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田舎の時計他十二篇

田舎の時計他十二篇

萩原 朔太郎

 坂

 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別のはるかな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。

 坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだらうか。理由わけは何でもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、それの下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれを呼び起す。

 或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずっと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに広茫とした眺めの向うを、遠くの夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、切岸きりぎしの上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見ようとする、詩的なAdventureに駆られてゐた。

 何が坂の向うにあるのだらう? ついにやみがたい誘惑が、或る日私をその坂道に登らした。十一月下旬、秋の物わびしい午後であつた。落日の長い日影が、坂を登る私の背後うしろにしたがつて、瞑想者めいそうしやのやうな影法師をうつしてゐた。風景はひつそりとして、空には動かない雲が浮いてゐた。

 無限に長く、空想にみちた坂道を登つて行つた。遂に登りつめた時に、眼界に一度に明るく、海のやうにひらけて見えた。いちめんの大平野で、すすき尾花おばなの秋草が、白く草むらの中に光つてゐた。そして平野の所所に、風雅な木造の西洋館が、何かの番小屋のやうに建つてゐた。

 それは全く思ひがけない、異常な鮮新な風景だつた。私のどんな想像も、かつてこの坂の向うに、こんな海のやうな平野があるとは思はなかつた。一寸ちょっとの間、私はこの眺めの実在を疑つた。ふいに思ひがけなく、海上に浮んだ蜃気楼しんきろうのやうな気がしたからだ。

 『おーい!』

 理由もなく、私は大声をあげて呼んでみた。広茫とした平野の中で、反響がどこまで行くかをためさうとして。すると不意に、前の草むらが風に動いた。何物かの白い姿がそこにかくれてゐたのである。

 すぐに私は、草の中で動くパラソルを見た。二人の若い娘が、秋の侘しい日ざしをあびて、石の上にむつまじく坐つてゐたのだ。

 『娘たちは詩を思つてる。彼等の生活をさまたげまい。なぜなら娘たちにとつては、詩が生活の一切だから。けれども僕にとつては! 僕は肯定さるべき所の、何物の観念でもない!』

 さうして心が暗くなり、悲しげにそこを去らうとした。けれどもその時、背後をふりかへつた娘の顔が、一瞥いちべつの瞬間にまで、ふしぎな電光写真のやうに印象された。なぜならその娘こそ、この頃私の夢によく現はれてくるやさしい娘――悲しい夢の中の恋人――物言はぬお嬢さん――にそつくりだから。いくたび、私は夢の中でその人と逢つてるだらう。いつも夜あけ方のさびしい野原で、あるいは猫柳の枯れてる沼沢地方で、はかない、しづかな、物言はぬ媾曳あいびきをしてゐるのだ。

 『お嬢さん!』

 いつも私が、丁度夢の中の娘に叫ぶやうに、ふいに白日はくじつの中に現はれたところの、現実の娘に呼びかけようとした。どうして、何故に、夢が現実にやつて来たのだらうか。ふしぎな、言ひやうもない予感が、未知の新しい世界にまで、私を幸福感でいつぱいにした。実はその新しい世界や幸福感やは、幾年も幾年も遠い昔に、私がすつかり忘れてしまつてゐたものであつた。

 しかしながら理性が、たちまちにして私の幻覚を訂正した。だれが夢遊病者でなく、夢を白日に信ずるだらうか。愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覚を恥ぢながら、私はまた坂を降つて来た。しかり――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。(『令女界』1927年9月号)

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 大井町

 人生はふしぎなもので、無限の悲しい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はさうした心境から、自分のすがたを自然にうつして、或は現実の環境に、或は幻想する思ひの中に、それぞれの望ましい地方を求めて、自分の居る景色の中に住んでるものだ。たとへてみれば、或る人は平和な田園に住家すみかを求めて、牧場や農場のある景色の中を歩いてゐる。そして或る人は荒寥こうりようとした極光地方で、孤独のぺんぎん鳥のやうにして暮してゐるし、或る人は都会の家並のんでる中で、賭博場や、洗濯屋や、きたない酒場や理髪店のごちやごちやしてゐる路地ろじを求めて、毎日用もないのにぶらついてゐる。或る人たちは、郊外の明るい林を好んで、若い木の芽や材木のにおひをいでゐるのに、或る人は閑静の古雅を愛して、物寂ものさびた古池に魚の死体が浮いてるやうな、芭蕉庵ばしようあんこけむした庭にたたずみ、いつもその侘しい日影を見つめて居る。

 げに人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はその心境をもとめるために、現実にも夢の中にも、はてなき自然の地方を徘徊はいかいする。さうして港の波止場はとばに訪ねくるとき、汽船のおーぼーといふ叫びを聞き、ほばしらのにぎやかな林の向うに、青い空の光るのをみてゐると、しぜんと人間の心のかげに、憂愁のさびしい涙がながれてくる。

 私が大井町へ越して来たのは、冬の寒い真中であつた。私は手に引つ越しの荷物をさげ、古ぼけた家具の類や、きたないバケツや、ほうき、炭取りの類をかかへ込んで、冬のぬかるみの街を歩き廻つた。空は煤煙でくろずみ、街の両側には、無限の煉瓦れんがの工場が並んでゐた。冬の日は鈍くかすんで、煙突から熊のやうな煙を吹き出してゐた。

 貧しいすがたをしたおかみさんが、子供を半てんおんぶで背負ひこみながら、天日のさす道を歩いてゐる。それが私のかみさんであり、その後からやくざな男が、バケツや荷をいつぱい抱へて、痩犬やせいぬのやうについて行つた。

     大井町!

 かうして冬の寒い盛りに、私共の家族が引つ越しをした。裏町のきたない長屋に、貧乏と病気でふるへてゐた。ごみためのやうな庭の隅に、まいにち腰巻やおしめを干してゐた。それに少しばかりの日があたり、小旗のやうにひらひらしてゐた。

     大井町!

 無限にさびしい工場がならんでゐる、煤煙で黒ずんだ煉瓦の街を、大ぜいの労働者がぞろぞろと群がつてゐる。夕方は皆が食ひ物のことを考へて、きたない料理屋のごてごてしてゐる、工場裏の町通りを歩いてゐる。家家の窓はすすでくもり、硝子が小さくはめられてゐる。それに日ざしが反射して、黒くかなしげに光つてゐる。

     大井町!

 まづしい人人の群で混雑する、あの三叉みつまたの狭い通りは、ふしぎに私の空想を呼び起す。みじめな郵便局の前には、大ぜいの女工が群がつてゐる。どこへ手紙を出すのだらう。さうして黄色い貯金帳から、むやみに小銭をひき出してる。

 空にはいつも煤煙がある。屋台は屋台の上に重なり、泥濘のひどい道を、幌馬車ほろばしやの列がつながつてゆく。

     大井町!

 鉄道工廠こうしようの住宅地域! 二階建ての長屋の窓から、工夫こうふのおかみさんが怒鳴つてゐる。亭主ていしゆは駅の構内で働らいてゐて、真黒の石炭がらを積みあげてゐる。日ぐれになると、そのシヤベルが遠くで悲しく光つてみえる。

 長屋の硝子窓にはえがとまつて、いつまでもぶむぶむとうなつてゐる。どこかの長屋で餓鬼が泣いてゐる。嬶が破れるやうに怒鳴つてるので、亭主もかなしい思ひを感じてゐる。そのしやつぽを被つた労働者は、やけに石炭を運びながら、生活の没落を感じてゐる。どうせ嬶をたたき出して、宿場しゆくばの女郎でも引きずり込みたいと思つてゐる。

 労働者のかなしいシヤベルが、遠くの構内で光つてゐる。

 人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人は自分の思ひを自然に映して、それぞれの景色の中に居住してゐる。

     大井町!

 煙突と工場と、さうして労働者の群がつてゐる、あのにぎやかでさびしい街に、私は私の住居を見つけた。私の泥長靴どろながぐつをひきずりながら、まいにちあの景色の中を歩いてゐた。何といふ好い町だらう。私は工場裏の路地を歩いて、とある長屋の二階窓から、ねずみ死骸しがいを投げつけられた。意地の悪い土方の嬶等が、いつせいに窓から顔を突き出し、ひひひひひと言つて笑つた。何といふうれしい出来事でせう。私はかういふ人生の風物からどんな哲学でも考へうるのだ。

 どうせ私のやうな放浪者には、東京中を探したつて、大井町より好い所はありはしない。冬の日の空に煤煙! さうして電車をりた人人が、みんな煉瓦の建物に吸ひこまれて行く。やたら凸凹でこぼこした、狭くきたない混雑の町通り。路地は幌馬車でいつもいつぱい。それで私共の家族といへば、いつも貧乏にくらしてゐるのだ。(年刊『詩と随筆集』第一輯1928年5月発行)

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 郵便局

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工のむれが、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替かわせを組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘のもとへ、秋のあわせ襦袢じゆばんやを、小包で送つたといふ通知である。

 郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活ライフの港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

 郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。(『若草』1929年3月号)

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 墓

 これは墓である。蕭条たる風雨の中で、かなしく黙しながら、孤独に、永遠の土塊つちくれが存在してゐる。

 何がこの下に、墓の下にあるのだらう。我我はそれを考へ得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られてゐる。さうしてわずかばかりの物質――人骨や、歯や、かわらや――が、蟾蜍ひきがえると一緒に同棲どうせいして居る。そこには何もない。何物の生命も、意識も、名誉も。またその名誉について感じ得るであらう存在もない。

 ほしかしながら我我は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我はいつでも、死後の「無」について信じてゐる。何物も残りはしない。我我の肉体は解体して、他の物質に変つて行く。思想も、神経も、感情も、そしてこの自我の意識する本体すらも、空無の中に消えてしまふ。どうして今日の常識が、あの古風な迷信――死後の生活――を信じよう。我我は死後を考へ、いつも風にやうに哄笑こうしようするのみ!

 しかしながら尚ほ、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我は不運な芸術家で、あらゆる逆境に忍んで居る。我我は孤独に耐へて、ただ後世にまで残さるべき、死後の名誉を考へてゐる。ただそれのみを考へてゐる。けれどもああ、人が墓場の中に葬られて、どうして自分を意識し得るか。我我の一切は終つてしまふ。後世になつてみれば、墓場の上に花環をささげ、数万の人が自分の名作をたたへるだらう。ああしかし! だれがその時墓場の中で、自分の名誉を意識し得るか? 我我は生きねばならない。死後にも尚ほつ、永遠に墓場の中で、生きて居なければならないのだ。

 蕭条たる風雨の中で、さびしく永遠に黙しながら、無意味の土塊が実在して居る。何がこの下に、墓の下にあるだらう。我我はそれを知らない。これは墓である! 墓である!(『新文学準備倶楽部』1929年6月号)

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 自殺の恐ろしさ

 自殺そのものは恐ろしくない。自殺にいて考へるのは、死の刹那せつなの苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ! 目を閉ぢて、飛べ! そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、身体からだが空中に投げ出された。

 だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうにひらめいた。その時始めて、自分ははつきりと生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。断じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身体は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血にまみれた頭蓋骨ずがいこつ! 避けられない決定!

 この幻想のおそろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事実が、実際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口をいたら、おそらくこの実験を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽霊である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戦慄する。(『セルパン』1931年5月号)

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 詩人の死ぬや悲し

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。

 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」

 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟しげきし、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、はにかみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へてはげしく言つた。

 「著作? 名声? そんなものが何になる!」

 独逸ドイツのある瘋癲ふうてん病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。

 あの傲岸ごうがん不遜ふそんのニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼にみる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰めるために言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞うつろな悲しいものであつたらう。

 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」

 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚ばくりようたちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷とうごう大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。

 「余は、余のすべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。

 それゆえことわざは言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬやしと。だが我我の側の地球においては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。

 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!(『行動』1934年11月号)

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 群集の中に居て

      群集は孤独者の家郷である。ボードレエル

 都会生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣はんさな交渉もなく、その上にまた人人が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。

 昼頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店はにぎやかに混雑して、どの卓にも客があふれて居た。若い夫婦づれや、学生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と関係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた会話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の会話とは関係なく、夫夫それぞれまた自分等だけの世界に属する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。

 この都会の風景は、いつも無限に私の心を楽しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しかもまた各人が全体としての雰囲気ふんいき(群集の雰囲気)を構成して居る。何といふ無関心な、伸伸のびのびとした、楽しい忘却をもつた雰囲気だらう。

 黄昏たそがれになつて、私は公園の椅子に坐つて居た。幾組もの若い男女が、互に腕を組み合せながら、私の坐つてる前を通つて行つた。どの組の恋人たちも、うれしく楽しさうに話をして居た。そして互にまた、他の組の恋人たちを眺め合ひ、批判し合ひ、それの美しい伴奏から、自分等の空にひろがるところの、恋の楽しい音楽を二重にした。

 一組の恋人が、ふと通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、はにかみながら嬉しさうにささやいて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。

 都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処どこへ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、ともし頃の都会の情趣を、無限にわびしげに見せるのである。

 げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合そうごうした意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、し、あじわひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、思い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも、何処までも、都会の空を徘徊はいかいしながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方かなたは地平に消える、群集の中を流れて行かう。(『四季』1935年2月号)

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 虚無の歌

     我れは何物をも喪失せず

     また一切を失ひ尽せり。「氷島」

 午後の三時。広漠とした広間ホールの中で、私はひとり麦酒ビールを飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖炉ストーブは明るく燃え、ドアの厚い硝子ガラスを通して、晩秋の光がわびしくしてた。白いコンクリートの床、所在のない食卓テーブル、脚の細い椅子の数数。

 ヱビス橋のそばに近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう? 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街まちまちを放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒ビールと、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。

 かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へるあしのをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷いのり。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体!ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍ひきがえるとが、地下で私を待つてるのだ。

 ホールの庭にはきりの木がえ、落葉が地面に散らばつて居た。その板塀いたべいで囲まれた庭の彼方かなた、倉庫の並ぶ空地あきちの前を、黒い人影が通つて行く。空には煤煙ばいえんかすかに浮び、子供の群集する遠い声が、夢のやうに聞えて来る。広いがらんとした広間ホールの隅で、小鳥が時時さえずつて居た。ヱビス橋の側に近く、晩秋の日の午後三時。コンクリートの白つぽい床、所在のない食卓テーブル、脚の細い椅子の数数。

 ああ神よ! もう取返すすべもない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞うつろな最後の日に。

 今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒ビールを飲んでる。虚無よ! 雲よ! 人生よ。(『四季』1936年5月号)

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 虫

 或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理のなぞが、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺ひようびようとして捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、とらへることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで来て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも経験するところの、あの苛苛いらいらした執念の焦燥が、その時以来きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不断に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神秘なイメ-ヂの謎を摸索もさくして居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元でささやいて居た。悪いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻おういんをし、最後に長く「クリート」とくのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ。

 或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の会話を聞いた。

 「そりや君。駄目だめだよ。木造ではね。」

 「やつぱり鉄筋コンクリートかな。」

 二人づれの洋服紳士は、たしかに何所どこかの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の会話は聞えなかつた。ただその単語だけが耳に入つた。「鉄筋コンクリート!」

 私はびあがるやうなショツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機会を逸するな。大胆にやれ。と自分の心をはげましながら

 「その……ちよいと……失礼ですが……。」

 と私は思ひ切つて話しかけた。

 「その……鉄筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり形而上けいじじようの意味……僕はその、哲学のことを言つてるのですが……。」

 私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、吃驚びつくりしたやうな表情をして、私の顔を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味がまるで解らなかつたのである。それから隣のつれを顧み、気味悪さうに目を見合せ、急にすつかり黙つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。

 到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。

 「鉄筋コンクリートつて、君、何のことだ。」

 友は呆気あつけにとられながら、私の顔をぼんやり見詰めた。私の顔は岩礁がんしようのやうに緊張して居た。

 「何だい君。」

 と、半ば笑ひながら友が答へた。

 「そりや君。中の骨組を鉄筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一体。」

 「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」

 と、不平を色に現はして私が言つた。

 「それの意味なんだ。僕の聞くはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗号。寓意ぐうい。その秘密。……解るね。つまりその、隠されたパズル。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。」

 この本当の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。

 友はすつかり呆気に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顔ばかりつめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を転じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど真面目まじめになつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその秘密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中でつた男も、私の周囲に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。

 「ざまあ見やがれ。此奴等!」

 私は心の中で友をののしり、それから私の知つてる範囲の、あらゆる人人に対して敵愾てきがいした。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。

 だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、霊感のやうにひらめいた。

 「虫だ!」

 私は思はず声に叫んだ。虫! 鉄筋コンクリートといふ言葉が、秘密に表象してゐる謎の意味は、実にその単純なイメーヂに過ぎなかつたのだ。それが何故に虫であるかは、此所ここに説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣かきの表象が女の肉体であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は声をあげて明るく笑つた。それから両手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、うれしさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。(『文藝』1937年1月号)

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 貸家札

 熱帯地方の砂漠さばくの中で、一疋の獅子ししが昼寝をして居た。肢体したいをできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獣の習性として、胃の中の餌物えものが完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の白昼まひる。風もなく音もない。万象ばんしようの死に絶えた沈黙しじまの時。

 その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空気が動き、万象の沈黙しじまが破れた。

 一人の旅行者――ヘルメツト帽をかぶり、白い洋服をきた人間が、この光景を何所どこかで見て居た。彼は一言の口もかず、黙つて砂丘の上に生えてる、椰子やしの木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨にさらされ、一枚の古い木札がくぎづけてあつた。

(貸家アリ。瓦斯ガス、水道付。日当リヨシ。)

 ヘルメツトを被つた男は、黙つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。(『いのち』1937年10月号、『シナリオ研究』1937年10月号)

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 この手に限るよ

 目がめてから考へれば、実に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿体もつたいらしく、さも重大の真理や発見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、数人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗こぎれいな喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧発りはつさうな顔をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つをつぼから出した。それから充分に落着いて、さも勿体らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。

 熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい気泡きほうが、茶碗ちやわんの表面に浮びあがり、やがて周囲のへりに寄り集つた。その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じやうに、気取つた勿体らしい手付をしながら、そつと茶碗へ落し込んだ。(その時私は、いかに自分の手際てぎわが鮮やかで、巴里パリ伊達者だてしゃがやる以上に、スマートで上品な挙動にかなつたかを、自分で意識して得意でゐた。)茶碗の底から、再度また気泡が浮び上つた。そしてしばらく、真中にかたまり合つて踊りながら、さつと別れて茶碗のへりに吸ひついて行つた。それは丁度、よく訓練された団体遊戯マスゲームが、号令によつて、行動するやうに見えた。

 「どうだ。すばらしいだろう!」

 と私が言つた。

 「まあ。素敵ね!」

 とじつと見て居たその少女が、感嘆おくあたはざる調子で言つた。

 「これ、本当の芸術だわ。まあ素敵ね。貴方あなた。何て名前の方なの?」

 そして私の顔を見詰め、絶対無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い睫毛まつげをしばだたいた。是非また来てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。

 私はすつかり得意になつた。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、何故なぜにもつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これほどの大発明を、自分が独創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、茫然ぼうぜんとしてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。

 「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」

 そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの可笑おかしさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に残つて忘られなかつた。

 「この手に限るよ。」

 その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさにころがりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「馬鹿者フール」の正体を考へるのである。(『いのち』1937年10月号)

==================================================================底本:岩波文庫版猫町他十七篇(岩波書店、1997年12月5日発行第4刷)

底本の親本:萩原朔太郎全集(筑摩書房、1976年発行)

テキスト入力:ryoko masuda

テキスト校正:浜野 智

青空文庫公開:1999年1月