青空文庫ビューアー

それが来る

それが来る

山本 周五郎

 私の末っ子が北海道へ団体旅行をしたいという。国鉄主催で募集人員は八十名、八月九日から二十日という期間である。よかろうとあってツーリストへいったのが五月三十日。団体はすでに満員でだめ、ということであった。翌三十一日、S社の若い記者が来て、――彼は毎年、年末から年始へかけて、上越へスキーにゆくのであるが、「今年はもう宿屋へ予約を申込んだ」さもなければまにあわない、と語った。私の仕事場のある丘の下は、鎌倉、三崎方面へゆく道になっているが、三月中旬から観光バスの往復が絶えない。遠くは青森、関西など、各地から来るバスで、雨が降ろうと、風が吹こうと、ぞろぞろつながって往ったり来たりしている。私は四月の中旬に十日ばかり、北国街道をまわり、新潟から東京へ帰った。遊びではなく仕事のためだったが、どこもかしこも遊覧客でいっぱい、列車の席を取るのも困難であるし、予約なしでは旅館に泊ることもできないのにおどろいた。これはいったいどうしたことだろうか。S社の若い記者は「一般に国民生活が安定したからでしょう」と言う。もしも生活が安定したのなら、人人はもっと堅実な、おちついたくらしぶりをするであろう。消費よりも蓄積、享楽よりも勤勉、という気ふうがおこる筈である。――これまでしろうとは手を出さないものときまっていた株や証券の売買など、サラリーマンから、主婦から下っては小説作者までが、本業そっちのけで狂奔している。そして少年犯罪の世界的な激増など、――これらを並べて考えると、なにか異常なものを感じないわけにはいかないのである。

 みんながひどく慌てている。なにか眼に見えない巨大な力に追われて、右往左往に慌てふためいている。私にはそんなふうに思えてならない。なにかが迫っているため、いまのうちに生きられるだけ生きたい。堅実に仕事などをしていてはまにあわない。どかっと儲けて派手に享楽しなければ、それが来てなにもかもおじゃんになってしまう。野生の動物は嵐を予感して、安全な場所へ移動するというが、人間は地球の外へ逃げることはできない。とすれば、それが来るまえにできるだけ多く生きることだ。――人間ぜんたいが本能の最深部で、こういう共通の恐怖に駆られているのではないかと思う。

 どうぞお笑い下さい。私はこのところ少しばかり神経が耗弱しているらしい。本当はレジャーブームとかいわれるとおり、遊覧ラッシュや享楽の氾濫や、投機の流行や犯罪の増多などは、一般の経済生活に根ざしているものであろう。阿川弘之さんは私のもっとも敬愛する作家のひとりであるが、その才能があまりにゆたかであるため、小説を書くだけではエネルギーが余るとみえ、つまり才能経済にゆとりがあり過ぎるために、ゆうゆうと証券や株券の売り買いをたのしんでいらっしゃるようである。ここにも「それが来る」などいう不安感などはいささかもないのであって、私の妄想は単なる妄想にすぎない、ということがはっきりするわけである。失礼。

「別冊 新日本文学」(昭和三十六年六月)