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さるすべり

さるすべり

山本 周五郎

「かねて御推量もございましたろうか、治部少輔じぶしょうゆう(石田三成)こと、上方かみがたにおいて挙兵をつかまつり、伏見はすでに落城と申すことでござります」おどろくべき言葉を耳にして、思わず起きあがろうとしたが、あやうく自分のいる位置に気づき、浜田治部介はまだじぶのすけは息をころしてじっとしていた。衝立屏風ついたてびょうぶの向うでは使者がつづけて云う、「急報によって内府(徳川家康)には小山の陣をはらい、江戸へ帰城とあいさだめましたが、こなた少将(伊達だて政宗)どの御所存はいかがにございましょうや、もっとも御妻子は大阪おもてに質としてござあることゆえ、いちがいにお味方のあいなりがたき次第も、人情しかるべしと内府存じよりにございます」

「中途ながらその御趣意はしばらく」政宗がよくとおるこえで使者の口上をさえぎった、「内府さま御恩顧はまさむね夢寐むびにも忘れ申さぬ、たとえ妻子を質としこれを焚殺やきころさるるとも、神明に誓って内府さまへのお味方に変心はおざらぬ、この儀はしかと申上げておきます」「お言葉ねんごろには存じまするが、御老臣がたともよくよく御談合あそばされませんでは」「政宗存じよりにそむく家来はいちにんもおり申さぬ、御念におよばず内府さま御采配ごさいはいを承りましょう」

 使者は押しかえして老臣との会議をもとめた、政宗は一存の動かざることを誓いぬいた。くどいと思われるほどのやりとりがあって、それならばと使者はかたちを正し、家康の軍令を伝えた。

「少将さまにはすみやかに白石城をひきはらい、岩手沢(陸前玉造郡)に陣をととのえて会津を御牽制ごけんせいなさるべしとのことにございます」「白石より退却せよと仰せあるか」政宗は意外なことを聞くというように、ややこえをはげまして反問した。

 徳川家康が会津征伐の令を発したのは慶長五年六月のことだった。伊達政宗はすぐに大阪を立って奥へくだり、七月十二日に陸前のくに名取なとり郡の北目きため城へはいった。本城は岩手沢にあるのだが、それよりはるかに挺進ていしんして陣をしいたのは、はやく敵地を侵して戦果を大にするためで、すなわち時を移さず白石城へ攻めかかった。白石城は上杉氏の北辺のまもりとして最前線であり、甘粕景継あまかすかげつぐを将とし精兵すぐって守備に当っていたが、伊達軍の巧妙な戦法にもろくもついえ、七月二十五日ついに開城した。この白石攻略には二つの意義があった、それは上杉氏の前線拠点の破砕と、旧領の回復とである、つまり白石城のある刈田かった郡と、その付近の信夫しのぶ、伊達などの諸郡は数年まえまで政宗の領地だったのだ。この二つの意義をもつ白石から撤退せよという、政宗にとって意外でもあり不満でもあるのは当然のことだった。

「前進せよとの御采配なれば」とかれは云った、「全軍の命をしてもつかまつるが、退却せよとの仰せははばかりながら御無理かと思われる」「その御挨拶はごもっともでございますが」しかしと云って使者はひざを正した。

 石田三成の挙兵は会津の上杉景勝とかたい連繋れんけいのうえにある、徳川本軍が会津征討の陣を解いてかみがたへ向えば、上杉勢はそれを追尾して石田軍と挾撃きょうげきの策にでるのはわかっている。そこで伊達軍がいったん本城へ退き、城備をかためて待機すれば、上杉はこれを無視して動くことはできない。もし伊達軍が敵地である白石城にとどまって上杉の総攻撃をうけるとする、勝敗は時の運で、もしも敗軍におちいった場合には、徳川軍の背後は裸になってしまうのだ。したがって上杉氏を会津へくぎづけにして置くためには、伊達軍を安全な位置にさげ、いつでもうって出るぞというにらみをきかしていなければならない。

「これは小山の帷幄いあくにおいてくりかえし討議された軍配でございます、お味方の御誓言にあやまりなしとなれば、この軍配にも御違背なしというかたきお約定やくじょうをねがいます」否応なしという意味を含めて使者はその口上を終った。政宗は低くうめきながら、かなりながいこと思案していた、いかにも不本意のようすだったが、やがて心を決めたとみえ、撤退することを承知した。「よろしゅうおざる、たしかに白石より退軍つかまつりましょう」「御退陣くださるか」おおと肩の荷をおろしたような使者の太息が、衝立屏風のかげまではっきりと聞えた。

 政宗と使者とが去るとしばらくして、浜田治部介がようやく衝立屏風のかげから出てきた。肩幅のひろい筋肉質のたくましいからだで、眉尻の少しさがったおっとりとした顔だちである。年は二十七歳になり、政宗のはたもとで物頭をつとめている。かれは午睡ひるねをしていたのであった、そこは白石城本丸にある屋形のひと間で、これまでほとんど使われたことがないし、裏庭からつめたい山風が吹きとおるので、ときどきやってきては午睡をした、ところが今日はとつぜんしゅくん政宗がはいって来たのである。衝立屏風のかげにいたので気がつかなかったのであろう、こちらも気がついたときはもうおそかった、そして思いもよらぬ密談を聴くはめになってしまったのだ。額にふき出ている汗を押しぬぐいながら、かれは渡り廊下から遠侍とおざむらいのほうへ出ていった。そのようすにはもう重大な秘事をもれ聞いたというけぶりは微塵みじんもなかった、かれはふだんから無口で、動作もいずれかというと重たく、おくに言葉でいうと「はっきとせぬ」風貌をもっていた。またこれまで数度の合戦にのぞんでもさしてめざましい功名があったわけでもなかったが、どこかにひとをひきつけるところがあるとみえ、上からも下からもたのもしがられていた。

「ああ御物頭」廊下を走って来た若ざむらいがいかにも嬉しそうな声で呼びかけた、「岩手沢から行李こうりがとどきました、いま荷おろしをしております」「そうか、それはよかったな」「すぐにおいで下さい」そう云ってなおほかへ知らせにゆく若ざむらいとわかれ、治部介はいそぎ足に二の曲輪くるわへと出ていった。

 そこではいま大手のほうから荷を運びこんでいるところで、人足たちのえいえいというかけ声が城壁にいきおいよく響いていた、あっちからもこっちからも、聞き伝えた兵たちがけて来ては、人足の列の両がわに群れをなした。ずいぶん待たれた行李だった、大阪を夏のはじめに出て、季節はいま秋を迎えようとしている、将も兵も身のまわりの品々をとり替えなければならない、武器もものの具も補充しなければならない、そして本城から届く行李にはこれらのほかに故郷のたよりがある、兵たちにとってはことにそのたよりがなにより待たれるものだった、そしていま、かれらはその行李を眼の前に見ているのだ。

「待て待て、荷おろしを待て」兵の群れを押しわけて、そう叫びながら治部介が前へ出てきた、「まだ荷をおろしてはいけない、おろしたものはそこへ置け、荷駄や車に付けてある分はそのままでしばらく待て」「それはどういうわけですか」勘定奉行手付の若ざむらいが走って来た。

「べつに仔細しさいはないけれども、上からお指図のないうちに荷おろしをしてはいけないと思う、少し待つほうがよいだろう」

「仰せですが行李が着けばお指図がなくとも荷おろしだけは致すのがしきたりです」

「しきたりは定法じょうほうではない、到着したものは到着したものなんだから、そうせかせかしなくともよいだろう、とにかく少し待て」

 人足たちの列はもう止っていた、あたりがにわかにひっそりとなり、そのしじまを待っていたもののように「組へ集れ」の竹法螺たけぼらが鳴りだした。時ならぬ合図なのでみんな少しいろめきたった、どうしたのだ、前進か、敵か、そんなことを云い交わしながらそれぞれの部署へと走っていった。治部介は散ってゆく兵たちのあとから、いつものゆっくりした足どりで本丸へ登ってゆくと、向うからさっき廊下で会った若ざむらいが走せおりて来るのとであった、「ああ御物頭」「どうした」「残念ながら行李は送りもどしです、いったいどうしたんでしょう、わけがわかりません、送りもどしです、いそぎますからこれで」かれはそう叫びながら、汗まみれになって馳けおりていった。本丸の巽曲輪たつみぐるわが治部介の持場だった、そこにはすでにかれの五人の家士が、隊士百五十人を集めて待っていた。かれは点呼をしてから詰所へのぼった、そこには同僚の物頭たちが寄ってざわざわしていたが、治部介は腰をおろすひまもなかった、お召しという知らせが来たからである、かれは扈従こじゅうの者について本丸櫓ほんまるやぐらへのぼった。

 待っていたのは、主君政宗と片倉景綱のふたりであった。扈従の者もすぐにさがり、人ばらいのようすにみえた、「このたび仔細あってわれら岩手沢へ帰陣することにきまった」政宗がみずから云った、「それについて、この白石の城をそのほうに預ける、全軍退城のくばりで兵は残せない、手まわり五十騎でまもるのだ、ただし北目に片倉を置く手はずだから、会津より反攻してまいった節は知らせしだいに援兵を出す、決してみごろしにはせぬがどうだ」平伏したまま治部介はしばらくなんの答えもなかった。

 あまり返辞がないので、景綱がたまりかねて促そうとしたとき、ようやく治部介はおもてをあげて云った、「お人も多いなかでかような大役を仰せつけられ、このうえの面目はございません、なれども若輩者のことでございますから、然るべき城代を上にいただき、わたくしはその手足となってはたらきとう存じます」

「申し分はもっともであるがこの場合はそのほういちにんにかぎるのだ、そのほうにすべての方寸をまかせるから受けい」

 殿には殿のおぼしめしがあるのだと、景綱もそばから言葉を添えた、これよりまえ白石退城ときまって、さて誰をこの捨て城に残すかという相談になったとき、片倉景綱がすぐさま浜田治部介を推した。徳川本陣の軍令だから撤退に異存はなかったが、いちど攻め取った白石城をまるまる明けわたすのも意地がゆるさなかった。撤退の軍令にそむかず、しかも城をまもりたい、そういう微妙な立場にはまる人物はほかにない、治部介ならと景綱は信じて推したのである、政宗もかねて眼をつけていたのですぐにきまり、治部介がなんと云おうともう人選をあらためる意は少しもなかったのだ。治部介はようやく承知した。

「おめがねどおりお役がはたせますや否やわかりません、ただ身命の続くかぎりはたらきます」

「それでよい」政宗も景綱もほっとしたようすだった、「預かるについてなにか望みがあるか」

「手まわり五十騎をわたくし自身に選ばさせて頂きとうございます、そのほかに望みはございません」ゆるしを得て巽曲輪へもどったかれは、家士のうち半沢市十郎、多紀勘兵衛、比野五郎兵衛の三人をよびだし、隊士のなかで強情者と名のある二男三男の者を選みだせと命じた。かれらはすぐ十二人選んできた、治部介はさらにその十二人にむかって云った、「おまえたちがどうでも死地に就かなければならぬとき、これならいっしょに連れてゆけるという者を三人ずつ選んで来い」十二人の者は命ぜられたとおりおのおの三人ずつ連れてもどって来た。これに浜田の家士のうち三名を加えた五十一人が残る人数である、治部介は本軍がここから撤退すること、そのあとをうけてこれだけで城をまもる任務を告げ、人名を書きあげさせてふたたび本丸櫓へあがった。

 その日(八月十一日)のうちに伊達軍は白石城をたちのいた。岩手沢まで後退したともいい、北目城にいたともいう、とにかく北目に片倉景綱がかなりの軍勢を持ってとどまったことは事実で、白石城とのあいだに約十七里、敵反攻の知らせのありしだい援軍を出すかまえをとっていた。……城には鉄砲百ちょう、弾丸、弓箭ゆみやなど余るほど残された、兵糧もたっぷりあった、まず五六十日の籠城ろうじょうには充分である、治部介は本軍の退去を送りだすと、みんなを本丸櫓の一重に集め、「きょう着いた行李の中からここへ残った者の分はとりわけられてある、いま分配するから、受取った者はさがって休むがよい」そう云って家士たちに分配を命じた。

 家族の心のこもった肌着や下帯や胴着や、こまごました日用品の数々のほかに、手紙などが出てくると割れるようなよろこびの声があがった。治部介には妻からの手紙が届いていた、かれは独りになってからそれをひらいて読んだ。白石の勝いくさなにより祝着に存じ奉りそろという書きだしの短いものだったが、そのなかで一子小次郎のことを書いたくだりにはさすがに胸が熱くなった。小次郎はもう七歳になり、ひどく活溌でなかまの大将になってはいくさ遊びをしたがる、また城下の荒雄川で魚を突くことを覚え、自分でやすなどを作り巧みに水をくぐって時には四五十尾も魚をあげてくることがある。そんなことが簡単にではあるがかなりいきいきと記してあった、そしてその末尾に、「わたくしこと女ども二十余人の宰領して行李と共に北目までまかり越え、お曲輪うちにてこの文したため申しそろ。なお三十日ほどは当地にて御陣の端下つとめ申すべきはずにござ候えども、おめもじの折などかまえてあるまじくと存じまいらせそろ」そう結んであった、「奈保」というやさしい署名をみながら、治部介はそう書いている妻の心が思いやられた。「そうか、北目へ来ているのか」戦場の位置によっては、炊飯とか洗濯とか修理物とか、または傷兵の世話などをするために婦人たちの出ることがよくある、妻もおそらくそういう役目で行李といっしょに来たのであろう、そして三十日ほど北目城に滞在するという、「おめもじの折などあるまじくと存じまいらせそろ」と書いたのは、万一にも会えたらという気持を自分で否ときめつけているようで微笑ほほえましかった。「二年あまり会わぬからな」そうつぶやきながら、治部介はしずかに手紙を巻きおさめた。

 残暑のひどい日が続いた。兵たちは元気で、相撲をとったり槍や太刀の稽古をして日を暮した、城壁は攻めるとき崩れたのを修復しかかっているところだったが、治部介は中止したままにして置き、ただ石材や木組などを要所要所へまとめさせた。

 ある日、天守の見張り番から城下のようすがおかしいと知らせて来た、治部介はすぐいってみた。城は台地の上にあるので、天守からみると城下町は一望だった、七月二十五日の合戦で大半は焼けていたが、伊達軍がはいっておちついたと聞くと、逃げた町民たちは少しずつ帰って来はじめ、もう焼け跡に家を建てだしたものもかなりあった、「どうした」「どうも城下の者がたちのく模様なのです」番の者は手をあげて指し示した、「あちらへ車をいてまいる組がございましょう、白石川のほうへもあのように、さきほどから荷を背負った者がひきもきらず続いております」そのとおりだった、町の南北から荷物を背にし、車や馬に積んだ人々が、三々五々城下そとへと出てゆくところである、かれらの足もとから灰色の土埃つちぼこり濛々もうもうと舞いたち、荒れた田地のほうへとしまをなしてなびいていた。町民のたちのきは合戦の近いことのしるしである、その点ではむしろふしぎなほどかれらは敏感だった。天守からおりて来た治部介は、しかしなんにも云わずに午睡をはじめた、平常と少しも変らず、例のとおりの「はっきとせぬ」挙措である、まだ兵たちの持場もきめてないし、鉄砲と弓とをどういう組にわけるかもきまっていない。――城下のようすでは、いつ敵が反攻して来るかも知れないのに、これではいったいどう戦ったらいいんだ。口にはださないが、誰も彼もそう考えていらだちはじめたのがよくわかった、けれども治部介はいびきさえかいて眠りこけていた。

 結局その日はなにごともなかった、翌日、北目城の片倉景綱からようすを尋ねに使者をよこした。「なにも変ったことはございません」治部介はそう答えた。城下の町民がたちのいたようだがという問いに対しては、本軍が撤退したので合戦が始まると考え違いをしたものであろうと云った、それからしまいに調子をあらため、「すでにお預かり申した以上、この城のことは浜田治部介にお任せをねがいます、それで御安心がならず、ふたたびものみの使者をお遣わしになるようなれば、はばかりながらお役ご免を願うとお伝え下さい」めずらしくきぱきぱとそう云った。それがよほど強くひびいたのであろう、そののち北目城から使者の来るようなことはなかった。さらに数日して、はげしい南風の吹くある日のうまの刻まえ、城から南方にあたる原野のかなたに敵の前哨ぜんしょうと思える人かげがちらちらしはじめた。治部介は天守へあがってみたが、まだまだと云ったなりでおりて来た、食事もいつものとおり、そして午後になるとまた横になって午睡をした。……日没まえに、南方の丘を越えて敵の騎馬隊の侵入して来るのがみえた、かれらは丘の根に陣をいたようすだった、それと同時に斥候せっこうが城のすぐ近くに出没し、なにやら合図の狼火のろしをあげたりした。「今夜があぶないと思われますが」多紀勘兵衛が天守からおりて来て云った、「騎馬隊のあとからだいぶ徒士かちがはいって来ました、どうやら夜襲の構えとみえます、用意を致して置きましょうか」かれはうんと云ったきりだった。「まだ隊の持場もきまらず、銃隊と弓組の割当てもございません、いまのうちにきめて頂きたいと存じます」「……そうだな」かれはゆっくりと答えた、「だがまあ、とにかくめしにしよう」

 食事のときにかれはふいと自分の子供のことをはなしだした。隊士たちは夜襲のことがあたまにあるのでそれどころではなかったが、治部介はゆったりした調子で、いかにも楽しそうに笑いながら話した、「おまえたちも知っているとおり、荒雄川はなかなか癖のある川だ、急流というほどでもないのに、ふちよどが多くて、到るところに下へひき込む瀬がある。せがれはまだ七歳の小坊主だけれども、手作りの簎であの川へとびこんでは魚をあげてくるそうだ、この春などはさけを四五十尾もあげたそうだ」「これは初耳です、あれへ鮭が登りますか」「はて、鮭ではなかったか」みんな思わず笑いだした、そしてそれがきっかけのように、みんな気持がほぐれ、つぎつぎと故郷の話をだしはじめた。

 夜襲はなかった、しかし朝になってみると敵はずっと前進し、城の南から南東へかけて半円の陣を布いていた。そしてときどき銃隊が前へ散開しては射撃をはじめた、前日から吹きやまぬ南風は土埃と硝煙を巻きあげ、敵陣に立っているおびただしい旗さし物はまるでひき千切れそうにはためいていた。城兵がなりをひそめているので、敵の銃隊は大胆に前へ前へと進みだし、一隊は大手前へまわりこんで来た。……縦横に疾駆する伝騎、だあん! だあん! と丘々にこだまする銃声、吹き荒れる烈風、これらがいっしょになって、城のまわりはようやく戦場の様相を示しはじめた。「北目へ使者をやりましょうか」多紀勘兵衛がたずねた。そのときかれらは天守の上にいた。治部介を中にして、半沢市十郎と比野五郎兵衛がいっしょだった。そしてさっきから同じ言葉が二度も三度も、市十郎と五郎兵衛から出た、治部介はしかし黙って首を横に振るばかりだった、勘兵衛はがまんをきらした、「いま出さなければ、もはや使者は出せなくなると存じます」「下へおりよう」治部介はふりかえって云った。「五郎兵衛、みんなを櫓下へ集めてくれ」

 五郎兵衛はさきに馳けおりて、全士を本丸の櫓下へ呼び集めた、みんな甲胄かっちゅう具足を着け、すっかり武装をととのえていた、治部介は鎧直垂よろいひたたれのまま出て来て、ずっと見まわしながらよくとおる声で云った、「あらためて云うまでもないと思うが、われわれはこの城のまもりとして残った、おれを加えて五十二人、援軍はない。五十二人がさいごの一人となり、その一人のさいごの脈がち終るまで城をまもりぬく、それがここへ残ったわれわれの役目だ、わかったか」援軍はないという一言が、集っている全部の兵たちにある共通の決意を与えたようすだった。合戦にのぞむからには討死は期している、そしておなじ討死をするなら、援軍などなしに五十二人一団となって死ぬほうがよい、誰の顔にもそういう割りきれたさっぱりとした決意のあらわれがみえた。「わかったら休め」治部介は片手を振った、「まだまだ戦には間がある、あまり早くから意気込んでいると、骨節が凝っていざというときにはたらきにくいものだ、まあぼつぼつとやろう、いいか」ぼつぼつやろうというのが可笑おかしかったので、みんな思わず笑いだし、列を崩して日蔭へはいった。

 銃声はずっと城の近くへ迫った、陣鉦じんがねときの声も聞えた、日暮れがたまでそれが続き、夜になるとずっと後退した。城兵があまりひっそりと鳴をひそめているので、かえって突っ込む気勢をそがれたらしい。翌日になると敵はぐっと陣を進めたが、時おり銃撃をしかけてくるだけではかばかしいことはなかった。……しかしそのつぎの日に敵の一隊が巽曲輪へ侵入して来た。人数は少なかったが必死を期した突撃だった、治部介はこれを二の丸までひきこみ、桝形ますがたへ追いつめて殲滅せんめつした、そしてこれが戦の口火となり、息もつかせぬ敵の攻撃がはじまった。

 治部介は自在に戦った、あるときは敵を本丸までおびき込み、つぎには大手門の桝形で捕捉ほそくした、城壁の上からとつぜん石材や巨木を投げおろすかと思うと、闇をついて侵入する敵兵の中へ、いきなり燃えさかる松明たいまつを幾十百本となくげこみ、混乱に乗じて斬り込んだりした、けれどもむろん味方にも損害があった。開戦三日めには討死十余人、負傷で動けない者がかなりできた、「お願いです、斬って出させて下さい」血気の兵たちがそう云いはじめた、治部介は首を横に振った。「籠城というやつはしびれのきれるものだという、おれたちは初めてその味を覚えるんだ、まだまだ、このくらいで痺れをきらしてはならん、本当の味はこれからだぞ」

 そのときかれらは外曲輪にいたが、もの見の兵がとつぜん城壁の上で誰かこっちへ来る者があると叫びだした、「城下町のつじから走って来ます、どうやら味方の者のようにみえます」「味方の者だと」治部介はものみ台へ登った。たしかに、大手の広場を越えてまっすぐに走って来る者があった。どういうつもりか頭からむしろをかぶり、身をかがめてひた走りに走って来る。すると敵もそれと気づいたのであろう。急に銃口を集めて狙撃そげきしはじめた。「ああ危ない、たれる」兵の一人が叫んだとき、走っていた者がだっと前のめりに倒れた、みんなあっと云った、銃声はなお続き、倒れている者の近くで弾がふつふつと土埃をあげた。――やられた、もうだめだ。みんな暗然と息をのんだが、治部介はなんと思ったか銃を二十挺とって来いと命じた。

「いまに敵はあの死躰したいを取りに来る、そうしたらねらい射ちにするんだ、稽古のつもりで代りあってやれ、ゆだんすると取られるぞ」そう云って治部介がもの見台をおりる間もなく、銃を構えていた兵の一人が、「ああ生きているぞ、あれは生きているぞ」と叫びだした、「みろ動いてる、よくみろ、少しずつこっちへって来るぞ」「そうだ、まさに這って来る」そしてすぐ別の一人が叫んだ、「女だ、おいあれは女だぞ」御物頭と叫びながら、兵の一人がとびおりて来た、「お願いです助けに行かせて下さい、あれは生きています、しかも女のようです」「ならん」治部介はきめつけるように云った、「どんなことがあっても城門からそとへ出ることはならん」「しかしあのままではこんどこそ本当に射ち殺されてしまいます」「うろたえるな」と治部介は叫んだ、「この合戦のさなかで、それがおまえには珍しいことなのか。われわれの役目はこの城をまもりぬくことにある、つまらぬことに気をとられて本分のあるところを忘れるな、もどれ」

 兵は身をふるわせながら戻った。しばらくすると敵が出て来たとみえ、城壁の上に伏せた銃が火蓋を切った、敵も応射した、このあいだに少しずつ這い進んで来た例の女は、堀端まで来て動かなくなった、「もうひと息だ、元気をだせ」城壁の上から兵たちが喚いた、しかし女はもう身動きもせず、かぶっていた蓆の端が、時おり風ではたはたと地を打つだけだった、そして日が暮れた。

 その夜半だった、治部介は独りでそっと大手門からぬけだし、堀端に倒れていた女をすばやく城の中へ抱きいれた、女は重傷だったが、まだ意識はあった。治部介は二の丸下の草地へいってそっとおろした、そこには大きな猿滑さるすべりの樹があり、傘のようにさしひろげた枝はいまみごとな花ざかりである。

「やっぱりおまえだったな、奈保」治部介はそう云いながら女のえりをくつろげてやった。「しっかりしろ、おれだ、治部介だぞ」ああと低くうめいて女は身を起そうとした、かれは動いてはいけないと云った。「とても助かる傷ではない、云うことがあったら云え、どうして此処ここへ来たんだ」

「お眼にかかりたいと存じまして」

「もっとしっかり云え、なにか会う用があったのか、奈保、しっかり云うんだ」

「ひと眼、お会い申して」ほとんど聞きとれないほどの声だった、ひと眼会いたくて来たが、城を眼の前に見たらとりのぼせてしまい、みぐるしいふるまいをして申訳がない、おゆるし下さいという意味のことを云った。

「それだけか、奈保、おまえ、そんな未練者だったのか」治部介はどなりつけるように云った、しかし聞えなかったものか、女は大きく息をつきながらはっきりと呟いた。「わたくし御先途ごせんどをいたします」そして眼をつむった。

 治部介はもう息の絶えた妻の面を、ながいことじっと見まもっていた。良人おっとへの愛にひかされてこんな未練なことをする、そんな妻ではなかった筈だ。――なにを狼狽ろうばいしたんだ。そう叱りつけたかった。けれどもそのとき夜風が吹きわたり、猿滑の花がはらはらと妻の顔に散りかかるのをみて、かれはしずかに立って二の丸までくわを取りにいった。そして戻って来ると、猿滑の樹蔭のよきところを選び、黙ってそこの土を掘りはじめた。……大手前を走って来たときの姿がまざまざと眼にうかんだ、かれはその走る姿を見たとき妻だと思った、それから弾丸に当って倒れ、重傷に屈せず城のほうへ這い寄って来るのを、城壁の上からじっと見ていた苦しさは云いようのないものだった。

「だがおれをみろ」かれは鍬をふるいながら呟いた、「おれは少しも未練な気持はおこさなかったぞ、よく覚えておくがいい、これが戦というものだ」掘りおこされる新しい土の香が、夜気のなかに強く匂いだした。

 それからさらにどれほどの激戦があったことだろう、片倉景綱が九月中旬に、兵五百をひきいて白石へもどって来たとき、城はまるで廃墟はいきょのようになっていた、城門は倒れ、櫓は砕け石垣は崩れていた。……そして、大手内まで出迎えた浜田治部介と十七人の兵たちは、まるで幽鬼のようなすさまじい姿をしていた、みんな傷だらけだった、立っているのがやっとらしい者もいた、人々は思わず眼をそむけた。

「これほどとは思わなかった」景綱はむしろ腹立たしげに云った。「上杉軍は最上義光を討つために、主力を出羽へ侵入させた、白石へはわずかに押えの兵が来ている、北目城ではそう信じていた、だがこれは相当の勢力で攻められたのではないか」

「およそ二千ほどでございましたろうか」

「なぜ使をよこさなかった、いつでも援軍を出すと申してあったではないか、其許そこもとのひとがらなれば、よもこんな強情いくさはしまいと思って推挙したのだ、それがこのありさまとは、……このありさまとは」

「お言葉ではございますが」治部介はしずかに云った、「こなたさまの御意はよくわかっておりました。しかし援軍を頂いてはならなかったのです、初めからそのつもりはございませんでした」

「初めからとは、それはどういうわけだ」

「小山から密使のみえましたとき」と治部介はそのときを回想するように、「わたくしは衝立屏風のかげにいて、ごしゅくんとお使者との密談をはからずも耳にいたしました。そのとき小山の軍令は、白石城を退去して伊達軍を安全の位置にさげ、上杉を会津へくぎづけにせよとのことでございました」

「それはわかっている、それだからどうした」

「もしもわたくしが援軍を求め、白石をはさんで合戦となりましたら、小山の軍令に反くことになりは致しませんか、白石を撤退せよという軍令は、わが軍と上杉とを戦わせたくないためです、合戦は運のもので万一にも敗れる場合があるかもわかりません、その万一のないように撤退ときめられたのです、わたくしはただ全士討死の覚悟でございました」

 景綱はぐっと唇をひき結んだ。

「そうか」と云ってうなずき、眼を伏せてしばらく黙っていた。それから思いついたようにふりかえって、兵たちに休息を命じ、治部介を城壁の蔭へとつれていった、「ここへ其許の妻女が来た筈だ」「…………」「来なかったか」治部介はじっと景綱の眼を見た。「城内のようすが知りたい、しかしこのまえ厳しく断わられているので迂濶うかつな者はよこせなかった、そこで思いついたのが妻女だ、女なれば敵の眼もくぐり易く其許もいちがいに突放しはしまい。……ゆくかと申したらまいるという、苦戦のようなら知らせに戻れ、大丈夫ならしばらくとどまっているがよい、そううちあわせてよこした。妻女はそれきり戻らぬ、これは大丈夫なのだと思っていた、ここへは来なかったのか」

「まいりました、まいりましたが……」

 云いかけて治部介は首をめぐらした。そこからついひとまたぎのところにあの猿滑の樹がある、しかし花はもう終りで、枝のさきに哀れなほどしか残ってはいない、治部介の眼を追ってゆくと、その樹蔭に白木のささやかな墓標の立っているのがみえた。

「死んだか」という景綱の言葉をあとに治部介は墓のそばへあゆみ寄った、――やっぱりそうだったのか。良人を慕う未練からではなく、そういう役目をもって来たのだったか、あっぱれだった。そう思うとはじめて眼のうちが熱くなり、のどがつまるのを感じた。――奈保、岩手沢へゆくんだぞ。かれはけんめいになみだを抑えながら、胸いっぱいの想でそう呼びかけた。故郷へ、岩手沢へ帰れと。