金解禁前後の経済事情
金解禁前後の經濟事情に就て
我國に於て大正六年九月十二日に金の輸出禁止を實行して以來十三年の間金の輸出禁止が日本の經濟界に與へた惡影響は可なり大なるものであつて、此の間金解禁の計畫をしたのは一再に止まらなかつたが、種々の事情の爲めに其の實現が出來なかつた。然るに昨年十一月二十一日に、今年一月十一日に於て金解禁を決行することに決定發表し得たことは我國經濟の爲に非常な仕合せである。日本に取つては大正六年以來の問題、又之を世界から見ると、世界何れの國と雖も金解禁は已に決行されて居つて只日本だけが取殘されて居るからして、何時日本は金の解禁をするか、日本の金解禁は如何なる用意を以てするかは可なり注目されて居る爲に、金解禁は國の内外に於て大問題であつたのである。從て金解禁に對する諸般の準備、解禁の出來た事情、解禁の經濟界に與ふる影響、解禁後の國民の覺悟に就て廣く國民の理解を得置くことは將來の金本位制維持の爲め最も必要の事項と考ふる處である。
金解禁に對する準備
財政の整理緊縮
日本の財政は世界戰爭による我國經濟界の膨脹に連れて非常な膨脹をしたのであるが、其の膨脹した經濟界は戰後間もなく變動を來して大に縮少したにも拘らず、財政は尚ほ整理が出來ずに居つた。又日木の經濟界も同樣であつて、世界戰爭の爲に輸出超過、正貨の流入、通貨膨脹物價騰貴で日本の經濟界は急激に大膨脹を來したが、戰爭が濟むと其の翌年から再び輸入超過に變じ經濟界の状勢は一變したるに拘らず戰後十數年を經た今日に於ても更に改善の曙光を認むることを得ざる状態にある。これは勿論大正六年九月十二日以來實行せられたる金の輸出禁止が解除せられず從て通貨の適當なる調節も物價調節も行はれざるに原因する譯ではあるが、又併ながら此の變化したる經濟上の事情に對し國民の自覺が出來て居ないからである。自己の現在立つて居る經濟界は夙に變化して居るに拘らず此れに對して充分の理解のないのが寧ろより重大なる原因である。それ故に日本の經濟は立直す必要があるのであるが、經濟の立直しが出來て累年續く輸入超過が減じ國際貸借が改善せられて初て金の解禁が出來、又一方から云へば金の解禁をなすことが日本の經濟の立直しを爲し將來の財界の安定を招來する所以である。それ故に政府としては財界立直の爲めに財政の整理緊縮、國債の整理をなし他面國民をして現在の我國經濟界の實情に就て充分の自覺をなさしめ而して金の解禁を決行せんとしたのである。それ故に濱口内閣の出來たときは既に昭和四年度の四分の一を經過して居つたに拘らず、實行豫算の上に一般會計及び特別會計を合せて一億四千七百萬圓程節約をなして、公債發行予定額を五千九百萬圓餘程減少して一億三千八百萬圓としたのである。尚ほ昭和五年度豫算の編成に當たつては八千五百萬圓の國債が一般會計に豫定されて居つたのを一切止めることにして、一般會計には國債は一文も計上しない豫算を作つたのである。さうして結局節約額が一億二千五百萬圓餘りであつて特別會計の一億三千四百萬圓の節約額を合算すると二億六千萬圓餘となる。又昭和五年度豫算を前年度豫算に對照すると一般會計の十七億七千萬圓は十六億貳百萬圓となつて一億七千萬圓の減額である。從來の財政計畫では大正三年以來毎年の豫算の上に借入金又は國債が計上してあり、さうして今後の豫算計畫にも毎年七八千萬圓の國債を計上して始めて其の編成が出來るのであるが大正三年以來十五年目に初て茲に國債を計上しない豫算が出來たのである。一般會計に全く借金のない豫算を作り得たのである。尚又財政の膨脹は中央政府に限らず、地方の公共團體の財政はより以上に膨脹して居つて、府縣市町村の大正三年度の豫算は三億二千七百萬圓であつたものが昭和四年度の豫算では十八億九千萬圓に膨れて居る。それ故に地方の公共團體の財政も中央同樣に整理緊縮の方針を取つて昭和四年度の實行豫算の上に於ては二億三千九百萬圓の整理緊縮を行ふたのである。昭和五年度の豫算に於ても府縣では已に七千萬圓の節減を行つたのであるが、市町村の分を假に昭和四年度の豫算と略同額の整理節約と見れば、昭和五年度では中央及地方財政を合せて五億圓以上の節約となるのである。
國債の整理
我國の國債の状態を見ると、今日既に五十九億圓に達して居り從來の大勢を以て計れば年々巨額の國債が殖えるのであつて百億圓に達するも餘り遠からざることである。斯の如くして國債が巨額に殖えることは、軈ては日本の産業資金を壓迫して、將來我國産業の發達を妨げる。又此國債が一般會計に年々巨額な國債を計上することから殖えるのであるとすると、國の財政の不健全な結果が國債の不整理となつて現れる。斯う云ふことが明に認められるのであつて、それを整理することは、國の利益からして當然の義と考へるのである。それで一般會計には國債を計上しない、特別會計では國債を豫定の半額に減ずる、斯う云ふ方針を立てたのであつた。さうすると本年の三月の年度末には日本の國債は六十億圓になる、さうして特別會計の國債の豫定の半額は昭和五年度には五千五百五十萬圓であるが、從來の減債基金の上に獨逸から來る賠償金六百三十萬圓を新に減債基金に充當することにしたから來年度には減債基金の總額は九千萬圓餘に上るのであるから三千五百萬圓だけが六十億圓の國債から減ずることになる。さうして此後も大凡そこんな状勢で進むからして從て少くも是迄彌が上に殖えて來た國債の總額を殖さずに濟まし得る次第である。
國民の消費節約
中央及地方を通じて政府の財政の整理緊縮、國債の整理は前述の如く決行したのであるが、併ながら日本の經濟の立直をなし、國際貸借の改善を圖り、彌が上に低落する爲替相場を元に戻して、さうして金の解禁を決行せんとするには政府自らの行動のみにては不充分であつて、戰後の日本の經濟の變化した状態、即ち戰時中に膨張した日本の經濟が戰後に於て收縮した状態に就ての國民自體の自覺を喚起することが非常に必要である。即ち之を實行せんとすれば現在の國民の消費を相當の程度に節約せしむるより外にないのである。斯くして始て冗費を節し無駄を省かしむることが出來るのである。此點に付ては國民一般に愬へて、さうして國民と共に此の多年解決の出來なかつた大問題を解決する方策を立てたのである。さうして一方には全國に此方針を實行せしむる爲に、有らゆる手段を取つたのであるが、幸にこのことは國民に歡迎されて能く徹底したのである。之は政府の指導又は消費節約の奬勵の行き渡つたと云ふよりも、寧ろ國民自體が此の事柄の必要を感じて居つたからだと思ふのである。
國際貸借の改善
中央及地方の財政の整理緊縮、國債の整理、國民の消費節約とが相俟つて其效果が最も能く國際貸借の上に現れたのである。濱口内閣の出來た前の六月三十日の日本内地の輸入超過は二億八千萬圓餘であつたが、七月二日に濱口内閣が組織されてから以來段々時の經つに從つて輸入超過の大勢は改善されて、毎月十日毎に發表する貿易の状態は發表毎に改善されて、十一月二十日の輸入超過額は七千萬圓に減額した。此大勢を以て推算すると、朝鮮、臺灣等の輸入超過を合算しても、年末迄には一億六七千萬圓と云ふ大凡の豫想が付いたのであつた。さうすると貿易外の受取勘定が一億五六千萬圓乃至一億六七千萬圓あるのであるから、昨年の外國貿易の結果、外國に向つて日本は金の支拂を必要としないと云ふ程度まで改善されると云ふ見込が立つたのである、この貿易の状態は爲替相場の將來に付て適確なる見込を立つることを得て、これによつて短期期限付の金解禁を決行し得たのであるが、結局昨年の貿易は豫想以上の好成績にして輸入超過額は内地分だけで六千七百萬圓餘、朝鮮及臺灣等の分を加へても一億七千萬圓餘であつて、大正八年に略同額の輸入超過であつた以外は斯の如く少額で濟んだことは近年類のないことである。一方貿易外の受取超過額が毎年一億六七千萬圓あるから大體に於て昨年の海外支拂勘定は受取勘定で償ひ得ることとなつたのである。
政府の當局者としては此國民の努力に對して深き感謝の意を表するのであるが、國民としても自分の努力の結果が、六箇月足らずの短時日に於て斯の如く目の前に好結果を現したと云ふことを考へると、國民自體も非常に喜んで宜いことであらうと考へる。又一方から考へると國民の一致協力が經濟上に如何なる結果を齎すものであるかと云ふ一つの經驗と確信が得られたのである。又日本は日清日露の兩役の時の如く戰爭に於ては擧國一致の好成績を擧げて居るが、經濟問題の爲に斯の如く擧國一致の好成績を擧げたことは未だ曾てないのである。此點は國民と共に大に喜びに堪へない次第である。
爲替相場の騰貴
濱口内閣の出來たときは、對米爲替相場は四十三弗四分の三まで下落して居つた。解禁後の爲替相場は四十九弗四分の一か或は四十九弗八分の三であらうから、これに此らぶれば一割一分餘下つて居り、これを日米兩貨幣の平價四十九弗八四六に比ぶれば一割二分餘下つて居つたのである。爲替相場が一割一分下つて居ると云ふことは對外的に日本の貨幣價値がそれ丈け下つて居ると云ふことであつて、百圓の通貨が八十九圓にしか通用しないと云ふことである。外國から直接日本に輸入するものは一割一分皆高く買はなければならぬのである。同時に外國から直接輸入される物の競爭品或は類似の品物も皆大同小異騰貴するのである。假に茲に外國から輸入する羅紗一ヤールの値段が五圓とすると、爲替相場が一割一分下つて居ればそれを五圓五十五錢でなければ買へぬのである。棉花も同樣である。輸入の鐵も同樣である。さうして日本人の着て居る衣服は絹物を除いた外のものは悉く外國から輸入されるものである。さう考へて見ると、爲替相場の下つて居ることが國民の何れの階級にも大なる影響を與へることは明かな事實である。從て日本國内から見て金の解禁の如きことは、國民的の大問題であると云ふことは何人も否認することの出來ない事である。一割一分も下つて居つた爲替相場が貿易の改善せらるゝに從つて段々騰貴して十一月二十一日の短期期限附の金解禁の發表前には四十八弗二分の一となつた。これを解禁後の推定相場四十九弗八分の三と比較すると其の差は僅かに一弗足らずとなつて一割一分下つて居つた爲替相場は九分丈け回復した譯であつて、羅紗一ヤールが五圓五十五錢であつたものが五圓十錢で買へるやうになつたのである。解禁の確定した今日に於ては日本の貨幣價値は元に復して百圓の貨幣は百圓に通用するやうになつて前に例に擧げた一ヤール五圓五十五錢の輸入の羅紗は五圓で買へるやうになつたのである。
物價の下落
我國の物價は戰時好況時代に非常に騰貴し戰後經濟界の收縮に連れて相當に低下したが、財界整理の不徹底、財政の放漫と國民の財界の現状に對する自覺の充分ならざりし爲めに十分の低落をなさず、日本銀行の卸賣の物價指數で見ると戰前を百として昨年六月には百七十六・三一であつて戰前より七割六分餘も尚騰貴して居つたのであるが、其の後政府財政の緊縮、國民の消費節約が徹底したのと、爲替相場が騰貴したのに伴れて七月以來漸次低落して來て、前に述べた日本銀行の卸賣物價指數で見ると、十月には百七十一・九四となり四箇月間に四・三七即ち二分五厘下落し、其の後も低落して十二月末には百六十二・九九となり六月に比べて十三・三二即ち七分五厘餘の下落となつたのである。爲替相場が六箇月の間に約一割一分回復した割合から見れば物價低落の割合は少いのであるが、輸入品は爲替相場の騰落の影響を受けそれ丈け價格が騰落する譯であるけれど、それ以外の品物は爲替回復の影響を直接には受けないのであるから、此程度の物價の低落が最も適當の處であらうと思はれる。
在外正貨の充實
濱口内閣の出來た七月初には政府所有の在外正貨は六千萬圓に減つて居つた。年々輸入超過が續き殊に昨年の上半期には可なり巨額の輸入超過があり在外正貨が益々必要なのにそれが段々減少するからそれで爲替相場が低下するのであるから在外正貨の充實を圖ることは一日も忽せにすることの出來ない急務だと考へざるを得なかつた。そこで外貨國債の利拂資金として、又我國全體の對外的の支拂資金として、在外正貨の補充を努めたのである。尚ほ過去の經驗に依れば、金解禁の準備をする場合には、世界何れからも日本の圓貨に對して思惑投機が行はれるのである。昭和元年から二年の頃に金解禁を計畫した場合に於ても、巨額の思惑資金が海外から來て居つたのであつて、從て金解禁を決行せんとしても、其思惑資金だけの金を用意しなければ金の解禁は出來ないと云ふ苦き經驗をしたのであるから、從て今般の金解禁の如く成るべく速にその決行を必要とする場合に投機思惑が圓貨に對して行はれ、其の資金が相當の高に上るときには、適當の方法を講じて其資金を手許に握るより外ない。尚又一方から考へると、投機思惑が圓貨に向つて行はるれば、それだけ爲替相場が急激に上ると云ふことは當然の義であり、急激に上る場合には、投機思惑が止まれば又爲替相場は急激に下るのであり、此爲替相場の急激なる騰落は、經濟界に少なからざる打撃を與へたことを體驗して居るからして、それであるから投機思惑の金を買取る、又輸出時期であるから輸出手形を買取る、斯うすれば一方から言へば爲替の急激なる騰貴を防ぐことが出來る、爲替の急激なる騰貴を防ぎ得れば、爲替の急激なる低落も無くすることが出來ると云ふことになるのであるから、在外正貨の補充を圖ると云ふことは、左樣な意味に於て經濟界に非常な利益を與へる、と斯う考へたのである。そこで此のことを極力努めたのであるが、其結果二億圓以上の在外資金を買取ることが出來たのである。さうして以前から所有の政府、日本銀行の分を加へると三億圓の在外正貨を蓄積することが出來たのである。二億圓の正貨を買ひ得たことは、輸入超過の日本に取つては出來過ぎであると云ふ批評があるが、それは正しく左樣であらうと思ふ。日本が輸出超過の國に變化しない以上は此買取つた金が永久に吾々の手許に殘らうとは考へられぬ。併ながら金解禁の準備としては在外正貨を潤澤に持ち得たことはその準備の大半の目的を達したと云つて差支ないのである。從て此獲得した金が本年の輸入時期に至つて拂出して減少しても、下半期の輸出超過の時期に又再び之を取返すことが出來れば、非常な仕合せである。同時に爲替相場の調節、國際貸借の改善に此上もない次第と考へる。尚ほ前に述べた如く、金解禁は日本内地から見てもさうであるが、海外から見れば一層の大問題である。それ故に金解禁を決行する前には、世界の中心市場たる英米の兩市場には充分の了解を得る必要がある。又有力なる銀行團の援助を求めることは、充分の了解を事實に現す意味に於て最も必要と考へてクレデイツトの設定の交渉を開始したのであるが、幸に非常なる同情と好意を以て一億圓のクレデイツトの設定をすることが出來たことは、日本の財界に取つて此上もなき次第である。右二口を合計するときは四億圓の在外資金を保有する次第であつて、金解禁の準備としては充分であると考へるのである。
短期期限附金解禁
前に述べた樣に七月二日に爲替相場が一割一分下つて居つたが、貿易が段々改善せられるに從つて爲替相場は段々騰貴して、さうして十一月二十日には爲替相場は四十八弗半まで上つたのである。即ち一割一分下つて居つた爲替が大凡九分回復した程度になつたのである。而して其の時の貿易の改善の状態、及び對外關係を見ると、爲替相場は段々騰貴して、凡そ本年の一月十日過には解禁後の推定相場である四十九弗四分の一乃至四十九弗八分の三迄は騰貴することは確に算定が出來たのである。そこで一月十一日と云ふ時を定めて金の解禁を決行することを發表したのである。十一月二十一日にあの發表をせずに、時の進むに從つて爲替相場が金解禁後の推定相場まで騰貴したときに、何時でも金の解禁を決行することも一方法と考へるが、併ながら金解禁の如きは内外の經濟上から見て大問題である、然るに年末に段々近づくのであるから、年末に差迫つて斯樣な大問題を決行することは、避けられるならば避けるが宜しいと云ふ考からして、短期期限附の金解禁を發表したのである。又金解禁に對しては世人一般が可なり神經過敏になつて居るから、此際日を定めて之を發表して置くと云ふことは寧ろ財界を安定せしむる上に相當の效果のあることゝ考へたからである。
金解禁直後の經濟界
資金の流出
外國の金利は數年來比較的高いのに、日本の金利は昭和三年以來異常に安いのであるから金解禁が出來て爲替相場が安定したならば日本の資金が外國に流出するであらう、其結果我國の金利が高くなり、株劵が下り、公債も社債も下つて、我國の經濟界に非常な打撃を與へるであらうと云ふことが、世人一般の心配になつた所であるが、併ながら十月の末から英米共に金利は段々低落して十一月の二十日になると日本の金利が外國の金利より寧ろ高いと云ふ事情になつたから、其虞は更になくなつて、從て金解禁を一月十一日にしても、左樣な心配は毛頭ないと云ふことを確信した次第である。
金貨の流出
世人は金解禁が出來たならば、正貨が急激に巨額に積出され、其結果は經濟界に非常な打撃を與へると云つて心配して居るが、前に述べた如く政府は自己に買取つた在外正貨とクレデイツトに依つて借り得る金と併せて相當巨額の金を持つて居るのであるから、此在外の資金を爲替資金として利用すれば、日本の經濟界に急激な變化を與へるやうなことをせずとも必ず濟む、と斯う云ふことの確信を持つて居る。海外に充分の資金を持つて居れば、内地から正貨を積出す場合に、之を爲替に依つて決濟し得ると云ふことは何人も承知の事であるから、何も正貨の流出を心配することもないのみならず、前にも述べたやうに、金解禁の準備中に、海外から來た思惑投機の如きは、其巨額ならざることも凡そ明かになつて居ることであるから、經濟界に急激な波瀾を與へることはないことを確信して居る。勿論金解禁後に政府の財政計劃も再び放漫に流れ國民の緊張も弛緩し消費節約の手も緩み輸入超過が増加するに至れば其の爲めに金の流出を餘儀なくせられ通貨收縮を來すことあるべきも、七月以來の外國貿易の状勢と金解禁に對する諸般の準備の程度より見て、斯の如き事態の發生し財界に急激な波動を生ずることなきことを信ずるものである。
金解禁の經濟界に與ふる影響
金解禁準備前の經濟界
大正十年頃より日本の對米爲替相場は二弗乃至三弗下落して居る。地震直後から大正十三四年頃までの樣に十弗以上も下つたこともあるけれども、平均して先づ四分乃至六分下つて居ると云ふ状況である。それが昨年の六月三十日に四十三弗四分の三、即ち一割一分も下つたのは何故であるか。累年の輸入超過著しく、對外貿易も改善されない、其上昨年上半期の輸入超過は二億八千萬圓餘になつて居る。然るに政府の海外に保有して居る對外資金が段々減少して來て、六千萬圓許りになつた爲に段々爲替相場は下つて來たのである。之に對する對策は如何と云ふと、海外で金を借りて在外資金の補充を圖るか、外國から買ふ物を減す、即ち輸入超過を減すか二つに一つしかないのである。然らば第一案の外國で日本は金を借りることが出來るかと云ふと、遺憾ながら外國では金を借りることが出來ない。何故かと言へば日本は前に述べたやうに、財政状態で言へば大正三年から今日まで一般會計に毎年公債が計上されてある、即ち歳入の範圍に於て歳出の切盛が出來て居ない、借入金は依然として益々殖える一方である。地方公共團體の財政も亦斯の如きものである、而して國民はどうであるかと云ふと、自己の立つて居る經濟状態に對する自覺がないのである、さう考へて見ると之れを個人に譬へて云へば、自分の收入以上の暮しをして、已むを得ぬから借金を續けて居ると云ふ事態であるからして、左樣な状態の國には金は貸さぬと云ふのが英米の立前である。英米を初め歐羅巴諸國の戰後の状態を見ると、戰爭中は巨額の借入金をして居る。然るに戰後には皆之を整理した、國民は通貨收縮の爲めに收入の減つたに從つて生活も變り、物價も下つて然る後に金の解禁も出來たのであるからして、自己の戰後の整理をやつた經驗からして、整理の出來て居ない國には金を貸さぬのは已むを得ないことである。然らば日本は借入金をして在外正貨の充實を計ることは出來ない。それならば財政の整理緊縮をし、國民の消費節約をして海外から買ふ物を減し、海外に支拂ふ資金の必要を減して以てこの難局を救ふより外に途はないのである、濱口内閣の出來る以前に左樣なことが出來たらうか、恐らくは不可能であつたらうと思はれる。不可能であるならば、あの時の爲替相場四十三弗四分の三は到底維持は出來ないのであつて、段々下つて來ることは明かなことで、あの時期に爲替相場が極端に下つたならば、日本の經濟界は其の爲に破壞されて居ることは、殆ど火を睹るより明かなことである。それであるから吾々は財政の整理緊縮をして、國民をして消費節約をさせて、さうして金の解禁を決行する、而も其時期は成るべく速に之を決行せざるを得ぬと決心したのは右の事情によるからであつたのである。若し七月二日以前のやうな經濟状態がその儘に持續したならば、あの不安定なる状態は進むに從つて益々不安定になつて、經濟界は破壞されるだらうと云ふことは、確かな事實と考へて居る。
金解禁準備と經濟界
爲替相場が金解禁準備の爲に漸次上つて來た。爲替相場が騰ることは日本の通貨の對外價値が上ることであるから外國から直接輸入せらるゝものは悉く値段が安くなる、一ヤール五圓の羅紗が五圓五十五錢であつたものが、爲替相場が上るに連れて五圓で其羅紗が買へるやうになる。消費者から見れば此上もない福音である。併ながら爲替相場が上る、それに連れて直接輸入する品物の價格が段々下ると云ふ道程を考へて見ると、此商品を取扱ふ商人或は商賣社會から云ふと、物價が漸次低落するときには、手持の品物ならば成たけ早く之を捌かう、又手持の品物を成たけ少くしよう、斯う云ふことは當然の結果と云はなくてはならぬ。手持の商品を少くすることは、商取引が減ることである。それだけ經濟界には不景氣を來すと云ふことである。それであるから爲替相場の上る道程に於ては不景氣は已むを得ない現象であつた。併ながら今日は金解禁によつて爲替相場が既に頂上まで騰貴をしたのであるから、爲替相場の騰る爲の經濟界の不景氣は既に過去の事實になつたと見てよろしいのである。今後此意味から來る不景氣はないと考へて宜からうと思ふ。世の中に金解禁が出來たならば、經濟界に一時の景氣が出て來はしないかと言ふ人があるが、それは即ち過去六箇月間爲替相場の上る爲に、從て物價の下る爲に、成るたけ手持の商品を減じて居つたが、既に爲替相場が上つてしまつて、其方面から來る物價低落がなくなつたからして、最早安心して手持を殖すことが出來る、即ち商取引が殖える、斯う云ふことを意味する次第である。私は日本の今日の經濟界は金解禁が出來たからと云つて、掌を返す如く景氣が出て來やうとは考へぬ。併ながら今言ふ説は私が茲に説明して居る半面の事實を語るものと見て宜からうと思ふのである。
金解禁が我國の輸出貿易にどんな影響を與へるかと云ふと爲替相場が下落する道程に於ては日本品の賣値は同一であつてもこれを輸入する國の貨幣での買値は段々低落するのであるから買手は買ひ易くなる譯である。外國市場に於て他國品と競爭の位置にある場合に爲替相場の下落の爲めに日本品が競爭に打ち勝つて多く賣れることは時々經驗した處である。又反對に爲替相場が騰貴の道程にある場合には日本品の賣値を下げずに同一としておくには輸入國の貨幣買値を段々引上げて高く買はすことになるのであるから商賣がし惡くなることは事實である。例へば昨年の七月二日に日本の標準生糸百斤の横濱相場は千三百二十圓であつて、其の日の對米爲替相場は四十四弗八分の一であつたから、米國ではこれが五百八十二弗四十五仙であるが、其の後對米爲替相場は金解禁後の今日に於ては四十九弗四分の一に騰貴したから、若し今日日本に於て昨年七月二日と同じ千三百二十圓の相場とすれば、これは六百五十弗十仙に相當するので、米國に於ては日本生糸の買値が騰貴する譯であるから商賣はし惡くなることになる。それで日本に於ける賣値は安くなる道理であるが併し事實は爲替相場の騰貴する丈は輸出品の賣値が低落するものではないのである。昨年七月金解禁準備に着手以來の生糸貿易の實況を見ると、
七月 二日 四十四弗八分の一 千三百二十圓
十五日 四十五弗四分の一 千二百七十圓
八月 十日 四十六弗二分の一 千二百九十圓
九月十三日 四十六弗八分の五 千三百五十圓
十月十五日 四十七弗八分の五 千二百八十五圓
十二月卅一日 四十九弗 千百七十圓
七月から八月に懸けて生糸相場は多少低落した、併し爲替相場の騰貴した割合には低落せざるのみならず七月以來常に非常な好賣行であつて爲替相場は漸次騰貴するに拘らず九月に入りては千三百五十圓となつたのである。然るに十月初旬より米國證劵市場は不安定の状況となり遂に十一月に入りては大紛亂を惹起するに至つた。米國經濟界全般には何等懸念すべき状態を認めざるも、人氣の中心たる證劵市場が大變動を來したことであるから勢ひ生糸相場にも波及して十月初旬より低下の趨勢となり、十一月下旬には千二百圓臺となり十二月には遂に千百圓臺となつた。爲替相場の騰貴にも拘らず糸價却て騰貴し賣行又良好なりしに米國證劵市場の不安定の爲め糸價下落したるは我國生糸貿易の爲め非常に遺憾とする處である。
又金解禁が我國の工業に與へる影響に付て見るに、我國に於ては對米爲替相場は大正十年以來平均二弗乃至三弗の下落にして、これは四分乃至六分の輸入關税と同樣の保護を或る種の工業に對して與へつゝあつたもので、金解禁によつて爲替相場が騰貴し又一定する爲めに過去數年間得つゝありしこの保護を失ふことゝなるが、斯くの如く其の國の貨幣價値の下落から來る保護は永續すべき性質のものにあらず、又一方に我國の經濟は立直しが出來て堅實なる基礎の上に立つのであるからこれより來る生産費の低減によりて失ふ處を償ふ丈けの用意と覺悟をなすべきことゝ考へるのである。
金解禁後の經濟界
然らば金解禁が決行せられた一月十一日以後に經濟界はどうなるであらうか。爲替相場の動搖の爲に物價が動搖することは、商賣社會の最も好まざることである。何故かならば爲替の見通しの如きことは、多數の商人多數の經濟界の人には理解の仕惡い問題であり内國市場の状況ばかりで之が判斷は出來ぬ。諸外國の事情を悉く頭の中に入れて考へなければならぬのであつて、最も見通しの立ち惡いものである。それで常に商賣人に累を來すものである。さうして爲替相場から來る物價の動きは可なり大きなものである。譬へて見れば去年の一月始めの爲替相場が四十六弗であつてそれが六月三十日には四十三弗四分の三に下つて居るから、僅か六箇月の間に四分五厘の低落である。さうして七月から此一月十日まで即ち六箇月の間に一割一分爲替相場が騰貴したのである。さうして見ると昨年の一月から此の一月十一日迄約一箇年の間に外國から直接輸入する物の値段は、六箇月の間に四分五厘上つて、さうして次の六箇月の間に一割一分下つた譯である。可なり大きな物價の變動であつて、此間に少なからざる商賣の不圓滑を來したのである。然るに金解禁が出來れば、爲替相場は殆ど一定不動のものになつて外國の金利、内地の金利の動きの爲に、多少の動きはあるが、先づ物價の關係から見れば殆ど一定不動のものと見て宜い位の僅かの動きとなる。さう考へて見ると我國の商賣は以前と比較して非常に仕好くなることは確である、それであるから金解禁の出來た後に於ける經濟界は以前よりも安定したと言つて差支ない譯である。
金解禁後の國民の覺悟
併ながら金解禁が出來ると、是迄とは違つた經濟上の状態が出て來る。大正六年の九月十二日から金の輸出禁止がしてあるから、外國から物は買ふが併ながら日本から金は出すことはならぬ、從て日本に流通して居る通貨の高は減らぬ。外國から買うた物の支拂は、從來日本が外國に持つて居つた金及海外から借入れた金で支拂つて來たのである。大正八年から以後十箇年間に四十二億圓に上つた位巨額の輸入超過をしたのである。其金は内地の金貨を以て支拂つたのではない、從て内地の通貨は減らぬのであるが、併ながら金解禁が一月十一日に出來た後には、以前とは全く違つた現象が出て來るのは、今後外國から餘計物を買へば、それだけ日本の保有して居る金貨を以て外國に拂ふことになる。從てそれだけ丁度日本に流通して居る通貨が減るのである。金が減ると云ふことになると金利が上り、さうして國民の日常所有して居る通貨が減るのであるから購賣力が減る。從て不景氣が來るのである。今日本には約十一億圓の金貨が日本銀行にあつて、日本銀行は之に對して平均十三億五千萬圓位の兌換劵を發行して居る。假に本年輸入超過があつて、さうして差引一億圓の金貨を外國に拂はなければならぬとすると、日本銀行の十一億圓の金貨が十億圓に減り、兌換劵の平均流通高は十二億五千萬圓に減る譯である。さうしたならば銀行に在る金が減る、減れば金利が上る。或る人が十三圓五十錢の金を持つて居つたとすると、其金が一圓の割合で減る。さうしたならばそれだけ其人の買ふ力は減少する譯である。其れ故に直に茲に不景氣が來るのである。是は餘計物を買へば内地から金が出て行く、外國に餘計物を賣れば外國から金が這入つて來て日本の通貨が殖える、さうして景氣が恢復する、斯う云ふことは即ち金本位の當然の結果である。併ながら日本は大正六年から今日まで十二三年間、不自然な經濟界に慣れて居るのであるから、今日巨額な金貨が内地から積出され、さうして通貨が急激に減少するやうになれば、經濟界に波瀾を與へることになるのであるが、之を如何にして防ぎ得るかと云ふと、政府の財政の整理緊縮も之を持續し、國民の消費節約の程度も之を持續して行くより外に途はないのである。何故かならば昨年七月二日から同樣の事をして、それで今日初て日本は海外に金を拂はないで濟む貿易關係になつたのであるから本年にも昨年と同じやうな状態を持續すれば、日本から海外に金が出て行くことはない。さう考へて見ると、一方には金の解禁が出來て商賣は仕好くなつた、經濟界は安定する、一方には海外に金を拂はずして、即ち極端なる通貨收縮を來さずに日本の經濟界が行くならば、兩樣の事實が相俟つて日本の經濟界は基礎が確立する。一年經ち二年經つ中には日本の經濟界の基礎は安固のものになると云ふことを確信して疑はぬのである。
將來の經濟方策
尚ほ最後に我國の世界戰爭後の經濟界の状況を見るに政府の財政計畫は巨額の借入金をして出來て居る、國民の状態は戰時中の收入の多かつたことに慣れて、收入の減つた時に於ても尚ほ經濟界の立直しが出來ずに居る。さう云ふやうに考へて見ると、我國の經濟界の基礎は堅固のものに非らずして早晩變動すべき状態のものであつたので、恰も或る人が自分の收入では生計費に不足を告ぐるを以て毎月借入金をして、それで生活を營んで居たやうなものである。成る程外部から其の人の生活状態を見ると至極景氣の好いやうに見えるけれども其状態がどれだけ續くかと云ふことを考へて見ると、到底長く續き得るものではない。其状態が永く續けば破産をするより外ないのである。そこで其の人が非を悟つて改革を圖れば此度は暮しを立て直して自分の支出を何割か減じて、さうして其剩餘を以て從來の借金の整理をして行くより外には途はないのである。然るに濱口内閣の財政の整理緊縮に依つて、初て茲に借入金のない財政計畫が出來た。國民も消費節約を徹底的にして、それが明に外國貿易の上に現れ之に依つて金解禁も出來たことを考へて見ると、今日直に日本の經濟界が堅固になつたとは言はれないけれども、此財政の整理緊縮、國民の消費節約の程度が此儘で持續すれば、初て日本の經濟界の基礎は安固なものになる、斯う云ふ事を言つて宜いのである。從て茲に堅實なる基礎が出來た以上は此の基礎の上に立つて今後大に日本の産業の振興、貿易の發達を圖つて行くことが、吾々政府の責務であり、又國民一般の決心であらねばならぬと考へるのである。斯の如くして始めて日本の經濟は更正する。之が金解禁後の經濟界に對する唯一の活路である。
過去六箇月間に國民が一致協力して國民經濟の立直に努力して、從來見ることの出來なかつた成績を擧げたことから推論すれば、必ずや日本國の經濟の基礎を打立てゝ、國民の繁榮、國民の幸福を圖ることが出來るものと確く信じて疑はぬのである。