらじを、此は都人の三七三つ山詣せし次に、海愛しくここに遊ぶらん。さりとて三八男だつ者もつれざるぞいと三九はしたなる事かなと思ひつつ、すこし身退きて、ここに入らせ給へ。雨もやがてぞ休みなんといふ。女、しばし宥させ給へとて、四〇ほどなき住ひなれば、四一つい並ぶやうに居るを、見るに四二近まさりして、此の世の人とも思はれぬばかり美しきに、四三心も空にかへる思ひして、女にむかひ、四四貴なるわたりの御方とは見奉るが、三つ山詣やし給ふらん。四五峯の温泉にや出で立ち給ふらん。かう四六すざましき荒礒を何の見所ありて四七狩りくらし給ふ。ここなんいにしへの人の、
四八くるしくもふりくる雨か三輪が崎
佐野のわたりに家もあらなくに
とよめるは、まこと四九けふのあはれなりける。此の家賤しけれど、おのれが親の五〇目かくる男なり。五一心ゆりて雨休め給へ。そもいづ地旅の御宿りとはし給ふ。御見送りせんも却りて無礼なれば、此の傘もて出で給へといふ。女、いと喜しき御心を五二聞え給ふ。五三其の御思ひに乾してまゐりなん。都のものにてもあらず、此の近き所に年来住みこし侍るが、けふなんよき日とて五四那智に詣で侍るを、暴なる雨の恐ろしさに、やどらせ給ふともしらで、五五わりなくも立ちよりて侍る。ここより遠からねば、此の小休に出で侍らんといふを、五六強に此の傘もていき給へ。五七何の便にも求めなん。雨は五八更に休みたりともなきを。さて御住ひはいづ方ぞ。是より五九使奉らんといへば、新宮の辺にて県の真女児が家はと尋ね給はれ。日も暮れなん。御恵のほどを六〇指戴きて帰りなんとて、傘とりて出づるを、六一見送りつも、あるじが蓑笠かりて家に帰りしかど、猶俤の六二露忘れがたく、しばしまどろむ暁の夢に、かの真女児が家に尋ねいきて見れば、門も家もいと大きに造りなし、六三蔀おろし六四簾垂れこめて、ゆかしげに住みなしたり。真女子出迎ひて、御情わすれがたく待ち恋ひ奉る。此方に入らせ給へとて、奥の方にいざなひ、酒菓子種々と管待しつつ、喜しき酔ごこちに、つひに枕をともにしてかたるとおもへば、夜明けて夢さめぬ。六五現ならましかばと思ふ心の六六いそがしきに、朝食も打ち忘れて六七うかれ出でぬ。
新宮の郷に来て、県の真女子が家はと尋ぬるに、更にしりたる人なし。
六八午時かたぶくまで尋ね労ひたるに、かの丫鬟東の方よりあゆみ来る。豊雄見るより大いに喜び、六九娘子の家はいづくぞ。傘もとむとて尋ね来るといふ。丫鬟打ちゑみて、よくも来ませり。こなたに歩み給へとて、前に立ちてゆくゆく、幾ほどもなく、ここぞと聞ゆる所を見るに、門高く造りなし、家も大きなり。蔀おろし簾たれこめしまで、夢の裏に見しと露違はぬを、奇しと七〇思ふ思ふ門に入る。丫鬟走り入りて、七一おほがさの主詣で給ふを誘ひ奉るといへば、いづ方にますぞ、こち迎へませといひつつ立ち出づるは真女子なり。豊雄、七二ここに安倍の大人とまうすは、年来七三物学ぶ師にてます。彼所に詣づる便に、傘とりて帰るとて七四推して参りぬ。御住居見おきて侍れば、又こそ詣で来んといふを、真女子強にとどめて、七五まろや、七六努出し奉るなといへば、丫鬟立ちふたがりて、おほがさ強ひて恵ませ給ふならずや。其がむくいに強ひてとどめまゐらすとて、腰を押して七七南面の所に迎へける。板敷の間に七八床畳を設けて、七九几帳、八〇御厨子の飾、八一壁代の絵なども、皆古代のよき物にて、八二倫の人の住居ならず。真女子立ち出でて、故ありて八三人なき家とはなりぬれば、八四実やかなる御饗もえし奉らず。只八五薄酒一杯すすめ奉らんとて、八六高坏平坏の清らなるに、海の物山の物盛りならべて、八七瓶子土器擎げて、まろや酌まゐる。豊雄また夢心して、さむるやと思へど、正に現なるを却りて奇しみゐたる。
客も主もともに酔ごこちなるとき、真女子杯をあげて、豊雄にむかひ、八八花精妙桜が枝の水に八九うつろひなす面に、春吹く風を九〇あやなし、梢九一たちぐく鶯の九二艶ある声していひ出づるは、九三面なきことのいはで病みなんも、九四いづれの神になき名負すらんかし。九五努徒なる言にな聞き給ひそ。故は都の生なるが、父にも母にもはやう離れまゐらせて、乳母の許に成長りしを、此の国の九六受領の下司県の何某に迎へられて伴ひ下りしははやく三とせになりぬ。夫は九七任はてぬ此の春、かりそめの病に死し給ひしかば、便なき身とはなり侍る。都の乳母も尼になりて、行方なき修行に出でしと聞けば、九八彼方も又しらぬ国とはなりぬるをあはれみ給へ。きのふの雨のやどりの御恵みに、信ある御方にこそと九九おもふ物から、一〇〇今より後の齢をもて一〇一御宮仕へし奉らばやと願ふを、一〇二汚き物に捨て給はずば、此の一杯に一〇三千とせの契をはじめなんといふ。豊雄、もとよりかかるをこそと一〇四乱心なる思ひ妻なれば、一〇五塒の鳥の飛び立つばかりには思へど、一〇六おのが世ならぬ身を顧れば、親兄弟のゆるしなき事をと、かつ喜しみ、且恐れみて、頓に答ふべき詞なきを、真女児一〇七わびしがりて、女の浅き心より、一〇八嗚呼なる事をいひ出でて、一〇九帰るべき道なきこそ面なけれ。かう浅ましき身を海にも没らで、人の御心を煩はし奉るは罪深きこと。今の詞は徒ならねども、只酔ごこちの一一〇狂言におぼしとりて、ここの海にすて給へかしといふ。
豊雄、はじめより都人の貴なる御方とは見奉るこそ一一一賢かりき。一一二鯨よる浜に生立ちし身の、かく喜しきこと一一三いつかは聞ゆべき。一一四即ての御答もせぬは、親兄に仕ふる身の、おのが物とては爪髪の外なし。何を一一五禄に迎へまゐらせん便もなければ、身の一一六徳なきをくゆるばかりなり。何事をもおぼし耐へ給はば、いかにもいかにも後見し奉らん。一一七孔子さへ倒るる恋の山には、孝をも身をも忘れてといへば、いと喜しき御心を聞きまゐらするうへは、貧しくとも時々ここに一一八住ませ給へ。ここに前の夫の一一九二つなき宝にめで給ふ一二〇帯あり。これ常に帯かせ給へとてあたふるを見れば、金銀を飾りたる太刀の、一二一あやしきまで鍛うたる古代の物なりける。一二二物のはじめに辞みなんは一二三祥あしければとて、とりて納む。今夜はここに明させ給へとて、一二四あながちにとどむれど、まだ一二五赦なき旅寝は、親の一二六罪し給はん。明の夜よく一二七偽りて詣でなんとて出でぬ。其の夜も一二八寝ねがてに明けゆく。
太郎は一二九網子ととのふるとて、一三〇晨て起き出でて、豊雄が閨房の戸の間をふと見入れたるに、消え残りたる灯火の影に、輝々しき太刀を枕に置きて臥したり。あやし。一三一いづちより求めぬらんと一三二おぼつかなくて、戸をあららかに明くる音に目さめぬ。太郎があるを見て、召し給ふかといへば、輝々しき物を枕に置きしは何ぞ。価貴き物は海人の家にふさはしからず。父の見給はばいかに罪し給はんといふ。豊雄、一三三財を費して買ひたるにもあらず。きのふ一三四人の得させしをここに置きしなり。太郎、いかでさる宝をくるる人此の辺にあるべき。一三五あなむつかしの唐言書きたる物を買ひたむるさへ、一三六世の費なりと思へど、父の黙りておはすれば、今までもいはざるなり。其の太刀帯びて一三七大宮の祭を邌るやらん。一三八いかに物に狂ふぞ、といふ声の高きに、父聞きつけて、一三九徒者が何事をか仕出でつる。ここにつれ来よ太郎と呼ぶに、いづちにて求めぬらん、軍将等の佩き給ふべき輝々しき物を買ひたるはよからぬ事、御目のあたりに召して一四〇問ひあきらめ給へ。おのれは網子どもの一四一怠るらんと云ひ捨てて出でぬ。
母、豊雄を召して、さる物一四二何の料に買ひつるぞ。米も銭も太郎が物なり。一四三吾主が物とて何をか持ちたる。日来は一四四為すままにおきつるを、かくて太郎に悪まれなば、天地の中に何国に住むらん。賢き事をも学びたる者が、など是ほどの事一四五わいためぬぞといふ。豊雄、実に買ひたる物にあらず。一四六さる由縁有りて人の得させしを、兄の見咎めてかくのたまふなり。父、何の一四七誉ありてさる宝をば人のくれたるぞ。一四八更におぼつかなき事。只今所縁かたり出でよと罵る。豊雄、此の事只今は一四九面俯なり。人伝に申し出で侍らんといへば、親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと声あららかなるを、太郎の嫁の一五〇刀自傍にありて、此の事一五一愚なりとも聞き侍らん。入らせ給へと宥むるに、一五二つい立ちていりぬ。
豊雄、刀自にむかひて、兄の見咎め給はずとも、密に姉君を一五三かたらひてんと思ひ設けつるに、一五四速く責まるる事よ。一五五かうかうの人の女のはかなくてあるが、後見してよとて賜へるなり。一五六己が世しらぬ身の、御赦さへなき事は重き一五七勘当なるべければ、今さら悔ゆるばかりなるを、姉君よく憐み給へといふ。刀自打ち笑みて、男子のひとり寝し給ふが、兼ねて一五八いとほしかりつるに、いとよき事ぞ。愚なりともよく一五九いひとり侍らんとて、其の夜太郎に、かうかうの事なるは幸におぼさずや。父君の前をもよきにいひなし給へといふ。太郎眉を顰めて、あやし、此の国の守の下司に県の何某と云ふ人を聞かず。我が家一六〇保正なればさる人の亡り給ひしを聞えぬ事あらじを。まづ太刀ここにとりて来よといふに、刀自やがて携へ来るを、よくよく見をはりて、長嘘をつぎつつもいふは、ここに恐ろしき事あり。近来都の大臣殿の一六一御願の事みたしめ給ひて、一六二権現におほくの宝を奉り給ふ。さるに此の神宝ども、一六三御宝蔵の中にて頓に失せしとて、一六四大宮司より国の守に訴へ出で給ふ。守、此の賊を探り捕ふために、一六五助の君文室の広之、大宮司の館に来て、今専に此の事を一六六はかり給ふよしを聞きぬ。此の太刀一六七いかさまにも下司などの帯くべき物にあらず。猶父に見せ奉らんとて、一六八御前に持ちいきて、かうかうの恐ろしき事の一六九あなるは、いかが計らひ申さんといふ。父面を青くして、こは一七〇浅ましき事の出できつるかな。日来は一七一一毛をもぬかざるが、何の報にてかう良からぬ心や出できぬらん。一七二他よりあらはれなば此の家をも絶されん。祖の為子孫の為には、不孝の子一人惜しからじ。明は訴へ出でよといふ。
太郎、夜の明くるを待ちて、大宮司の舘に来り、しかじかのよしを申し出でて、此の太刀を見せ奉るに、大宮司驚きて、是なん大臣殿の献物なりといふに、助聞き給ひて、猶失せし物問ひあきらめん。召捕れとて、武士ら十人ばかり、太郎を前にたててゆく。豊雄、かかる事をもしらで書見ゐたるを、武士ら押しかかりて捕ふ。こは何の罪ぞといふをも聞き入れず縛めぬ。父母、太郎夫婦も、今は一七三浅ましと嘆きまどふばかりなり。一七四公庁より召し給ふ、疾くあゆめとて、一七五中にとりこめて舘に追ひもてゆく。助、豊雄をにらまへて、你神宝を盗みとりしは例なき一七六国津罪なり。猶種々の財は一七七いづちに隠したる。明らかにまうせといふ。豊雄一七八漸此の事を覚り、涙を流して、おのれ一七九更に盗をなさず。かうかうの事にて、県の何某の女が、前の夫の帯びたるなりとて得させしなり。今にもかの女召して、おのれが罪なき事を覚らせ給へ。助いよよ怒りて、我が下司に県の姓を名のる者ある事なし。かく偽るは刑ますます大なり。豊雄、かく捕はれていつまで偽るべき。一八〇あはれかの女召して問はせ給へ。助、武士らに向ひて、県の真女子が家はいづくなるぞ。一八一渠を押して捕へ来れといふ。
武士らかしこまりて、又豊雄を押したてて彼所に行きて見るに、厳しく造りなせし門の柱も朽ちくさり、軒の瓦も大かたは砕けおちて、一八二草しのぶ生ひさがり、人住むとは見えず。豊雄是を見て、只一八三あきれにあきれゐたる。武士らかけ廻りて、一八四ちかきとなりを召しあつむ。一八五木伐る老、一八六米かつ男ら、恐れ惑ひて一八七跪る。武士他らにむかひて、此の家何者が住みしぞ。県の何某が女のここにあるはまことかといふに、鍛冶の翁はひ出でて、さる人の名は一八八かけてもうけたまはらず。此の家三とせばかり前までは、村主の何某といふ人の、一八九賑はしくて住み侍るが、一九〇筑紫に商物積みてくだりし、其の船行方なくなりて後は、家に残る人も散々になりぬるより、絶えて人の住むことなきを、此の男のきのふここに入りて、漸して帰りしを奇しとて、此の一九一漆師の老がまうされしといふに、一九二さもあれ、よく見極めて殿に申さんとて、門押しひらきて入る。
家は外よりも荒れまさりけり。なほ奥の方に進みゆく。前栽広く造りなしたり。池は水あせて水草も皆枯れ、一九三野ら藪生ひ一九四かたぶきたる中に、大きなる松の吹き倒れたるぞ物すざまし。客殿の格子戸をひらけば、腥き風の一九五さと吹きおくりきたるに恐れまどひて、人々後にしりぞく。豊雄只一九六声を呑みて嘆きゐる。武士の中に巨勢の熊檮なる者、一九七胆ふとき男にて、人々我が後に従きて来れとて、一九八板敷をあららかに踏みて進みゆく。塵は一寸ばかり積りたり。鼠の糞一九九ひりちらしたる中に、古き二〇〇帳を立てて、花の如くなる女ひとりぞ座る。熊檮、女にむかひて、国の守の召しつるぞ、急ぎまゐれといへど、答もせであるを、近く進みて捕ふとせしに、忽ち地も裂くるばかりの二〇一霹靂鳴響くに、許多の人逃ぐる間もなくてそこに倒る。然て見るに、女はいづち行きけん見えずなりにけり。
此の床の上に輝々しき物あり。人々恐る恐るいきて見るに、二〇二狛錦、二〇三呉の綾、二〇四倭文、二〇五縑、楯、二〇六槍、二〇七靭、鍬の類、此の失せつる二〇八神宝なりき。武士らこれをとりもたせて、怪しかりつる事どもを詳に訴ふ。助も大宮司も妖怪のなせる事をさとりて、豊雄を責む事をゆるくす。されど二〇九当罪免れず、守の舘にわたされて牢裏に繋がる。大宅の父子多くの物を二一〇賄して罪を贖ふによりて、百日がほどに赦さるる事を得たり。かくて二一一世にたち接らんも面俯なり。姉の大和におはすを訪ひて、しばし彼所に住まんといふ。げにかう憂きめ見つる後は重き病をも得るものなり。二一二ゆきて月ごろを過せとて、人を添へて出でたたす。
二郎の姉が家は、二一三石榴市といふ所に、田辺の金忠といふ商人なりける。豊雄が訪ひ来るを喜び、かつ二一四月ごろの事どもをいとほしがりて、いついつまでもここに住めとて、二一五念頃に労りけり。年かはりて二月になりぬ。此の石榴市といふは、二一六泊瀬の寺ちかき所なりき。二一七仏の御中には泊瀬なんあらたなる事を、唐土までも聞えたるとて、都より辺鄙より詣づる人の、春はことに多かりけり。詣づる人は必ずここに宿れば、軒を並べて旅人をとどめける。
田辺が家は御明灯心の類を商ひぬれば、二一八所せく人の入りたちける中に、都の人の忍びの詣と見えて、いと二一九よろしき女一人、丫鬟一人、二二〇薫物もとむとてここに立ちよる。此の丫鬟豊雄を見て、二二一吾が君のここにいますはといふに、驚きて見れば、かの真女子、まろやなり。あな恐ろしとて内に隠るる。金忠夫婦、こは何ぞといへば、かの二二二鬼ここに逐ひ来る。あれに近寄り給ふなと二二三隠れ惑ふを、人々、そはいづくにと立ち騒ぐ。真女子入り来りて、人々あやしみ給ひそ。吾夫の君な恐れ給ひそ。二二四おのが心より罪に堕し奉る事の悲しさに、御有家もとめて、事の由縁をもかたり、二二五御心放せさせ奉らんとて、御住家尋ねまゐらせしに、かひありてあひ見奉る事の喜しさよ。あるじの君よく聞きわけて給へ。我もし怪しき物ならば、此の二二六人繁きわたりさへあるに、二二七かうのどかなる昼をいかにせん。二二八衣に縫目あり、日にむかへば影あり。此の二二九正しきことわりを思しわけて、御疑ひを解かせ給へ。
豊雄漸人ごこちして、你正しく人ならぬは、我捕はれて、武士らとともにいきて見れば、きのふにも似ず二三〇浅ましく荒果てて、まことに鬼の住むべき宿に一人居るを、人々ら捕へんとすれば、忽ち二三一青天霹靂を震うて、跡なく二三二かき消えぬるをまのあたり見つるに、又逐ひ来て何をかなす。すみやかに去れといふ。真女子涙を流して、まことにさこそおぼさんはことわりなれど、二三三妾が言をもしばし聞かせ給へ。君公庁に召され給ふと聞きしより、かねて憐をかけつる隣の翁をかたらひ、頓に二三四野らなる宿のさまをこしらへし。我を捕んずときに鳴神響かせしは、まろやが二三五計較りつるなり。其の後船もとめて難波の方に遁れしかど、御消息しらまほしく、二三六ここの御仏にたのみを懸けつるに、二三七二本の杉のしるしありて、二三八喜しき瀬にながれあふことは、ひとへに二三九大悲の御徳かうむりたてまつりしぞかし。種々の神宝は何とて女の盗み出すべき。前の夫の良からぬ心にてこそあれ。よくよくおぼしわけて、二四〇思ふ心の露ばかりをもうけさせ給へとて、さめざめと泣く。
豊雄或は疑ひ、或は憐みて、かさねていふべき詞もなし。金忠夫婦、真女子がことわりの明らかなるに、此の二四一女しきふるまひを見て、努疑ふ心もなく、豊雄のもの語りにては、世に恐ろしき事よと思ひしに、二四二さる例あるべき世にもあらずかし。はるばると二四三尋ねまどひ給ふ御心ねのいとほしきに、豊雄肯はずとも、我々とどめまゐらせんとて、一間なる所に迎へける。ここに一日二日を過すままに、金忠夫婦が二四四心をとりて、ひたすら嘆きたのみける。其の志の篤きに愛でて、豊雄をすすめてつひに婚儀をとりむすぶ。豊雄も日々に心とけて、もとより容姿のよろしきを愛でよろこび、千とせをかけて契るには、二四五葛城や高間の山に夜々ごとにたつ雲も、二四六初瀬の寺の暁の鐘に雨収まりて、二四七只あひあふ事の遅きをなん恨みける。
三月にもなりぬ。金忠、豊雄夫婦にむかひて、都わたりには似るべうもあらねど、二四八さすがに紀路にはまさりぬらんかし。二四九名細の吉野は春はいとよき所なり。二五〇三船の山、二五一菜摘川、二五二常に見るとも飽かぬを、此の頃はいかにおもしろからん。二五三いざ給へ、出で立ちなんといふ。真女児うち笑みて、二五四よき人のよしと見給ひし所は、都の人も見ぬを恨に聞え侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或は道の長手をあゆみては、必ず二五五気のぼりてくるしき病あれば、二五六従駕にえ出で立ち侍らぬぞいと憂けれ。二五七山土産必ず待ちこひ奉るといふを、そはあゆみなんこそ病も苦しからめ。二五八車こそもたらね、いかにもいかにも土は踏ませまゐらせじ。留り給はんは、豊雄のいかばかり二五九心もとなかりつらんとて、夫婦すすめたつに、豊雄も、かう二六〇たのもしくの給ふを、二六一道に倒るるともいかでかはと聞ゆるに、二六二不慮ながら出でたちぬ。人々二六三花やぎて出でぬれど、真女子が麗なるには似るべうもあらずぞ見えける。
何某の院はかねて二六四心よく聞えかはしければ、ここに訪ふ。主の僧迎へて、此の春は遅く詣で給ふことよ。花もなかばは散り過ぎて、二六五鶯の声もやや流るめれど、猶よき方に二六六しるべし侍らんとて、夕食いと清くして食はせける。二六七明けゆく空いたう霞みたるも、二六八晴れゆくままに見わたせば、此の院は高き所にて、ここかしこ僧坊どもあらはに見おろさるる。山の鳥どもも二六九そこはかとなく囀りあひて、木草の花色々に咲きまじりたる、同じ山里ながら目さむるここちせらる。初詣には滝ある方こそ見所はおほかめれとて、彼方にしるべの人乞ひて出でたつ。谷を繞りて下りゆく。いにしへ二七〇行幸の宮ありし所は、二七一石はしる滝つせのむせび流るるに、ちひさき鰷どもの水に逆ふなど、目もあやにおもしろし。二七二檜破子打ち散して喰ひつつあそぶ。
岩がねづたひに来る人あり。髪は二七三績麻を二七四わがねたる如くなれど、手足いと健やかなる翁なり。此の滝の下にあゆみ来る。人々を見てあやしげにまもりたるに、真女子もまろやも此の人を二七五背に見ぬふりなるを、翁、渠二人をよくまもりて、あやし、此の邪神、など人をまどはす。翁がまのあたりをかくても有るやとつぶやくを聞きて、此の二人忽ち躍りたちて、滝に飛び入ると見しが、水は大虚に湧きあがりて見えずなるほどに、雲摺る墨をうちこぼしたる如く、雨二七六篠を乱してふり来る。翁、人々の慌忙惑ふを二七七まつろへて人里にくだる。
吉野宮滝行楽の図。大倭神社の神官当麻の酒人をみて、蛇の化身であった真女児とまろやは、あわてて激流にとびこもうとする。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)
二七八賤しき軒にかがまりて、生けるここちもせぬを、翁、豊雄にむかひ、熟二七九そこの面を見るに、此の二八〇隠神のために悩まされ給ふが、吾救はずばつひに命をも失ひつべし。後よく慎み給へといふ。豊雄地に額着て、此の事の始めよりかたり出でて、猶二八一命得させ給へとて、恐れみ敬ひて願ふ。翁、さればこそ、此の邪神は年経たる虵なり。かれが性は婬なる物にて、二八二牛と孳みては麟を生み、馬とあひては竜馬を生むといへり。二八三此の魅はせつるも、はたそこの秀麗に二八四姧けたると見えたり。かくまで執ねきを、よく慎み給はずば、おそらくは命を失ひ給ふべしといふに、人々いよよ恐れ惑ひつつ、翁を崇まへて、二八五遠津神にこそと拝みあへり。翁打ち笑みて、おのれは神にもあらず。二八六大倭の神社に仕へまつる当麻の酒人といふ翁なり。二八七道の程見たててまゐらせん。いざ給へとて出でたてば、人々後につきて帰り来る。
明の日二八八大倭の郷にいきて、翁が二八九恵を謝し、且二九〇美濃絹三疋、二九一筑紫綿二屯を遺り来り、猶此の妖災の二九二身禊し給へとつつしみて願ふ。翁これを納めて、二九三祝部らにわかちあたへ、自は一疋一屯をもとどめずして、豊雄にむかひ、二九四畜你が秀麗に姧けて二九五你を纏ふ。你又畜が仮の化に魅はされて二九六丈夫心なし。今より二九七雄気してよく心を静まりまさば、此らの邪神を逐はんに翁が力をもかり給はじ。ゆめゆめ心を静まりませとて、実やかに覚しぬ。豊雄夢のさめたるここちに、二九八礼言尽きずして帰り来る。金忠にむかひて、此の年月畜に魅はされしは、己が心の正しからぬなりし。親兄の孝をもなさで、君が家の二九九羈ならんは三〇〇由縁なし。御恵いとかたじけなけれど、又も参りなんとて、紀の国に帰りける。
父母、太郎夫婦、此の恐ろしかりつる事を聞きて、いよよ豊雄が過ならぬを憐み、かつは妖怪の執ねきを恐れける。かくて三〇一鰥にてあらするにこそ。妻むかへさせんとてはかりける。三〇二芝の里に芝の庄司なるものあり。女子一人もてりしを、三〇三大内の三〇四采女にまゐらせてありしが、此の度いとま申し給はり、此の豊雄を聟がねにとて、媒氏をもて大宅が許へいひ納るる。よき事なりて即て三〇五因をなしける。かくて都へも迎の人を登せしかば、此の采女富子なるもの、よろこびて帰り来る。年来の大宮仕へに馴れこしかば、万の行儀よりして、姿なども花やぎ勝りけり。豊雄ここに迎へられて見るに、此の富子がかたちいとよく、三〇六万心に足ひぬるに、かの蛇が懸想せしことも三〇七おろおろおもひ出づるなるべし。はじめの夜は事なければ書かず。
二日の夜、よきほどの酔ごこちにて、年来の大内住に、辺鄙の人は三〇八はたうるさくまさん。三〇九かの御わたりにては、何の三一〇中将宰相の君などいふに三一一添ひぶし給ふらん。今更にくくこそおぼゆれなど戯るるに、富子三一二即て面をあげて、三一三古き契を忘れ給ひて、かく三一四ことなる事なき人を三一五時めかし給ふこそ、三一六こなたよりまして悪くあれといふは、姿こそかはれ、正しく真女子が声なり。聞くにあさましう、身の毛もたちて恐ろしく、只あきれまどふを、女打ちゑみて、三一七吾が君な怪しみ給ひそ。三一八海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ給ふとも、三一九さるべき縁のあれば又もあひ見奉るものを、三二〇他し人のいふことをまことしくおぼして、強に遠ざけ給はんには、恨み報いなん。紀路の山々さばかり高くとも、君が血をもて峯より谷に灌ぎくださん。三二一あたら御身をいたづらになし果て給ひそといふに、三二二只わななきにわななかれて、今や三二三とらるべきここちに三二四死に入りける。屏風のうしろより、吾が君いかに三二五むつかり給ふ。かうめでたき御契なるはとて出づるはまろやなり。見るに又胆を飛ばし、眼を閉ぢて伏向に臥す。三二六和めつ驚しつ、かはるがはる物うちいへど、只死に入りたるやうにて夜明けぬ。
芝の庄司の娘富子にのりうつった蛇性の真女児が、新婚二日目の夜、酔ごこちになってたわむれた豊雄の前で、その正体をあらわす図。(原本十六丁裏、十七丁表の挿絵)
かくて閨房を免れ出でて、庄司にむかひ、かうかうの恐ろしき事あなり。これいかにして放けなん。よく計り給へと三二七いふも、背にや聞くらんと、声を小やかにしてかたる。庄司も妻も面を青くして嘆きまどひ、こはいかにすべき。ここに都の三二八鞍馬寺の僧の、年々熊野に詣づるが、きのふより此の三二九向岳の三三〇蘭若に宿りたり。いとも三三一験なる法師にて、凡そ三三二疫病、妖災、蝗などをもよく祈るよしにて、此の郷の人は貴みあへり。此の法師三三三請へてんとて、あわただしく三三四呼びつげるに、漸して来りぬ。しかじかのよしを語れば、此の法師鼻を高くして、これらの三三五蠱物らを捉らんは何の難き事にもあらじ。必ず三三六静まりおはせとやすげにいふに、人々心落ちゐぬ。法師まづ三三七雄黄をもとめて薬の水を調じ、小瓶に湛へて、かの閨房にむかふ。人々驚ぢ隠るるを、法師嘲みわらひて、老いたるも童も必ずそこにおはせ、此の虵只今捉りて見せ奉らんとてすすみゆく。閨房の戸あくるを遅しと、かの蛇頭をさし出して法師にむかふ。此の頭三三八何ばかりの物ぞ。此の戸口に充満て、雪を積みたるよりも白く輝々しく、眼は鏡の如く、角は枯木の如、三尺余りの口を開き、紅の舌を吐いて、只一呑に飲むらん勢をなす。あなやと叫びて、三三九手にすゑし小瓶をもそこに打ちすてて、たつ足もなく、三四〇展転びはひ倒れて、からうじてのがれ来たり、人々にむかひ、あな恐ろし、三四一祟ります御神にてましますものを、など法師らが祈り奉らん。此の手足なくば、三四二はた命失ひてんといふいふ三四三絶え入りぬ。人々扶け起すれど、すべて面も肌も黒く赤く染めなしたるが如に、熱き事焚火に三四四手さすらんにひとし。毒気にあたりたると見えて、後は只三四五眼のみはたらきて物いひたげなれど、声さへなさでぞある。水灌ぎなどすれど、つひに死にける。これを見る人、いよよ三四六魂も身に添はぬ思ひして泣き惑ふ。
豊雄すこし三四七心を収めて、かく験なる法師だも祈り得ず、執ねく我を纏ふものから、三四八天地のあひだにあらんかぎりは三四九探し得られなん。おのが命ひとつに人々を苦しむるは三五〇実ならず。今は三五一人をもかたらはじ。三五二やすくおぼせとて閨房にゆくを、庄司の人々、こは物に狂ひ給ふかといへど、更に聞かず顔にかしこにゆく。戸を静かに明くれば、物の騒しき音もなくて、此の二人ぞむかひゐたる。富子、豊雄にむかひて、君三五三何の讐に我を捉へんとて人をかたらひ給ふ。此の後も仇をもて報い給はば、君が御身のみにあらじ、此の郷の人々をもすべて苦しきめ見せなん。ひたすら三五四吾が貞操をうれしとおぼして、三五五徒々しき御心をなおぼしそと、いと三五六けさうじていふぞ三五七うたてかりき。豊雄いふは、世の諺にも聞ゆることあり。三五八人かならず虎を害する心なけれども、虎反りて人を傷る意ありとや。你、三五九人ならぬ心より、我を纏うて幾度かからきめを見するさへあるに、三六〇かりそめ言をだにも此の恐ろしき報いをなんいふは、いと三六一むくつけなり。されど吾を慕ふ心ははた世人にもかはらざれば、三六二ここにありて人々の嘆き給はんがいたはし。此の富子が命ひとつたすけよかし。三六三然て我をいづくにも連れゆけといへば、いと喜しげに点頭きをる。
又立ち出でて庄司にむかひ、かう三六四浅ましきものの添ひてあれば、ここにありて人々を苦しめ奉らんはいと三六五心なきことなり。只今暇給はらば、三六六娘子の命も恙なくおはすべしといふを、庄司更に肯けず、我三六七弓の本末をもしりながら、かく三六八いひがひなからんは、大宅の人々のおぼす心もはづかし。猶計較りなん。三六九小松原の三七〇道成寺に、三七一法海和尚とて貴き祈の師おはす。今は三七二老いて室の外にも出でずと聞けど、我が為には三七三いかにもいかにも捨て給はじとて、馬にていそぎ出でたちぬ。道遥なれば夜なかばかりに蘭若に到る。老和尚三七四眼蔵をゐざり出でて、此の物がたりを聞きて、そは浅ましくおぼすべし。今は老朽ちて三七五験あるべくもおぼえ侍らねど、君が家の災を黙してやあらん。三七六まづおはせ。法師も即て詣でなんとて、三七七芥子の香にしみたる袈裟とり出でて、庄司にあたへ、畜を三七八やすくすかしよせて、これをもて頭に打ち帔け、力を出して押しふせ給へ。手弱くあらばおそらくは逃げさらん。よく三七九念じて、よくなし給へと実やかに教ふ。庄司三八〇よろこぼひつつ馬を飛ばしてかへりぬ。
豊雄を密かに招きて、此の事よくしてよとて袈裟をあたふ。豊雄これを懐に隠して閨房にいき、庄司今はいとま三八一たびぬ、三八二いざたまへ、出で立ちなんといふ。いと喜しげにてあるを、此の袈裟とり出でてはやく打ち帔け、三八三力をきはめて押しふせぬれば、あな苦し、你何とてかく三八四情なきぞ。しばしここ放せよかしといへど、猶力にまかせて押しふせぬ。法海和尚の輿やがて入り来る。庄司の人々に扶けられて三八五ここにいたり給ひ、口のうち三八六つぶつぶと念じ給ひつつ、豊雄を退けて、かの袈裟とりて見給へば、富子は三八七現なく伏したる上に、白き蛇の三尺あまりなる蟠りて動きだもせずてぞある。老和尚これを捉へて、徒弟が捧げたる三八八鉄鉢に納れ給ふ。猶三八九念じ給へば、屏風の背より、三九〇尺ばかりの小蛇はひ出づるを、三九一是をも捉りて鉢に納れ給ひ、かの袈裟をもてよく封じ給ひ、そがままに輿に乗らせ給へば、人々掌をあはせ涙を流して敬ひ奉る。
蘭若に帰り給ひて、三九二堂の前を深く掘らせて、鉢のままに埋めさせ、三九三永劫があひだ世に出ることを戒め給ふ。今猶三九四蛇が塚ありとかや。庄司が女子はつひに病にそみてむなしくなりぬ。豊雄は命恙なしとなんかたりつたへける。
一 蛇の化身が一青年につきまとう愛欲の執念を主題としたところからこの題がでた。
二 和歌山県新宮市三輪崎。海辺で、歌枕。
三 漁場で大いに儲けて。
四 大魚も小魚もすべて漁獲して。古事記・祝詞などに見える語。
五 太郎は名前とも長男の意ともとれるが、ここは太郎という名の長男ととっていい。
六 二番目の子。
七 風流なこと。
八 実直に生業を営む気持。
九 他人にとられてしまうだろう。
一〇 養子にやって他家をつがせるのも。
一一 いやなこと。
一二 心苦しい。
一三 したいことをさせながら。
一四 ここは、学者。
一五 ここは、僧侶。
一六 豊雄の一生は。
一七 厄介者。
一八 しつけ。
一九 新宮市にある熊野権現速玉神社。熊野三山(本宮・新宮・那智)の一。
二〇 ここは、神官。
二一 余波。
二二 この地方は東南から天気がくずれる。雷峯怪蹟「霧鎖東南、早落下微々的細雨来了」。
二三 雨傘。
二四 新宮市にある阿須賀神社。
二五 宝物殿であるが、ここは本殿とみてよい。
二六 旦那様の所の末の御子息。
二七 むさくるしいあばら家。
二八 円く渦に編んだ敷物。
二九 塵をはらって。
三〇 ほんのしばらく雨宿りする間だから何でもかまわない。
三一 髪の形が大層あでやかで。
三二 遠山の様を色うつくしく摺り出して模様とした着物。
三三 年若い侍女。中国白話小説の用字。
三四 ぐっしょりと濡れて。
三五 いかにも困った様子。
三六 思わずも。
三七 本宮・新宮・那智の熊野三山へ参詣すること。
三八 下僕らしい者。
三九 中途半端な。不用意な。
四〇 せまい住居。
四一 そろって並ぶ。
四二 近くでみると一層うつくしく見えること。
四三 心がぽーっとして。
四四 高貴の家の御方。
四五 和歌山県田辺市の西、四村にある湯の峰温泉。
四六 殺風景な。
四七 見物して一日をくらす。
四八 佐野は三輪崎の西南。万葉集三、長忌寸奥麻呂の歌。秋成は「金砂」でこの歌に注している。
四九 今日のこの風情とおなじである。
五〇 世話をしている男。
五一 心おきなく。くつろいで。
五二 おっしゃって下さる。
五三 御親切なあたたかい御情で濡れた着物をほしてまいりましょう。思ひの「ひ」を「火」にかけ、乾すは縁語。
五四 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある那智権現と青岸渡寺。熊野三山の一。
五五 見境もなく。分別もなく。
五六 しいて。無理に。
五七 何かのついでにいただきにまいりましょう。
五八 雨はいっこうに小やみになったとも思えないのに。
五九 使を出しましょう。
六〇 さし戴くに、傘の縁語「さす」をかけた。
六一 見送って。
六二 どうしても忘れられず。
六三 日光をよけ風雨を防ぐための横戸。ふつう上下二つになっていて、上はあげさげができ、下はとりはずせる。寝殿造りなどの高貴な邸宅に多い。
六四 簾をふかくおろして。簾は蔀の内側にかける。
六五 この夢が現実であったならば、どんなにうれしかろう。
六六 そわそわとしておちつかないので。
六七 心もそぞろにうきたって家を出た。
六八 昼すぎまで。
六九 お嬢さま。
七〇 思いながら。
七一 雨傘を貸して下さった方がいらしたのを御案内してまいりました。
七二 新宮に、の意にとっておく。
七三 学問の先生。
七四 ぶしつけながら、こちらから推参しました。
七五 丫鬟の名。
七六 けっして。必ず。
七七 表座敷。
七八 客があると板敷に敷く畳。
七九 台に柱を二本たて横木を渡してそこに帳をかけた家具。隔てのために座側にたてた。
八〇 調度品などをおさめる両びらきの置戸棚。
八一 壁のかわりに長押からおろし、また母屋の廂の間をさえぎった絹。御簾と併用した。
八二 身分のない人。
八三 主人のいない家とも、人手のない家とも解せる。
八四 行き届いたおもてなし。
八五 粗酒。謙辞。
八六 食物を盛る器。足のあるのが高坏、足のないのが平坏。
八七 酒器と素焼きの杯。
八八 「桜」の枕詞。
八九 映る。
九〇 巧みにあしらう。
九一 立ちくぐる。とびまわる。
九二 鶯の如く美しく妙なる声。
九三 恥かしいことだと打ちあけずに心悩み、焦れ死にでもしてしまったら。
九四 神のたたりだと、何もしらない神にまで無実の罪をきせることになるであろう。伊勢物語、八九「人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなくいづれの神になき名おふせむ」。
九五 けっして浮気心でいうあだごととお聞き下さいますな。
九六 国守の下役人。
九七 四年の任期がまだ終らないこの春に。
九八 生まれ故郷の都も。
九九 思いますので。
一〇〇 今後の生涯をもって。
一〇一 妻としてあなたのそばにお仕えしたい。
一〇二 けがらわしい女だと。
一〇三 末長い夫婦の契り。
一〇四 心乱れるまでに思い慕っていた女であるから。
一〇五 「飛び立つ」の序詞。
一〇六 親がかりの身。
一〇七 つらく思って。
一〇八 おろかなこと。
一〇九 ひっこみのつかないのが恥かしい。
一一〇 冗談。たわむれごと。
一一一 自分の推測が当っていた。
一一二 熊野灘は鯨の寄る浜として名高い。
一一三 いつ聞く事ができようか。
一一四 即答。
一一五 結納。結婚費用。
一一六 財産。
一一七 孔子のような聖人でさえよろめく恋のためには。
一一八 お通い下さい。夫が妻の許に通う古代の結婚形態。
一一九 この上ない宝として。
一二〇 帯びるもの、太刀。
一二一 ものすごいまでに。
一二二 めでたいことのはじめに。
一二三 縁起がわるい。
一二四 しきりに。
一二五 親の許可をえていない外泊。
一二六 叱るでしょう。
一二七 口実をもうけてまいりましょう。
一二八 目がさえて安眠できずに。
一二九 網をひく漁師を召集してそれぞれの部署に配置するために。
一三〇 早朝。
一三一 どこから手に入れてきたのであろう。
一三二 不審に思って。
一三三 金をはらって。
一三四 人がくれたのを。
一三五 こむずかしい漢字の書籍を買い集めるのさえ。
一三六 ひどい無駄づかい
一三七 新宮速玉神社の祭礼の行列に加わってねり歩くつもりだろう。邌るは、ようすをつくって歩く。
一三八 何という狂気じみたことをするのか。
一三九 厄介者。豊雄をさす。
一四〇 問いただして下さい。
一四一 なまけるとこまるから、浜の方へ行ってくる。
一四二 何にしようと思って。
一四三 おまえ。対称代名詞。
一四四 するままにさせておいたが。
一四五 わきまえないのか。
一四六 しかるべき理由。
一四七 手柄。功績。
一四八 さっぱり腑におちないことだ。
一四九 恥かしいこと。面目ないこと。
一五〇 主婦。
一五一 私はふつつか者ですが。
一五二 一緒にたって。
一五三 相談して力になってもらおうと。
一五四 はやくも見つかって叱られてしまったことだ。
一五五 これこれこうした素姓の人の妻で、夫を失って頼りのない人が。
一五六 まだ独立せずに、部屋ずみの分際で。
一五七 勘当という重い処罰。勘当は父から絶縁放逐されること。
一五八 気の毒。あわれ。
一五九 うまくはなして承諾を得るようにしてみましょう。
一六〇 ここは村長、庄屋。
一六一 御祈願が成就なさってそのお礼として。
一六二 新宮(熊野権現)。
一六三 新宮はふるくは宝蔵なく、宝物は本殿に納めてあり、享保前後に宝蔵ができた。
一六四 「ダイグジ」と訓ませている。大社の神官の長。
一六五 国司の次官。
一六六 詮議する。
一六七 どうみても。
一六八 父の前に。
一六九 あるのは。
一七〇 とんでもないこと。たいへんなこと。
一七一 他人のものはたとえ毛一本なりともとらないのに。白娘子永鎮雷峰塔・孟子等にこの語がある。
一七二 自首しないで、他人の口から露顕したら。
一七三 情けないことだ。
一七四 国司の庁。役所。
一七五 真中にとりかこんで。
一七六 もとの意は、天津罪に対して、国土で行なわれた罪。ここでは国の掟をやぶった罪。祝詞に見える語。
一七七 どこに。
一七八 ようやく捕縛された理由がわかり。
一七九 けっして。
一八〇 どうか。なにとぞ。
一八一 この男(豊雄)を先におしたてていって。
一八二 忍草の一種。軒しのぶ。
一八三 まったく茫然自失とした状態。
一八四 近所の者たちをよびあつめた。
一八五 きこりの老人。
一八六 米搗(つ)き男。
一八七 うずくまる。古語。
一八八 ちっとも。ついぞ。
一八九 家豊かに人も大勢使って。
一九〇 ここは、九州。
一九一 漆細工をする職人。
一九二 ともかくも。
一九三 雑草が生え放題に生え茂っている藪。
一九四 高く茂っているので先が傾いている状態。
一九五 さっと。
一九六 驚愕のために声も出ずに。
一九七 度胸のすわった男。
一九八 板張りのゆか。
一九九 体外へ排出する意。
二〇〇 トバリとよめば垂れ絹、チョウとよめば几帳。どちらにもとれるが、几帳ととった方がよい。
二〇一 急にはげしくなる雷。
二〇二 高麗国より渡来した錦で、高価な舶来品。
二〇三 中国から渡来した綾織物で、高価な舶来品。
二〇四 穀や麻などで織った布で、青や赤の糸を用いて乱文を織りだし、帯などに用いた。
二〇五 固織。目のつんだ絹織物。
二〇六 突きさすのに用いる武器。
二〇七 矢を入れて背中に負う具。やなぐい、えびらの類で、木製・銅製がある。
二〇八 新宮から紛失した宝物。
二〇九 当面の罪。理由のいかんにかかわらず盗品をもっていたという罪。
二一〇 金品を贈って刑罰を軽くしてもらうこと。
二一一 世間と交際することも。故郷の人に顔むけすることも。豊雄のことば。
二一二 むこうへいって、何か月か暮してこい。
二一三 奈良県桜井市金屋から東方にあり、初瀬観音への参道で、門前市。椿市、海柘榴市とも書く。
二一四 この数か月来の災難に同情して。
二一五 親切に。手厚く。
二一六 奈良県桜井市初瀬にある、新義真言宗豊山派総本山、豊山神楽院長谷寺。名刹として平安朝以来、皇室・貴族の信仰がさかんであった。
二一七 諸仏の中では初瀬の観音こそとりわけ霊験あらたかであるということは、遠く中国にまでその評判が伝わっている。源氏物語、玉鬘「仏の御中には、はつせなん、日の本のうちには、あらたなるしるしあらはし給ふと、もろこしにだにきこえあんなる」。
二一八 店内も狭いほど客がたてこんでいる中に。
二一九 上品でうつくしい女。
二二〇 数種の香をねりあわせてつくった煉香。
二二一 旦那様。
二二二 妖怪、魔性をいう。
二二三 うろたえながらしきりに隠れようとするのを。
二二四 私のいたらない心から夫を罪におとしいれたこと。
二二五 御安心させようと思って。
二二六 人出の多いところ。
二二七 そのうえこんなのどかな昼日中に、どうしてあらわれることができようか。
二二八 妖怪変化が人間に化けたものは、その着物に縫目なく、太陽に照らされて影がないといわれる。白娘子永鎮雷峰塔に「我怎的是鬼怪、衣裳有縫、対日有影」とある。
二二九 正しい道理をよく御判断になって。
二三〇 あきれるばかり。
二三一 青空の上天気に急にはげしく雷がなって。
二三二 主語は真女児。
二三三 私。女子の自称。
二三四 荒れ果てた野原のような家の様子。
二三五 はかりだましたこと。計略。
二三六 初瀬の観世音。
二三七 初瀬古川の川辺に向いあっている二本杉のように、祈りのかいあって二人は再会できた。古今集一九「初瀬川ふる川の辺に二本ある杉、年をへてまたもあひ見むふた本ある杉」。源氏物語、玉鬘・手習などにも記されている。
二三八 うれしくもまためぐりあうことができたのは。瀬は、機会、折。「瀬」「ながれあふ」は、川の縁語。源氏物語、玉鬘に見えている。
二三九 観世音菩薩の広大無辺なおめぐみ。
二四〇 あなたを慕う私の気持のほんのすこしでもおくみとり下さい。
二四一 女らしい可憐な。
二四二 妖怪変化などが人間に化けてあらわれるはずのないいまの時世。
二四三 あちこちと苦労してたずねる。
二四四 気にいるようにその機嫌をとって。
二四五 葛城の高間山に夜ごと立つ雲は、雨をふらせるが。奈良県と大阪府・和歌山県との境にある葛城山脈の主峰。葛城山・金剛山。夜と暁、雲と雨は対。雲雨で男女の契りをあらわす。新拾遺集、「葛城や高間の山にゐる雲のよそにもしるき夕立の空」。
二四六 初瀬寺の暁鐘とともに夜来の雨もやむ。文選、高唐賦「旦為朝雲、暮為行雨、朝々暮々、陽台之下」、唐詩選、劉廷芝の公子行「為雲為雨楚襄王」。
二四七 いまでは再会の日の遅かったことを恨んだ。白娘子永鎮雷峰塔「只恨相見之晩」。
二四八 なんといっても紀州路とくらべると景色がすぐれているであろう。
二四九 名も美しい。吉野の枕詞。
二五〇 奈良県吉野郡吉野町にある船形の山。歌枕。
二五一 吉野川の上流。歌枕。
二五二 万葉集九、「山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも」。秋成「名くはし吉野の国は……いきかひて見れども飽かずあそびせし」(岩橋の記)。
二五三 さあまいりましょう。
二五四 高貴の方がいいとおっしゃった。万葉集一、天武天皇「よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よくみよよき人よく見つ」。
二五五 のぼせて。
二五六 おともをして。
二五七 山のおみやげ。
二五八 牛車こそもっていないが。
二五九 気がかりに思う事だろう。
二六〇 親切に。
二六一 途中で倒れてもどうして行かないですまされようか。
二六二 不本意ながら。
二六三 花やかに装って。
二六四 親しく交際していた。
二六五 晩春の流鶯。枝から枝へうつって乱れ啼く。
二六六 ご案内しましょう。
二六七 源氏、若紫「明け行く空はいといとう霞みて」。
二六八 源氏、若紫「少し立ち出でつつ見渡し給へば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる」。
二六九 どこということなく。
二七〇 吉野離宮。吉野郡吉野町宮滝にあった。
二七一 「滝」の枕詞。
二七二 檜板で作った弁当箱。
二七三 長くつないでよった麻糸。
二七四 丸くたばねた。
二七五 背を向けて。
二七六 雨足のはげしい形容。
二七七 おししずめて。
二七八 みすぼらしい家の軒下に身をかがめて。
二七九 そなた。対称代名詞。
二八〇 ここは、正体をくらまして人をたぶらかす邪神、妖神。
二八一 命をお助け下さい。
二八二 牛と交尾しては麟を生み、馬と交わっては竜馬を生む。「五雑組」巻九「与牛交則生麟、……与馬交則生竜馬」。
二八三 この妖神がそなたに憑いてまどわせたのも。
二八四 みだらな、不義なまじわりをする。
二八五 ここは、凡人をはるかに超えた尊い神。
二八六 天理市新泉にある大和(オオヤマト)神社。
二八七 道中見送ってあげよう。
二八八 大和神社の付近。
二八九 恩をうけた礼をいい。
二九〇 岐阜県から産出した上等の絹。疋は、布帛・巻物を数える単位。二反を一疋とする。
二九一 九州産の真綿。古くより有名。屯は綿の量目の単位。二斤を一屯とする。
二九二 ここは、お祓い。
二九三 ここは、配下の神官たち。
二九四 真女児をさす。
二九五 そなたにまつわりつく。
二九六 男らしいしっかりした心。
二九七 雄雄しい勇気をふるいおこして。
二九八 お礼の言葉もいいつくせないほど感謝して。
二九九 厄介者。
三〇〇 理由のないことである。
三〇一 妻のない独身男。
三〇二 和歌山県田辺市栗栖川。旧熊野路、中辺路にある。道成寺説話の清姫の生誕地真砂の荘のそば。
三〇三 内裏、宮中。
三〇四 地方官の子女で天皇の陪膳に奉仕する女官。
三〇五 婚約を結んだ。
三〇六 万事に満足したにつけても。
三〇七 少しばかり。おぼろげに。
三〇八 きっと。やっぱり。
三〇九 かの御所などでは。
三一〇 近衛府の次官と参議。共に青年貴族が多く任じられた。
三一一 男女が契る。同衾。
三一二 すぐに。
三一三 すでに富子が真女児になっている。前からのふかい仲を忘れて。
三一四 特別に取柄もない女。富子をさす。
三一五 寵愛なさる。源氏、夕顔「かくことなる事なき人を率ておはして時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」。
三一六 あなたの方こそ憎らしく思われる。
三一七 あなた、そんなびっくりなさいますな。
三一八 海よりふかく山より高く、永くかわるまいとかたく誓った二人の契り。翠翠伝「誓海盟山心已許」。
三一九 前世からこうなると定まった因縁。
三二〇 あかの他人のいうことをまにうけて。
三二一 むだに大切な御命をすてておしまいなさいますな。
三二二 ただふるえおののくばかりで。
三二三 とりころされてしまいそうな心持がして。
三二四 気を失った。
三二五 腹立ってじれるさま。
三二六 なだめたりおどしたり。
三二七 いいながらも。
三二八 京都市左京区鞍馬山にある名刹鞍馬寺。修験者の登山修行がさかんであった。
三二九 向いの山。万葉集によく見る語。
三三〇 寺院。梵語。
三三一 効験あらたかな。
三三二 流行病、妖怪、稲につく害虫。
三三三 お迎えしよう。
三三四 よびにやったところ。
三三五 ここは、人にとり憑いた妖怪、蛇性をいう。
三三六 安心しておいでなさい。
三三七 砒素の硫化物で、橙黄色の塊状または粒状をなし、石黄、鶏冠石ともよばれ、悪鬼毒虫などの邪毒をはらい殺すと信じられていた。白娘子永鎮雷峰塔「那先生装了一瓶雄黄薬水」。
三三八 どのくらいあるだろうか、とにかくすごいものである。
三三九 手にのせた。
三四〇 ころげまわり這い倒れて。
三四一 たんなる憑物やもののけではなく、祟りをなさる御神でいらっしゃる。
三四二 きっと。
三四三 気絶した。
三四四 手をかざす。
三四五 目を動かすだけで。
三四六 生きた心地もなく。
三四七 心をしずめて。
三四八 私がこの世に生きているかぎりは。
三四九 探し出されてつかまるであろう。
三五〇 誠実なことではない。
三五一 他人の力を頼むまい。
三五二 御安心下さい。
三五三 何のうらみで。
三五四 私があなたにつくす貞節をうれしいとおもって。
三五五 うわついた浮気心。
三五六 なまめかしい様子をつくって。しなをつくって。
三五七 いやらしかった。
三五八 白娘子永鎮雷峰塔「人無害虎心、虎有傷人意」。
三五九 人間とちがった魔性の執念ぶかい心から。
三六〇 ほんのちょっとしたたわむれごとをさえ。
三六一 恐ろしい気がする。
三六二 私がこの家にいて。
三六三 そのうえで。
三六四 情ない魔性のもの。
三六五 不本意。無思慮。
三六六 富子をさす。
三六七 武道の心得もある武士の身でありながら。
三六八 不甲斐ない。いくじない。
三六九 和歌山県御坊市湯川町小松原。厳密な意味では、道成寺は小松原にあるわけではないが、古来小松原の道成寺といわれてきた。
三七〇 和歌山県日高郡日高川町鐘巻にある名刹で、安珍清姫説話で名高く、熊野詣での順路にあたっていた。
三七一 白娘子永鎮雷峰塔も雷峯怪蹟も「金山寺法海禅師」としているが、それに拠ったのであろう。
三七二 年老いて僧坊の外にも出ない。源氏、若紫「老いかがまりて、室の外にもまかでずと」。
三七三 どんなにしてでもお見捨てなさいますまい。
三七四 仏家の寝室。
三七五 法力の効験。
三七六 先にお帰りなさい。
三七七 密教では芥子を焚いて加持祈祷をおこなう。
三七八 うまくだましよせて。
三七九 心に仏を祈念して。
三八〇 よろこびながら。
三八一 たまわった。
三八二 さあ、いらっしゃい。
三八三 力いっぱい。
三八四 つれないのか。
三八五 豊雄たちのいる部屋。
三八六 小声で呪文をとなえながら。
三八七 気を失って正体なく。
三八八 鉄製の鉢で、僧侶が食物をいれる器。
三八九 祈念をこらされると。
三九〇 一尺ほどの。
三九一 白娘子永鎮雷峰塔「禅師将二物置於鉢盂之内」。
三九二 白娘子、雷峯怪蹟ともに、鉢を地下に埋めたと記してある。
三九三 永久。永遠。
三九四 蛇塚は道成寺外西方百メートル余りの所にあるが、ここの文章は、本堂前の安珍塚(蛇榁)と混同しているようである。
雨月物語 巻之五
一青頭巾
むかし二快庵禅師といふ大徳の聖おはしましけり。三総角より四教外の旨をあきらめ給ひて、常に身を五雲水にまかせたまふ。美濃の国の六竜泰寺に七一夏を満しめ、此の秋は奥羽のかたに住むとて、旅立ち給ふ。ゆきゆきて下野の国に入り給ふ。
八富田といふ里にて日入りはてぬれば、大きなる家の九賑ははしげなるに立ちよりて一宿をもとめ給ふに、田畑よりかへる男等、黄昏にこの僧の立てるを見て、大きに怕れたるさまして、山の鬼こそ来りたれ、人みな出でよと呼びののしる。家の内にも騒ぎたち、女童は泣きさけび展転びて隈々に竄る。あるじ一〇山枴をとりて走り出で、外の方を見るに、年紀一一五旬にちかき老僧の、頭に紺染の一二巾を帔き、身に墨衣の破れたるを穿て、一三裹みたる物を背におひたるが、杖をもてさしまねき、一四檀越なに事にてかばかり一五備へ給ふや。一六遍参の僧今夜ばかりの宿をかり奉らんとてここに人を待ちしに、おもひきやかく異められんとは。一七痩法師の強盗などなすべきにもあらぬを、なあやしみ給ひそといふ。荘主枴を捨てて手を拍つて笑ひ、一八渠等が愚なる眼より一九客僧を驚しまゐらせぬ。二〇一宿を供養して二一罪を贖ひたてまつらんと、二二礼ひて奥の方に迎へ、こころよく食をもすすめて饗しけり。
荘主かたりていふ。さきに二三下等が御僧を見て、鬼来りしとおそれしも二四さるいはれの侍るなり。ここに二五希有の物がたりの侍る。二六妖言ながら人にもつたへ給へかし。此の里の二七上の山に一宇の二八蘭若の侍る。故は二九小山氏の三〇菩提院にて、代々大徳の住み給ふなり。今の三一阿闍梨は何某殿の三二猶子にて、ことに三三篤学修行の聞えめでたく、此の国の人は三四香燭をはこびて帰依したてまつる。我が荘にもしばしば詣で給うて、いとも三五うらなく仕へしが、去年の春にてありける。三六越の国へ三七水丁の三八戒師にむかへられ給ひて、百日あまり逗り給ふが、他の国より十二三歳なる童児を倶してかへり給ひ、三九起臥の扶とせらる。かの童児が容の秀麗なるをふかく愛でさせたまうて、四〇年来の事どももいつとなく怠りがちに見え給ふ。さるに茲年四月の比、かの童児かりそめの病に臥しけるが、日を経ておもくなやみけるを四一痛みかなしませ給うて、四二国府の典薬の四三おもだたしきをまで迎へ給へども、其のしるしもなく終にむなしくなりぬ。四四ふところの璧をうばはれ、挿頭の花を四五嵐にさそはれしおもひ、泣くに涙なく、叫ぶに声なく、あまりに嘆かせたまふままに、火に焼き、土に葬る事をもせで、四六臉に臉をもたせ、手に手をとりくみて日を経給ふが、終に心神みだれ、生きてありし日に違はず戯れつつも、其の肉の腐り爛るるを吝みて、肉を吸ひ骨を嘗めて、四七はた喫ひつくしぬ。寺中の人々、四八院主こそ鬼になり給ひつれと、連忙しく逃げさりぬるのちは、夜々里に下りて人を四九驚殺し、或は墓をあばきて腥々しき屍を喫ふありさま、実に鬼といふものは昔物がたりには聞きもしつれど、五〇現にかくなり給ふを見て侍れ。されどいかがしてこれを五一征し得ん。只戸ごとに五二暮をかぎりて堅く関してあれば、近曾は国中へも聞えて、人の往来さへなくなり侍るなり。さるゆゑのありてこそ客僧をも過りつるなりとかたる。
人間の肉を食う悪鬼と化した山寺の僧が、里人を追いかけてとらえようとしている図。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)
快庵この物がたりを聞かせ給うて、世には不可思議の事もあるものかな。凡そ人とうまれて、五三仏菩薩の教の広大なるをもしらず、愚かなるまま、五四慳しきままに世を終るものは、其の五五愛慾邪念の五六業障に攬かれて、或は五七故の形をあらはして恚を報い、或は鬼となり蟒となりて祟をなすためし、往古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。又人活きながらにして鬼に化するもあり。五八楚王の宮人は蛇となり、五九王含が母は六〇夜叉となり、六一呉生が妻は蛾となる。又いにしへ六二ある僧卑しき家に旅寝せしに、其の夜雨風はげしく、灯さへなきわびしさに六三いも寝られぬを、夜ふけて羊の鳴くこゑの聞えけるが、頃刻して僧のねぶりをうかがひてしきりに嗅ぐものあり。僧異しと見て、六四枕におきたる禅杖をもてつよく撃ちければ、大きに叫んでそこにたふる。この音に六五主の嫗なるもの灯を照し来るに見れば、若き女の打ちたふれてぞありける。嫗泣く泣く命を乞ふ。いかがせん。六六捨てて其の家を出でしが、其ののち又六七たよりにつきて其の里を過ぎしに、田中に人多く集ひてものを見る。僧も立ちよりて何なるぞと尋ねしに、里人いふ。鬼に化したる女を捉へて、今土に瘞むなりとかたりしとなり。されどこれらは皆女子にて、男たるもののかかるためしを聞かず。凡そ女の性の慳しきには、さる浅ましき鬼にも化するなり。又男子にも、六八隋の煬帝の臣家に六九麻叔謀といふもの、小児の肉を嗜好みて、潜に民の小児を偸み、これを蒸して喫ひしも七〇あなれど、是は浅ましき七一夷心にて、主のかたり給ふとは異なり。さるにてもかの僧の鬼になりつるこそ、過去の因縁にてぞあらめ。そも平生の七二行徳のかしこかりしは、仏につかふる事に志誠を尽せしなれば、其の童児を七三やしなはざらましかば、七四あはれよき法師なるべきものを。一たび愛慾の迷路に入りて、七五無明の七六業火の熾なるより鬼と化したるも、ひとへに七七直くたくましき性のなす所なるぞかし。七八心放せば妖魔となり、七九収むる則は八〇仏果を得るとは、此の法師が八一ためしなりける。八二老衲もしこの鬼を八三教化して本源の心にかへらしめなば、こよひの饗の報ひともなりなんかしと、たふときこころざしを発し給ふ。荘主頭を畳に摺りて、御僧この事をなし給はば、此の国の人は浄土にうまれ出でたるがごとしと、涙を流してよろこびけり。山里のやどり八四貝鐘も聞えず。八五廿日あまりの月も出でて、古戸の間に洩りたるに、夜の深きをもしりて、いざ休ませ給へとて八六おのれも臥戸に入りぬ。
八七山院人とどまらねば、八八楼門は八九荊棘おひかかり、九〇経閣も九一むなしく苔蒸しぬ。蜘網をむすびて九二諸仏を繋ぎ、燕子の糞九三護摩の牀をうづみ、九四方丈九五廊房すべて物すざましく荒れはてぬ。日の影九六申にかたぶく比、快庵禅師寺に入りて九七錫を鳴し給ひ、遍参の僧九八今夜ばかりの宿をかし給へと、あまたたび叫べども九九さらに応なし。一〇〇眠蔵より一〇一痩槁れたる僧の一〇二漸々とあゆみ出で、咳びたる声して、御僧は何地へ通るとてここに来るや。此の寺はさる由縁ありて、かく荒れはて、人も住まぬ野らとなりしかば、一粒の一〇三斎糧もなく、一宿をかすべき一〇四はかりごともなし。はやく里に出でよといふ。禅師いふ。一〇五これは美濃の国を出でて、みちの奥へ一〇六いぬる旅なるが、この麓の里を過ぐるに、山の霊、水の流のおもしろさに、おもはずもここにまうづ。日も斜なれば里にくだらんも一〇七はるけし。一〇八ひたすら一宿をかし給へ。あるじの僧云ふ。かく野らなる所は一〇九よからぬ事もあなり。強ひてとどめがたし。一一〇強ひてゆけとにもあらず。僧のこころにまかせよとて、復び物をもいはず。こなたよりも一言を問はで、あるじのかたはらに座をしむる。一一一看る看る日は入り果てて、一一二宵闇の夜のいとくらきに、灯を一一三点げざればまのあたりさへわかぬに、只澗水の音ぞちかく聞ゆ。あるじの僧も又眠蔵に入りて音なし。
夜更けて月の夜にあらたまりぬ。影一一四玲瓏としていたらぬ隈もなし。一一五子ひとつともおもふ比、あるじの僧眠蔵を出でて、あわただしく一一六物を討ぬ。たづね得ずして大いに叫び、一一七禿驢いづくに隠れけん。ここもとにこそありつれと、禅師が前を幾たび走り過ぐれども、更に禅師を見る事なし。堂の方に駆りゆくかと見れば、庭をめぐりて躍りくるひ、遂に疲れふして起き来らず。夜明けて朝日のさし出でぬれば、酒の醒めたるごとくにして、禅師がもとの所に在すを見て、只あきれたる形に、ものさへいはで、柱にもたれ長嘘をつぎて黙しゐたりける。禅師ちかくすすみよりて、院主何をか嘆き給ふ。一一八もし飢ゑ給ふとならば、一一九野僧が肉に腹をみたしめ給へ。あるじの憎いふ。師は夜もすがらそこに居させたまふや。禅師いふ。ここにありてねぶる事なし。あるじの憎いふ。我あさましくも人の肉を好めども、いまだ一二〇仏身の肉味をしらず。師はまことに仏なり。一二一鬼畜のくらき眼をもて、一二二活仏の一二三来迎を見んとするとも、一二四見ゆべからぬ理なるかな。あなたふとと、頭を低れて黙しける。
禅師いふ。里人のかたるを聞けば、汝一旦の愛慾に心神みだれしより、忽ち鬼畜に一二五堕罪したるは、あさましとも哀しとも、一二六ためしさへ希なる悪因なり。夜々里に出でて人を害するゆゑに、ちかき里人は安き心なし。我これを聞きて一二七捨つるに忍びず。特来りて教化し、本源の心にかへらしめんとなるを、汝我がをしへを聞くや否や。あるじの憎いふ。師はまことに仏なり。かく浅ましき悪業を頓にわするべきことわりを教へ給へ。禅師いふ。汝一二八聞くとならばここに来れとて、一二九簀子の前のたひらなる石の上に座せしめて、みづから帔き給ふ紺染の巾を脱ぎて僧が頭に帔かしめ、一三〇証道の歌の二句を授け給ふ。
一三一江月照松風吹 永夜清宵何所為
汝ここを去らずして一三二徐に此の句の意をもとむべし。意解けぬる則は、おのづから一三三本来の仏心に会ふなるはと、一三四念頃に教へて山を下り給ふ。此ののちは里人おもき災をのがれしといへども、猶僧が生死をしらざれば、疑ひ恐れて人々山にのぼる事をいましめけり。
一とせ速くたちて、一三五むかふ年の冬十月の初旬、快庵大徳、一三六奥路のかへるさに又ここを過ぎ給ふが、かの一宿のあるじが荘に立ちよりて、僧が一三七消息を尋ね給ふ。荘主よろこび迎へて、御僧の大徳によりて鬼ふたたび山をくだらねば、人皆浄土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人としてのぼるものなし。一三八さるから消息をしり侍らねど、など今まで活きては侍らじ。今夜の御泊りに、一三九かの菩提をとぶらひ給へ。誰も一四〇随縁したてまつらんといふ。禅師いふ。一四一他善果に基きて遷化せしとならば、一四二道に先達の師ともいふべし。又活きてあるときは一四三我がために一個の徒弟なり。一四四いづれ消息を見ずばあらじとて、復び山にのぼり給ふに、一四五いかさまにも人のいきき絶えたると見えて、去年ふみわけし道ぞとも思はれず。寺に入りて見れば、荻一四六尾花のたけ人よりもたかく生茂り、露は時雨めきて降りこぼれたるに、一四七三つの径さへわからざる中に、堂閣の戸右左に頽れ、方丈一四八庫裏に縁りたる廊も、一四九朽目に雨をふくみて苔むしぬ。さてかの僧を座らしめたる簀子のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわかぬまでに髭髪もみだれしに、葎一五〇むすぼほれ、尾花一五一おしなみたるなかに、蚊の鳴くばかりのほそき音して、一五二物とも聞えぬやうに、まれまれ唱ふるを聞けば、
江月照松風吹 永夜清宵何所為
禅師見給ひて、やがて禅杖を拿りなほし、一五三作麼生一五四何所為ぞと、一喝して他が頭を撃ち給へば、忽ち氷の朝日にあふがごとくきえうせて、かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとどまりける。一五五現にも一五六久しき念のここに消じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。
されば禅師の大徳、一五七雲の裏、海の外にも聞えて、一五八初祖の肉いまだ乾かずとぞ称嘆しけるとなり。かくて里人あつまりて、寺内を清め、修理をもよほし、禅師を推したふとみてここに住ましめけるより、一五九故の密宗をあらためて、一六〇曹洞の霊場をひらき給ふ。一六一今なほ御寺はたふとく栄えてありけるとなり。
一 僧侶のかぶる紺色の頭巾で、本篇の主人公快庵禅師がこれを鬼の僧にかぶらせた。
二 明応二年(一四九三)一二月没。七二歳。曹洞宗の高僧、名は妙慶、越後の顕聖寺、下野の大中寺等をひらく。禅師は、知徳高い禅僧で、官賜。
三 幼少より。髪を左右にわけて角のように揚げて結う小児の髪形による。
四 特に経典をもたず、不立文字・教外別伝・以心伝心を旨とする禅宗の本旨。
五 諸国を行脚すること。
六 岐阜県関市下有知にある曹洞宗の名刹。
七 夏行(四月一六日―七月一五日まで、室に籠って仏道修行すること。夏安居とも)をすまして。
八 栃木県下都賀郡大平町富田の宿。
九 使用人なども大勢いて裕福そうな家。
一〇 天秤棒の一種。
一一 年ごろ五〇歳にちかい。
一二 僧侶のかぶる頭巾。
一三 包み。旅行用の油単。
一四 檀家。信徒。ここは相手をよびかけた語。御主人。
一五 用心する。警戒する。
一六 諸国を遍歴参詣して修行する僧。
一七 私のような痩法師が。
一八 百姓たちをさす。
一九 旅の僧。
二〇 一夜の宿を提供して。
二一 おかした罪のつぐないをいたしましょう。
二二 礼を厚くして。
二三 小作人や下男。下僕たち。
二四 しかるべき理由。
二五 世にもまれな不思議な話。
二六 人をまどわすようなあやしいはなし。
二七 富田の西北にある大平山。
二八 寺院。のちの曹洞宗大平山大中寺をいう。
二九 藤原秀卿の後裔で栃木県小山市を本拠とした豪族。
三〇 家代々帰依して、財物を寄与する旦那寺。
三一 梵語。密教で秘法を伝授する僧職。
三二 甥。または養子。
三三 学問修行のふかいという評判が高く。
三四 香や蝋燭等の布施をあげ。
三五 わけへだてなく、うちとけてつきあっていたが。
三六 越後佐渡(新潟県)、越中(富山県)、加賀能登(石川県)、越前若狭(福井県)の総称。
三七 真言宗ではじめて受戒するとき、その頂に香水をそそぐ結縁灌頂、修道上進のときの伝法灌頂等の儀式。
三八 戒を授ける法師。阿闍梨がおこなう。
三九 身の回りの世話をする者。
四〇 長年勤めてきた修行の事。
四一 御心痛になり。
四二 ここは、国府所属の官医。
四三 立派な。名声の高い。
四四 大切なもの。
四五 嵐に吹き散らされる。
四六 顔をすりよせて。
四七 とうとう。
四八 寺院の主。住持。
四九 ひどく驚かし。
五〇 まのあたり。
五一 とりおさえる。
五二 日暮れとともに。
五三 仏と菩薩。
五四 心のまがった。
五五 肉欲・色欲にとらわれる。
五六 成仏正道のさまたげになる悪業にひきずられて。
五七 生前の姿。
五八 五雑組、巻五「化為狼者、太原王含母也。化為夜叉者、呉生妾劉氏也。化為蛾者、楚荘王宮人也。化為蛇者、李勢宮人也」の読み違え。楚の荘王は中国紀元前六〇〇年頃の人。宮人は女官。
五九 太原にいた武将。
六〇 暴悪勇猛な鬼類の一。
六一 いつの人か不明。
六二 以下、五雑組、巻五に伝えられる話。
六三 寝るに寝られない。
六四 枕許においた警策。
六五 主人である老婆。
六六 そのままにしておいて。
六七 ついでがあったので。
六八 中国隋(五八一―六一八)の第二代皇帝。大運河などを作った。
六九 このはなしは五雑組、巻五に見える。
七〇 「あるなれど」の約。
七一 理非分別をわきまえない野蛮な心。
七二 仏道修行の結果身につけた徳。修行と学徳。
七三 側近く召して世話をしなかったならば。
七四 あっぱれ。ほんとに。
七五 煩悩のために一切の真理を知ることができなくなった暗さをいう。
七六 悪事悪業のために身を苦しめることを地獄の猛火にたとえた。
七七 一本気で、思いこんだらつらぬきとおす性質。
七八 心をゆるめて放任すれば妖しい魔物となり。
七九 心をひきしめれば。
八〇 成仏できる。
八一 そのよい実例である。
八二 老僧。快庵の自称。
八三 教え導いて善道に転化する。
八四 貝と鐘。ともに仏具。近くに寺院がないこと。
八五 二〇日すぎの、出のおそい下弦の月。
八六 この家の主人をさす。
八七 山寺は誰も住みついていないとみえて。
八八 二階造りの門。山門。
八九 いばら。雑草。
九〇 経典をおさめる建物。
九一 見捨てられたまま。
九二 たちならんだ仏像。
九三 護摩壇。本尊の前に設けられている。
九四 住持の居室。
九五 長廊下と僧侶の室。
九六 方角ととれば西南西、時刻ととれば午後四時より六時頃をいう。
九七 錫杖。
九八 今夜一夜だけの。
九九 いっこうに。
一〇〇 仏家でいう寝室。
一〇一 痩せこけた。
一〇二 力なくしずかに。
一〇三 食糧。斎は、僧侶の正食。
一〇四 用意、支度。
一〇五 私は。謡曲などでつねに用いる自称の代名詞。
一〇六 行く。
一〇七 遠いみちのりである。
一〇八 切に。ぜひに。
一〇九 よくないこともあるものです。
一一〇 さりとて、たって出て行けというわけでもない。
一一一 たちまち。秋の日はおちるのが早い。
一一二 月の出が遅くて、宵にまだ月のなく暗い状態。
一一三 つけないので。
一一四 月光が清くうつくしく輝くさま。
一一五 午前零時より零時半ごろまで。
一一六 何かさがしもとめる。
一一七 右によみ、左に意味を記している。白話小説などの注解に用いる方法。頭に毛のない坊主をののしることば。
一一八 もし飢えておいでだというならば。
一一九 僧が自分を卑下していう語。愚僧、拙僧。
一二〇 生き仏の肉の味をしらない。
一二一 鬼畜のような理非分別のつかない眼。
一二二 生き仏。
一二三 仏が衆生臨終の際に迎えにくることで、ここは、おいでになった、の意。
一二四 見ることができないのも当然のことである。
一二五 罪におちる。鬼畜になりさがる。
一二六 前例がないほどの悪因縁。
一二七 見捨てておくことができない。
一二八 聞くというならば。
一二九 堂の前の縁側。
一三〇 禅の本義を七言長詩の形で説いたもの。唐の玄覚の作。
一三一 現代語訳(一六四ページ)を見よ。
一三二 おもむろに。じっくりと。
一三三 本来そなわっている仏心にあうのである。
一三四 親切に。
一三五 翌年。
一三六 奥州よりの帰途。
一三七 その後の様子。
一三八 それゆえに。
一三九 かの山寺の僧が成仏するように、冥福をお祈り下さい。
一四〇 私どももみんな一緒に回向いたしましょう。
一四一 彼が善行のむくいで往生したというのならば。遷化は、仏法念者の死去をいう。
一四二 仏道においては私より先に悟りに入った先輩ともいうべき人。
一四三 私にとっては、一人の弟子。
一四四 どちらにしてもその様子を見なければなるまい。
一四五 主人の言葉通り、なるほど人の往来が絶えているとみえて。
一四六 すすき。
一四七 庭の草生えた小径。門への道、井戸への道、厠への道の三径。漢の蒋詡が邸内の三径に遊んで仕えなかった故事がある。また陶淵明、帰去来辞に「三径就荒、松菊猶存」とある。源氏、蓬生「このさびしき宿にも必ずわけたる跡あなる三つの径とたどる」。
一四八 寺院で雑事をつかさどる所。台所など。
一四九 朽ちたもくめ。
一五〇 雑草がからみあい。
一五一 倒れ伏しなびいている様。
一五二 何をいっているのかはっきりと聞えない状態。
一五三 禅家の用語。いかに。どうじゃ。
一五四 どうするのだ。
一五五 まことに。じつに。
一五六 長い間の執念がここにいたって全く消えつくしたのであろう。
一五七 遠い国々から海外にまで。
一五八 禅宗の開祖達磨大師は死んだが、その教法・精神はいまなお生き続けている。快庵はその教法を具現化した。
一五九 それまでの真言宗を改宗して。
一六〇 曹洞宗。禅宗の一派。道元の開創。
一六一 栃木県下都賀郡大平町西山田にある大平山大中寺。曹洞宗関東惣禄三か寺の一。現在も広大な境内に老杉繁茂し、快庵を祀った開山堂、根無しの藤等が残っている。
一貧福論
二陸奧の国三蒲生氏郷の家に、四岡左内といふ武士あり。五禄おもく、誉たかく、六丈夫の名を七関の東に震ふ。此の士いと八偏固なる事あり。富貴をねがふ心、九常の武扁にひとしからず。倹約を宗として一〇家の掟をせしほどに、年を畳みて富み昌えけり。かつ一一軍を調練す間には、一二茶味翫香を娯まず。一三庁上なる所に許多の金を布き班べて、心を和むる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて、吝嗇一四野情の人なりとて、爪はじきをして悪みけり。
一五家に久しき男に一六黄金一枚かくし持ちたるものあるを聞きつけて、ちかく召していふ。一七崑山の璧もみだれたる世には瓦礫にひとし。かかる世にうまれて弓矢とらん躯には、一八棠谿墨陽の剣、一九さてはありたきもの財宝なり。されど良剣なりとて千人の敵には逆ふべからず。金の徳は天が下の人をも従へつべし。武士たるもの二〇漫にあつかふべからず。かならず貯へ蔵むべきなり。你賤しき身の分限に過ぎたる財を得たるは二一嗚呼の事なり。賞なくばあらじとて、十両の金を給ひ、二二刀をも赦して召しつかひけり。人これを伝へ聞きて、左内が金をあつむるは、二三長啄にして飽かざる類にはあらず。只当世の一奇士なりとぞ二四いひはやしける。
其の夜、左内が枕上に人の来たる音しけるに、目さめて見れば、二五灯台の下に、ちひさげなる翁の笑をふくみて座れり。左内枕をあげて、ここに来るは誰そ。我に二六糧からんとならば二七力量の男どもこそ参りつらめ。你がやうの二八耄げたる形してねぶりを魘ひつるは、狐狸などのたはむるるにや。二九何のおぼえたる術かある。秋の夜の目さましに、三〇そと見せよとて、すこしも騒ぎたる三一容色なし。翁いふ。かく参りたるは、三二魑魅にあらず人にあらず。君が三三かしづき給ふ黄金の精霊なり。年来篤くもてなし給ふうれしさに、夜話せんとて推してまゐりたるなり。君が今日家の子を賞じ給ふに感でて、翁が思ふ三四こころばへをもかたり和まんとて、仮に化を見はし侍るが、十にひとつも益なき閑談ながら、三五いはざるは腹みつれば、わざとにまうでて眠をさまたげ侍る。
枕許に立った黄金の精に、左内が、体をおこして応待している図。「灯台」が行灯、黄金の精が「ちひさげなる翁」であることがわかる。(原本十三丁裏、十四丁表の挿絵)
さても富みて驕らぬは大聖の道なり。さるを世の悪きことばに、三六富めるものはかならず慳し。富めるものはおほく愚なりといふは、晋の三七石崇唐の三八王元宝がごとき、三九豺狼蛇蝎の徒のみをいへるなりけり。往古に富める人は、四〇天の時をはかり、地の利を察めて、おのづからなる富貴を得るなり。四一呂望、斉に封ぜられて民に産業を教ふれば、海方の人利に走りて四二ここに来朝ふ。四三管仲、四四九たび諸侯をあはせて、身は四五倍臣ながら富貴は列国の君に勝れり。四六范蠡、四七子貢、四八白圭が徒、四九財を鬻ぎ利を逐うて、巨万の金を畳みなす。これらの人をつらねて、五〇貨殖伝を書し侍るを、其のいふ所陋しとて、のちの博士筆を競うて謗るは、ふかく頴らざる人の語なり。五一恒の産なきは恒の心なし。五二百姓は勤めて穀を出し、工匠等修めてこれを助け、商賈務めて此を通はし、おのれおのれが五三産を治め家を富まして、祖を祭り子孫を謀る外、人たるもの何をか為さん。諺にもいへり。五四千金の子は市に死せず。五五富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。まことに五六淵深ければ魚よくあそび、山長ければ獣よくそだつは、五七天の随なることわりなり。只、五八貧しうしてたのしむてふことばありて、五九字を学び韻を探る人の惑をとる端となりて、弓矢とるますら雄も富貴は国の基なるをわすれ、六〇あやしき計策をのみ調練ひて、ものを戕り人を傷ひ、おのが徳をうしなひて子孫を絶つは、財を薄んじて名をおもしとする惑なり。顧ふに名とたからともとむるに心ふたつある事なし。六一文字てふものに繋がれて、金の徳を薄んじては、みづから清潔と唱へ、六二鋤を揮うて棄てたる人を賢しといふ。さる人はかしこくとも、さる事は賢からじ。金は六三七のたからの最なり。土に瘞れては霊泉を湛へ、不浄を除き、妙なる音を蔵せり。かく清きものの、いかなれば愚昧六四貪酷の人にのみ集ふべきやうなし。今夜此の憤りを吐きて年来のこころやりをなし侍る事の喜しさよといふ。
左内興じて席をすすみ、さてしもかたらせ給ふに、富貴の道のたかき事、己がつねにおもふ所露たがはずぞ侍る。ここに愚なる問事の侍るが、ねがふは詳にしめさせ給へ。今六五ことわらせ給ふは、専ら金の徳を薄しめ、富貴の大業なる事をしらざるを罪とし給ふなるが、かの六六紙魚がいふ所もゆゑなきにあらず。今の世に富めるものは、十が八ツまではおほかた貪酷残忍の人多し。おのれは俸禄に飽きたりながら、兄弟一属をはじめ、六七祖より久しくつかふるものの貧しきをすくふ事をもせず、となりに栖みつる人のいきほひをうしなひ、他の援けさへなく六八世にくだりしものの田畑をも、価を賤くして六九あながちに己がものとし、今おのれは村長とうやまはれても、むかしかりたる人のものをかへさず、礼ある人の席を譲れば、其の人を七〇奴のごとく見おとし、たまたま旧き友の寒暑を訪ひ来れば、物からんためかと疑ひて、宿にあらぬよしを応へさせつる類あまた見来りぬ。又君に忠なるかぎりをつくし、父母に七一孝廉の聞えあり、貴きをたふとみ、賤しきを扶くる意ありながら、七二三冬のさむきにも七三一裘に起臥し、七四三伏のあつきにも七五一葛を濯ぐいとまなく、年ゆたかなれども七六朝に晡に一椀の粥にはらをみたしめ、さる人はもとより朋友の訪ふ事もなく、かへりて兄弟一属にも七七通を塞られ、まじはりを絶たれて、其の怨をうつたふる方さへなく、七八汲々として一生を終ふるもあり。さらばその人は作業に七九うときゆゑかと見れば、夙に起きおそくふして八〇性力を凝し、西にひがしに走りまどふ八一蹺蹊さらに閑なく、その人愚にもあらで才をもちふるに八二的るはまれなり。これらは八三顔子が一瓢の味ひをもしらず。かく果つるを、八四仏家には前業をもて説きしめし、八五儒門には天命と教ふ。もし未来あるときは、現世の八六陰徳善功も八七来世のたのみありとして、人しばらくここに八八いきどほりを休めん。されば富貴のみちは仏家にのみその理をつくして、儒門の教は八九荒唐なりとやせん。九〇霊も仏の教にこそ九一憑らせ給ふらめ。九二否ならば詳にのべさせ給へ。
翁いふ。君が問ひ給ふは、九三往古より論じ尽さざることわりなり。かの仏の御法を聞けば、九四富と貧しきは前生の脩否によるとや。此は九五あらましなる教ぞかし。前生にありしときおのれをよく脩め、慈悲の心専らに、他人にもなさけふかく接りし人の、その善報によりて、今此の生に富貴の家にうまれきたり、おのがたからをたのみて九六他人にいきほひをふるひ、九七あらぬ狂言をいひののしり、あさましき九八夷ごころをも見するは、前生の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくいのなせるにや。仏菩薩は九九名聞利要を嫌み給ふとこそ聞きつる物を、など貧福の事に一〇〇係ひ給ふべき。さるを富貴は前生のおこなひの善かりし所、貧賤は悪しかりしむくいとのみ説きなすは、一〇一尼媽を蕩かす一〇二なま仏法ぞかし。貧福をいはず、ひたすら善を積まん人は、その身に来らずとも、子孫はかならず幸福を得べし。一〇三宗廟これを饗けて子孫これを保つとは、此のことわりの細妙なり。おのれ善をなして、おのれその報ひの来るを待つは直きこころにもあらずかし。又悪業慳貪の人の富み昌ふるのみかは、寿めでたくその終をよくするは、一〇四我に異なることわりあり。霎時聞かせたまへ。我今仮に化をあらはして話るといへども、神にあらず仏にあらず、もと一〇五非情の物なれば人と異なる慮あり。いにしへに富める人は、天の時に合ひ、地の利をあきらめて、一〇六産を治めて富貴となる。これ天の随なる計策なれば、たからのここにあつまるも天のまにまになることわりなり。又一〇七卑吝貪酷の人は、金銀を見ては父母のごとくしたしみ、食ふべきをも喫はず、一〇八穿べきをも着ず、得がたきいのちさへ惜しとおもはで、起きておもひ臥してわすれねば、ここにあつまる事、一〇九まのあたりなることわりなり。我もと神にあらず仏にあらず、只これ非情なり。非情のものとして、人の善悪を糺し、それにしたがふべきいはれなし。善を一一〇撫で悪を罪するは、天なり、神なり、仏なり。一一一三ツのものは道なり。我がともがらのおよぶべきにあらず。只一一二かれらが一一三つかへ傅く事のうやうやしきにあつまるとしるべし。これ金に霊あれども人とこころの異なる所なり。また富みて一一四善根を種うるにも一一五ゆゑなきに恵みほどこし、その人の不義をも察めず一一六借しあたへたらん人は、善根なりとも財はつひに散ずべし。これらは金の用を知りて、金の徳をしらず、かろくあつかふが故なり。又身のおこなひもよろしく、人にも志誠ありながら、一一七世に窮められてくるしむ人は、一一八天蒼氏の賜すくなくうまれ出でたるなれば、精神を労しても、一一九いのちのうちに富貴を得る事なし。さればこそいにしへの賢き人は、もとめて益あればもとめ、益なくばもとめず、己がこのむまにまに世を山林にのがれて、しづかに一生を終る。心のうち一二〇いかばかり清しからんとはうらやみぬるぞ。かくいへど富貴のみちは術にして、一二一巧なるものはよく湊め、不肖のものは瓦の解くるより易し。且我がともがらは、人の生産につきめぐりて、一二二たのみとする主もさだまらず。ここにあつまるかとすれば、その主のおこなひによりて、たちまちにかしこに走る。水のひくき方にかたぶくがごとし。一二三夜に昼にゆきくと休むときなし。ただ一二四閑人の生産もなくてあらば、一二五泰山もやがて喫ひつくすべし。一二六江海もつひに飲みほすべし。いくたびもいふ、不徳の人のたからを積むは、一二七これとあらそふことわり、君子は論ずる事なかれ。一二八ときを得たらん人の、倹約を守りつひえを省きてよく務めんには、おのづから家富み人服すべし。我は仏家の前業もしらず、儒門の天命にも拘らず、一二九異なる境にあそぶなりといふ。
左内いよいよ興に乗じて、霊の議論きはめて一三〇妙なり。旧しき疑念も今夜に消じつくしぬ。試にふたたび問はん。今一三一豊臣の威風四海を靡し、一三二五畿七道一三三漸しづかなるに似たれども、一三四亡国の義士彼此に潜み竄れ、或は大国の主に身を托せて世の変をうかがひ、かねて一三五志を遂げんと策る。民も又戦国の民なれば、一三六耒を釈てて矛に易へ、一三七農事をこととせず。士たるもの枕を高くして眠るべからず。今の体にては長く不朽の政にもあらじ。誰か一統して民をやすきに居らしめんや。又一三八誰にか合し給はんや。翁云ふ。これ又人道なれば我がしるべき所にあらず。只富貴をもて論ぜば、信玄がごとく智謀は百が百的らずといふ事なくて、一三九一生の威を三国に震ふのみ。しかも名将の聞えは世挙りて賞ずる所なり。その末期の言に、一四〇当時信長は一四一果報いみじき大将なり。我平生に他を侮りて征伐を怠り、一四二此の疾に係る。我が子孫も即て他に亡されんといひしとなり。謙信は勇将なり。信玄死しては天が下に一四三対なし。不幸にして一四四遽く死りぬ。信長の器量人にすぐれたれども、信玄の智に及かず、謙信の勇に劣れり。しかれども富貴を得て、天が下の事一回は此の人に一四五依ざす。一四六任ずるものを辱めて命を殞すにて見れば、文武を兼ねしといふにもあらず。秀吉の志大いなるも、一四七はじめより天地に満つるにもあらず。一四八柴田と丹羽が富貴をうらやみて、羽柴と云ふ氏を設けしにてしるべし。今一四九竜と化して太虚に昇り、池中をわすれたるならずや。秀吉竜と化したれども一五〇蛟蜃の類なり。一五一蛟蜃の竜と化したるは、寿わづかに三歳を過ぎずと。これもはた後なからんか。それ驕をもて治めたる世は、往古より久しきを見ず。人の守るべきは倹約なれども、一五二過ぐるものは卑吝に陥つる。されば倹約と卑吝の境よくわきまへて務むべき物にこそ。今豊臣の政久しからずとも、万民一五三和ははしく、戸々に一五四千秋楽を唱はん事ちかきにあり。君が望にまかすべしとて八字の句を諷ふ。そのことばにいはく、
一五五堯蓂日杲 百姓帰家
数言興尽きて、遠寺の鐘一五六五更を告ぐる。夜既に曙けぬ。別れを給ふべし。こよひの長談まことに君が眠をさまたぐと、起ちてゆくやうなりしが、かき消して見えずなりにけり。
左内つらつら一五七夜もすがらの事をおもひて、かの句を案ずるに、百姓家に帰すの句、一五八粗其の意を得て、ふかくここに一五九信を発す。まことに一六〇瑞草の瑞あるかな。
雨月物語五之巻大尾
一六一安永五歳丙申一六二孟夏吉旦
寺町通五条上ル町
京都 梅村判兵衛
書肆
高麗橋筋壱町目
大坂 一六三野村長兵衛
一 一人の武士と黄金の精の貧富に関する議論。
二 広く東北地方をさし、ここは会津地方。
三 戦国時代の武将。文禄四年(一五九五)没、四〇歳。会津四二万石に封ぜられ、のち九二万石に加増された。
四 実在の人物。岡野左内。諸家高名記、常山紀談、翁草等に詳しい。
五 高禄で。左内は氏郷に仕えて八千石であった。
六 武士としての勇名。
七 東国(関東・東北)。
八 人と違って偏った性質。
九 世間一般の武家。
一〇 家内を取締ったので。
一一 軍兵を訓練するひま。
一二 茶の湯や聞香などの趣味。
一三 一室に。
一四 ここは、卑しい根性の人。
一五 家に長く使っている下男。
一六 ここは、大判。
一七 天下の名宝崑山の璧も乱世ではその価値は瓦や小石に等しい。中国の伝説神話に出る崑崙山は名玉の産地。
一八 ともに中国の名剣の産地。
一九 その上更にほしいものは。
二〇 軽々しく。粗末に。
二一 殊勝なこと。
二二 帯刀をもゆるして。士分にとりたてて。
二三 長喙(チョウカイ)が正しい。長いくちばし。貪婪。
二四 ほめそやした。
二五 ここは、行灯。
二六 食糧がほしいのなら。
二七 腕っぷしの強い男。
二八 おいぼれた様子。
二九 何か習い覚えた術でもあるだろう。
三〇 ちょっと。
三一 様子。そぶり。
三二 山林の異気より生じて人に害を与える怪物。
三三 大切に取扱って下さる。
三四 心持。
三五 大鏡「思しき事いはぬはげにぞ腹ふくるる心地しける」。徒然草に同様な文がある。
三六 五雑組巻五「富者多慳、非慳不能富也、富者多愚、非愚不能富也」。
三七 晋の富豪で、豪奢な生活をして殺された。五雑組巻五「如石崇王元宝之流、迺豺狼蛇蝎」。
三八 唐の富豪で、金銀を積んで屋壁とした。
三九 やまいぬ・狼・蛇・さそり。猛悪、残忍、貪欲な輩。「だかつ」が正しい。
四〇 五雑組巻五「但古之致富者、皆観天時、逐地利」。
四一 周代の太公望呂尚。ここは史記貨殖列伝の文章に拠る。
四二 斉の国にやってきた。
四三 斉の宰相。
四四 貨殖列伝「九合諸侯」。九合は糾合で、連合の意。秋成は九度あわせと誤読した。
四五 陪臣。諸侯の臣。
四六 越王勾践をたすけて呉を討ち、のち斉に入って鴟夷子皮と変名、巨万の富豪となり、さらに陶に入って陶朱公となり大富豪となる。
四七 衛の人。孔子の門人で貨殖に長じていた。
四八 周の人。商機の才あって、蓄財術の祖と称された。
四九 産物を売買して。
五〇 漢の太史司馬遷著「史記」の巻一二九が「貨殖列伝」。
五一 一定の生業財産のないものは定まった善心がない。孟子、梁恵王上「若民則無恒産因無恒心」。
五二 貨殖列伝「故待農而食之、虞而出之、工而成之、商而通之」。
五三 生業をはげみ。
五四 富豪の子弟は刑死して市中にさらされることはない。貨殖列伝「諺曰、千金之子不死於市」。
五五 貨殖列伝「巨万者、乃与王者同楽」。
五六 貨殖列伝「淵深而魚生之、山深而獣往之」。
五七 天然自然の道理。
五八 論語、学而篇「未若貧而楽、富而好礼者也」。
五九 学者や文人たちのまどいをひきおこすいとぐち。
六〇 つまらぬ軍略ばかり。
六一 学問・知識にとらわれて。
六二 俗世間を棄てて田畑に鋤をふるう人。
六三 七宝の筆頭。
六四 正しくは「どんこく」。欲深く残忍無慈悲なこと。
六五 ことの道理をはっきりさせてはなされたことは。
六六 書籍・衣類等を食う虫。ここは学者を罵った。
六七 先代よりながく家に仕えている者。
六八 零落した者。
六九 無理やりに。強引に。
七〇 下僕。
七一 孝行清廉との評判。
七二 冬期の三か月間。
七三 一枚のかわごろも。剪灯新話、富貴発跡司志「寒一裘暑一葛、朝晡粥飯一盂」。
七四 夏の土用。極暑の間。
七五 一枚の帷子を洗濯するひまもなく。着たきりで。
七六 朝夕一杯の粥で。
七七 出入りをさしとめられ。
七八 あくせくと働いて。
七九 不熱心。怠惰。
八〇 精神精力を集中し。
八一 従来は蹺蹺・蹺蹬とよむ。ここは蹺蹊とよんで、むずかしそうな有様に解しておく。
八二 的中することはまれで、大ていはずれる。
八三 孔子の高弟顔子が一つの瓢をいだいて清貧を楽しんだ心境もしらない。論語、雍也篇「賢哉回也、一箪食一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽、賢哉回也」。
八四 仏教では前世の因縁をもって説明し。
八五 儒教では天の定めた運命であると教える。
八六 かくれた徳とよいおこない。
八七 来世でむくいられるであろうとそれを頼みに。
八八 腹立ちを我慢する。
八九 右側によみ、左側に意訳を示す白話小説注解書の用いた表現法。とりとめのないでたらめ。
九〇 黄金の精霊をさす。
九一 依る。信奉する。
九二 もしそうでないと否定されるならば。
九三 昔からいろいろ論じられて、しかもまだ結論の出ていない道理。
九四 五雑組、巻一五「使今世之富貴貧賤皆由前生之脩否乎」。
九五 おおざっぱでいいかげんな教え。
九六 他人にたいして権勢をふるい。
九七 道理にはずれた妄言をいいつのり。
九八 粗暴で情理にくらい野蛮な心。
九九 名誉とかわが身の利欲とかを。
一〇〇 関係する。とらわれる。こだわる。
一〇一 無知愚昧な女どもをたぶらかす。
一〇二 いいかげんな。未熟な。
一〇三 中庸、一七「宗廟饗之、子孫保之」。祖先の霊もこの徳をうけて天子の礼をもって祀られ、子孫もこの徳をうけて名と位、禄と寿を保った。
一〇四 私なりの異った意見。
一〇五 感情のないもの。
一〇六 産業をいとなんで。
一〇七 品性卑しくけちんぼ。
一〇八 「着るべきをも」の意。
一〇九 眼前に見るようなわかりきった道理。
一一〇 いつくしんでほめ。
一一一 天・神・仏は、人間の道をただし、教えるもの。
一一二 金銀を大切にする人々をさす。
一一三 黄金の霊に仕え奉仕する。
一一四 善果となるべき善行をしても。
一一五 恵む理由もないのに。
一一六 「貸」に同じ。
一一七 苦境においやられて。
一一八 造化の神のお恵み。
一一九 一生のうちに。
一二〇 どれほどすがすがしいことだろう。公任卿集「ささなみや滋賀の浦波いかばかり心のうちのすずしかりけむ」。
一二一 術に巧みなものはよく富をあつめ。貨殖列伝「能者輻湊、不肖者瓦解」。
一二二 貨殖列伝「富無軽業、則貨無常主」。
一二三 昼夜往来して。貨殖列伝「若水趨下、日夜無休時」。
一二四 遊んで暮すひま人が定職なく徒食すれば。
一二五 中国の名山。諺「坐してくらえば泰山も空し」。山の如く蓄積された食物。
一二六 河海の如く多量の飲料。
一二七 文意明確を欠く。かりに「不徳の人が財宝を積むのはその人の徳不徳とは無関係で、道徳とは相容れないことゆえ、君子の富貴は同日に論ずべきではない」としておく。
一二八 時運をえた人が。
一二九 別天地に生きている。
一三〇 すばらしい。
一三一 豊臣秀吉の威光が天下をあまねく靡かせ。
一三二 京都を中心とした五国、七つの行政区画。日本全国、津々浦々。
一三三 ようやく。どうやら。
一三四 国を亡ぼされた主君に忠義をつくす武士。
一三五 まえまえからの素志。
一三六 耒は鋤。矛は槍に似た兵器。
一三七 天職の農耕にいそしもうとしない。
一三八 誰に味方なさるのですか。
一三九 一生涯、その威勢を、甲斐・信濃・越後にふるったのみ。
一四〇 いまや。
一四一 非常に好運にめぐまれた。市井雑談集「とにもかくにも信長は果報いみじき者也……恐くは我子孫彼が為に滅亡せんか」。
一四二 いまこの病気にかかった。
一四三 肩をならべる好敵手。
一四四 信玄没後五年にして死去。
一四五 まかされた。天下統一の覇業をいう。
一四六 家臣。明智日向守光秀。
一四七 はじめから天下を征服してその志が天下に満ちるようなものではなかった。秋成は胆大小心録一二に「豊臣公の大器も、始より志の大なるにはあらざりし也、云云」という。
一四八 柴田勝家と丹羽長秀。
一四九 あたかも竜と化して大空に昇ったように位は人臣を極めているが、昔の境遇身分を忘れているのではなかろうか。
一五〇 蛟はみずちで、蛇に似た竜の一種。蜃は蛟の属。まだ竜になっていないもの。
一五一 五雑組、巻九「竜由蛟蜃化者寿不過三歳」。
一五二 倹約が行きすぎると。
一五三 富み栄え豊かで。
一五四 雅楽の曲名。ここは御代泰平と家運繁栄をことほぐこと。
一五五 堯は中国古代の天子。蓂は聖代に生えた蓂莢という瑞草。杲はすでに日が高く。百姓は万民。帰家は、「帰家康」を暗示する。
一五六 午前四―六時。
一五七 この一夜中のこと。
一五八 どうやら精霊の言の真意が会得されて。
一五九 信ずるにいたった。
一六〇 瑞草の生ずるような聖代にめぐりあうべきめでたいしるしであり、めでたいはなしである。
一六一 一七七六年。後桃園天皇の代。将軍一〇代家治。秋成四三歳、大坂にて医を業としていた。
一六二 四月。
一六三 天明三年ごろから天明七年に、大坂心斎橋筋博労町の書肆名倉又兵衛と合板の形で、「雨月」を再版している。